虫食いの記憶とデジタルに慣れる必要性
とにかくデジタルでの作画が汚い!
アナログの世界にもどりたいと思わなくもないのですが、アナログで出来てたことがデジタルになると突然できなくなるというのが不思議でなりません。
パソコンでデジ絵を描かれてる人なんかもう神ですね。
だってペンタブで描いてる絵が画面上に表示されるとなんじゃこりゃ?な世界なんですよ…(^^;;
私の場合、iPadで描いてるのでアナログとそう大差はないだろうって感じるんです。
なのに明らかに出来栄えが異なるんです。
デジタル絵だと主線が荒い。
これはもう、描いて描いて描きまくるしか解決策はないように思います。
1日一絵と言わず、まずは数をこなすこと。
TKGのサロンで次回出版しようと思っていた書籍の内容を変えようと思いました。
と言うのが、要は私が今のところ出そうと思ってる書籍は2冊目までが自伝に近い話なんですよね。
しかも私が思っていたよりずっと、虐待サバイバーという認識が浸透していない。
それ自体は良いことなんです。
だって虐待されている子なんていない方がいい。
それでも私は書籍にしようと思った理由が、少なくてもいい、自分と同じように苦しんでる人の背中に手を充てたいと言う理由からなのだから、ここは虐待サバイバーとはどのようなものか、どういう症状を課せられるのか等を書いたものにしようと思い直しました。
実は外注での出版も(こちらは虐待とは一切関係ない内容)、水面下では進んでいるのですが、その前に2冊目出版ですね。
一冊目を出版したときに「思い出しながら書くのはしんどかったでしょう」とお気遣い頂いたのですが、私はそれが当たり前の生活でしたので特に思い出して辛いということはないんです。
思い出せば、改めて異常だなと言う認識は出来るのですが、別にもう過ぎたことですし、当時はそれが普通だったのだから辛くはない。
ただ、記憶が虫食いだったりするんですよ。
子供の頃の記憶なんてより鮮明に覚えている人の方が少ないと思うのですが、私の場合は意識的にそうしてると診察で指摘されたことがあります。
まあ別に子供の頃辛かったことで意識的に忘れているのなら、特に無理くり思い出す必要もないと思ってます。
両親や祖母にされたこと自体の多くの記憶は残ってるので、当時は痛いとか怖いとか辛いとか思ってたんですよ。
でも今現在は自分でもどうしようもない後遺症はあるものの、どこも痛くないので、むしろそっちの記憶が消えれば良いのにとは思います。
その為か母親の顔がないんですよね。
思い出すのは派手な化粧と香水の臭い匂い。
顔面はのっぺらぼうです。
あと、大人と言われる年齢になってからも、感覚のすり替えがたびたび起こってましたね。
これは生活に支障が出るので本気で困ってますが、実際どうしようもない。
私はアダルトチルドレンなのは間違いないでしょうが、パニック障害ではないはずなんです。
ところが一度感覚のすり替えが起こると、「それの何が怖いんだろう?」と言うようなことが恐怖の対象になります。
例えば車の運転が出来なくなったり、雷の音に異常に覚えていても立ってもいられなくなり、空からゴロ…なんて音がしようものなら、全身が震えてカバン1つで人が多いデパートに出向くなんてこともありましたね。
雷が怖いなら外になど出たりせず、家でじっとしておく方がよほど安全でしょう。
そういうことがわからなくなるんですよ。
もちろん今は雷がどれだけ鳴ろうと1人でも平気ですし、車の運転も出来ます。
当時は薬に頼るしかなかったんですが、本来なら何も怖くないはずのものを過度に恐れるという症状はかなり厄介でした。
「怖いって思うから怖いんだよ」と言うような言い方をする人がいますが、それはなんの慰めにもなりません。
本人も怖いと思いたくて怖がっているわけではないからです。
そう言うところに、「つらいよね」って、僭越ながら手を充てて差し上げたいのです。
と言うわけで、2冊目の本は虐待サバイバーとは何か?がテーマになると思うんですが、親がのっぺらぼうでは非常に描きにくいと言うのと、どう構成すれば分かりやすいかに
迷いますね…。
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