夜の日記。
雪が積もった。
田舎で雪が積もると山の緑とか、空の青とかが全部なくなる。雪が積もって白色になると、それ以外が全部色を失って黒色になる。
一見味気ないようにも思えるが、色弱のわたしにとってははっきりと色を見分ける唯一の世界になる。
雪の降った日って音もなくなったように思うから、多分この世で一番シンプルな瞬間なんだと思う。見た目的には。
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先日NetflixでBUMP OF CHIKINのライブ映像をみた。
BUMPのライブは照明や映像での演出がとてもいい。ちかちかして目の奥に刺さるような感覚もなく、ただただ‘‘エモい‘‘という感覚だけが残る。わたしはまだ行ったことがないのだけれど、ウユニ塩湖やオーロラのように「死ぬまでに行ってみたいところ」には入っているくらい魅力的なものだ。
照明や映像での演出もさることながら、わたしが思うライブの最大の魅力はボーカル藤原基央さんによる‘‘歌詞替え‘‘だ。
藤原さんはこの‘‘歌詞替え‘‘をよくやる。ライブで歌う際は「こっちのほうがいいんじゃないか」と思い、歌っている最中に歌詞を替えるらしい。
例をいうと、天体観測からは
「そうして知った痛みを、未だに僕は覚えている。」が「そうして知った痛みが、こうして僕ら繋いでいる。」であったり、
記念撮影からは、
「とても楽しくて、ずるくて、あまり眩しかった。」が「とても眩しくて、ずるくて、あまりに愛しかった。」になったりする。
本当に「その時」にしか味わえないもので、一瞬を切り取ったものだとライブ映像ではあるがその場で涙を流してしまった。
また、間奏に歌詞を追加することもある。今回わたしが一番言いたかったのはここだ。
それは「望遠のマーチ」での間奏でのこと。
「与えられた居場所が苦しかったら、そんなの疑ったってかまわないんだ。」
ここで一番涙を流した。
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雪が溶けて元の景色に戻った。
山はたぶん緑だし、空はたぶん青い。はっきりとわかるのは雲が白いということだけだ。雪が降っていたころにあった黒さ、静けさはもうない。
普通に生きていて山は緑じゃないかもしれない、空は青くないかもしれないと思うことは少ない。
もはや、雲が白いかどうか、雪が積もっていたころにあった黒さも黒いのかどうかもわからない。
緑だの青だの白だの黒だの。田舎で生まれたこと。長男であること。クラス替えがなく中三まで同じだったこと。野球を続けたこと。頑張って教師になったこと。仕事を頑張っていること。
「みんながやっていることだから」と言わることが当たり前だと思ってしまう。
それが辛かったんだと思えるようにまでかなりの時間がかかったし、未だに疑うことを忘れてしまうことがある。
黙って当たり前だと理解するしかないことが世の中には多くて、「自分の意見」は誰かの中で勝手に「口答え」に変換される。
そうやっていつしか自分で自分を予測変換するようになるのだ。
これは当たり前なんだ、頑張らなければ、と。
疑っていきたい。疑ってやりたい。もっと色んなことを疑って、もっとちゃんとした場所で生きていきたい。