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私って価値がある人間なの?

自分の話した事に大笑いしてくれた。
それだけで嬉しい。
私の存在が誰かの笑顔に繋がるなら、生きてる価値があるというものだ。

でも、逆に、自分が大事にされてないなーとか、隣の人の方が大事にされてるなーとか感じると、とても落ち込む。
そうだよね、私に価値はないよね、なんて卑屈になる。

でも、人の価値ってなんだろう?
自分以外の人が価値をつけてくれるのだろうか。
価値はお金で?
知名度で?
だいたい私の何を知ってるのさ。

誰がつけた価値に対して落ち込んでいるのか、よく分からなくなる。
私が誰かに価値をつけた事があるだろうか。
いや、そんなつもりは無いけれど、自分にメリットのある人を大切にしようとしていないだろうか?

価値のない人間なんて居ない。
そう言い切れるのだろうか?

先日、数人で「犯罪をこの世から完全に無くすためには」というお題で自分の意見を発表した。
最初の二人は、「まずは衣食住が満ち足りるようにする。そして、自分の家族に優しく、それから隣人に優しくしていけば、犯罪は無くなる」と言った。
私もその意見には大賛成だ。
隣人を愛せ。
その通りだ。

でも、一方こう思う。
「犯罪が無くなる訳がない。衣食住が足りている人でも、理解し難い理由で殺人をする人もいる。それならば、犯罪を犯したものは全てレーザービームで殺してしまえばいい」

もちろん、これは極端な話だ。
冤罪とか、軽犯罪も殺すのか?とか色んな穴がある。
言いたいことは、「犯罪を完全に無くすなんて無理」という事だ。
愛する人を救うためとか、嫉妬やむしゃくしゃして、とか、快楽殺人とか、どんな対策をうったとしても無くならないと思うのだ。

人が感情の動物である限り、犯罪は無くならない。

でも、私はこう思う。
「隣の人の話を聴いてあげる事」それだけで、隣の人は自分の存在価値を認められる一助になると思う。
相手がどう価値をつけるか、じゃない。
自分が自分の価値をどう認められるか。

それがわからない時、誰かに話を聴いてもらうだけで、自分の中の答えに出会えると思う。

今日、自分の価値に対して落ち込んだ私は、誰かに話を聴いてもらう代わりに、このnoteに気持ちをぶつけてる。

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