ほのぼの生きる 055_20230305
傷ついた言葉に悩まされる
私には「自分はバカだという思い込み」がある。
実際にそうかもしれないと思うこともしばしばあるが、思い込んでしまった原因があることも確かだ。
中学校の時だった。
私は学年で2番という成績のよい生徒であった。
それなのに「バカ」だと思い込んでしまう事件が起こった。
中学校2年生の時、私にはとても嫌いな男子生徒がいた。
1年生の時からとても目立っていて、おしゃべり。当時、流行していた田原俊彦が演じる「教師びんびん物語」に影響され、おれは将来「徳川龍之介」になると豪語していた。
実際、彼は今小学校の先生になっている。
彼のことをAと呼ぼう。Aくんの「くん」もつけたくない!(笑)
Aのお母さんは、在宅で近所の小さい子を預かって保育士のような人であった。まずここでAのお母さんは子どもを見る目があると思い込んでいる。
中学校2年生では修学旅行に行く。うちの中学校では長崎に行った。だいたいクラス単位で一緒に行動し、集合写真をとる。
ある日、その集合写真をAが母親に見せたのだそうだ。
ここでもう一つ追加の情報。うちのクラスには、学年の1位、2位、3位の成績上位者が揃っていた。男子1人、女子2人。もう一人の女子は前に紹介した仲良しグループの一人で脳外科医になった子だ。男子は旧帝大に入り、そのまま30代で准教授になったと聞いた。
さて、その集合写真を見ながら、Aの家では次の会話がなされた。
「なぁ、かあちゃん、こん中で誰が美人?」
「なぁ、かあちゃん、こん中で誰が一番性格がよさそう?」
「なぁ、かあちゃん、こん中で誰が一番頭よさそう?」
「なぁ、かあちゃん、こん中で誰が一番頭悪そう?」
そう!そこで、私は見事、「一番頭が悪そうな顔」に選ばれたのであった。
これを私が知っているということは、Aが私に自慢そうに話をしたからである。
本人は悪気はなかったのだろうが、教室の真ん中で、まさにクラスの中心となって、大きな声でみんなにランキングを話したのである。
しかも、それはAのランキングではなく、Aの母のランキングなのだ。
この時の私のショックはいかばかりか・・・
Aに対してなんと言ったかは覚えていないし、抗議したような記憶もない。
おそらく笑ってごまかす程度ではなかっただろうかと思う。
実際、私のキャラは、頭が良い優等生ではなかった。物事の良し悪しの判断もまだつかないような幼い女子だったかもしれない。ライバルの2人に比べると本当に頭が悪かったのかもしれない。50を目の前にして築いてきたキャリアを比較すると一目瞭然ではある。
この時に受けたショックは今でも私の心の傷となって残っている。
これが「私はバカだ」という思い込みを払拭できない原因になっている。
「頭が悪い」というのにもいろいろあると思うが、その当時の私の印象としては「生きていく力がない」という風に捉えた節がある。なぜならば、実際に成績はとても良かったし、学力を非難されたのではないというのは自明の理だ。
だからこそ余計に傷ついたのだと思う。学力があるのに「頭が悪そう」というのは、見掛け倒しの優等生だということである。それを何人もの子どもを相手している大人が言うのだから間違いない、と認めてしまったのだ。
この記事を書いている時点でまだ囚われている節がある。そろそろ昇華させてしまいたい。
思い込むというのはとても大事なことでもある。時々、思い込みは邪魔になることもあるが、自分を「良い」風に思い込むことはとても効果的であるように思う。
私が何かにチャレンジするときに、まあな、どうせあれだしな、とすぐに諦めてしまうのは、「自分はバカである」という思い込みが邪魔をしているからだと思っている。
「うぉんのすけはできる」「できるぞ」「頑張ればTOEICだって900点とれる」そう思って、頑張りたいと思う今日この頃・・・
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