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私の読書法

「私の読書法」なんて、ちょっと書いてみたかっただけだ。

何故なら、方法もあったもんじゃない。乱読もいいとなのだから。
家の中はもちろん、カバンの中、車の中に本が溢れている。
今もリビングのテーブルの上に二冊、ソファに二冊、棚には数えきれないくらい本がある。
出掛けた際に、カバンに本が入っていなかった時はちょっとしたパニックになる。
なので、常にカバンの中にも本を忍ばせておく。

それなのにだ。
読む本が無い…と思ってしまう。
これは一種の病気なんじゃないだろうか?
いっぱいあるじゃん?と突っ込まれても仕方ない状況なんだけれど、「今」読みたいと思う本じゃないの困るのだ。

私が書店員をしていた頃、何冊もハードカバーを購入していくお客さんを見て、「なんて贅沢な」と思っていた。
その気持ちは今も変わらない。

有り難いことに、私も本が買える余裕が出てきた。もちろん図書館も使うのだが、この乱読振りをみて解るように、期限内にちゃんと読めないのだ。
なので、もっぱら本は購入している。

ちょっと時間が空いた時、何の本を読もうかな?と思う。その時の気分で手に取る本が変わる。

先日、2回目のワクチン接種の副反応の時は、とにかく身体が辛かったので、忘れさせてくれるようなストーリーがガッツリある小説、という事で「聖母」秋吉理香子著 を読んだ。
面白くて、副反応の辛さが30%減となった。

めちゃくちゃ時間もあるし、集中出来そう!という時は(たまにしか来ない)小難しいビジネス書を読む。
深夜、まったりしていて、まだ眠く無い…という時はゆる〜い本を読む。

そんな訳で、私にとって「本を読む」とは「ご飯を食べる」とか「寝る」とか生きる上でやって当たり前の動作なのだ。

毎日たくさん本を読まれて凄いですね」なんてよく言われる。
いやいや、私にとっては「毎日ご飯を食べられて凄いですね」と言われているのと同義である。
何も凄い事は無い。
人それぞれ、生きていく上でやらなきゃ困ることがあるだろう。
毎日走らなきゃいけない、とか、たまに一人で瞑想しなきゃいけない、とか。

本を読むって事が、何となく「スゴイこと」みたいに言われるのはちょっと寂しい。
みんな映画とかテレビドラマとか観るでしょ?
あれが活字になってるだけやん?
本なら、自分で主演女優も俳優も決められる。自分の頭の中では、理想の俳優が素敵に演技してくれるのだから、可能性は無限大なのだ。

どうやったら本を読めるようになりますか?」と質問されることもある。
読もう!なんて意気込む必要はないと思う。
本屋さん(図書館でもいい)をぶらりとして、若しくは、ネットサーフィンして、気になる本を手に取って、好きな時に開けばいい。
5分でいいから読んでみる。
続きが気になったら、5分は10分に、10分は30分に延びていく。

本の世界は無限。
知らない世界、知らない視点、知らない自分に会わせてくれる。

今日も本に救われた。

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