屍人荘の殺人

 先日映画を観てきまして、その感想を書きたくなったのでこのnoteさんのサービスに登録させていただいたわけですが、なぜ新しいサービスに入ってまで感想を書きたかったかと言うと、どうもこの映画についてのレビューサイト界隈での意見がある二点に集中しすぎていて、まあそれは自由に発言していいことなのでいいのですが、肝心の映画そのものの評価というかどこが良くてどこがダメだよねという話がなかなかしにくい状況にあるのがもどかしく、じゃあちょっと自分で書いてみるかと思った次第なのでした。

 ここで恒例の注意書きをしますと、


・この先、屍人荘の殺人の映画ならびに原作についてのネタバレを行いますので、未見、未読の方はご注意ください。


 ということで、その二点というのは「ゾンビ映画であるとは思わなかった」ということと「原作との差異」ということについてです。まず前者はもちろん原作未読の方の意見で、予告を見た限りではコミカルな探偵ものと思ったらゾンビ映画だったのでびっくりした、自分はゾンビ映画は嫌いだったので騙された、不快だ、もしくは期待していたのと違う映画でガッカリしたというものです。これはこれでわざとゾンビの登場を隠していたので当然の反応とも言えます。原作もゾンビの登場はオチというわけではないもののサプライズの一つではありますので、隠されてはいました。映画の宣伝はそれを踏襲したものでしょう。もちろんゾンビ映画だったら見ない、という人にも来場してもらえることを期待してということはあります。だからこの件に関して否定的な感想が来るのは制作側の予測の範囲内のことだったのかなーと思います。災難だったのは、期待と違っていたので楽しめなかったという人でしょう。これは難しい問題で、じゃあ最初から知っていたら楽しめたかというと、予想を裏切られることによる面白さもあるわけですから、一概には言えないと思います。例えるなら「フロム・ダスク・ティル・ドーン」という映画です。あれも強盗二人組が逃げたら、逃げた先に◯◯がいて、ある意味ジャンルミックスな映画で、おいおいそんな展開するのかよ! とびっくりすると同時に最高に盛り上がる仕掛けになっています。当時もひょっとしたら途中から不快になったという方やガッカリしたという方もチラホラいたような気がします。知ってたら観なかったのに、という人もいたかもしれません。でも私はあの展開を知らなかったおかげで凄く楽しめました。どちらにしてもその点が良かったとか悪かっただけで話が終わってしまったら非常にもったいないと思います。なのでこの話だけがワイワイ盛り上がるのもどうかなあと思うのは前述した通りです。


 二点目の「原作との差異」は、当然原作既読者の意見となります。この映画、実は原作と比べるとゾンビ登場という仕掛けや全体のストーリーやトリックはそれほど改変しておらず、忠実になぞっている一方で、登場人物関係の設定や描写や演出といった作品全体のトーンはガラッと変えているため、そこに不満を持つ方がけっこういらっしゃるようです。原作と違っているからとにかくダメという意見から、改変によってトリックのリアリティが減じているのでダメという意見、またキャラの設定を変えることでいろいろ意味合いが変わっていないか? などといった意見も見受けられます。当たり前のことですが、原作と変わっているからといって即ダメということは私は思いません。というのも小説は映画にするために書かれたものではないので、そのまま映画にすることができないのは当然のことなのです。そういったことも踏まえて、私がこの映画について抱いた感想を書いていきたいと思います(前置きが長いな……)。


 ちなみに私は原作は書店で見ていろいろな賞を受賞したという帯の文章を読んで即購入を決めました。しかし、新しいクローズドサークルといった惹句やタイトルの屍人荘という言葉から、ああゾンビに閉じ込められて、その中で殺人が起こるのだな、とすぐ察しがついてしまいました。だから本当のことを言うと、この作品を何も情報を入れずに読むことはできなかったので、そういう方の気持ちはわからないのです。ごめんなさい。とにかく買って帰って、しかし読まずに積んだままになり、映画化されるという話が聞こえてきてから、そう言えば買ったなと思い出して原作を読んで、その後に映画を観にいったのです。原作は前半はちょっと段取りで退屈なものの(まあ導入ですからね……)、後半からはゾンビパニックの中、殺人が起こってなかなか面白く読めました。ゾンビ登場からは一度も本を閉じることなく読み終えたと思います。この小説の面白さは、ゾンビが登場するというサプライズだけで終わらず、その中で起こった殺人の謎解きはきちんとミステリとして成立していて、なおかつゾンビが謎解きにちゃんと関わっているところです。決して「ゾンビじゃなくても何でもよかったじゃん」というような安直な作品にはなっていません。ちょっと強引なところもなくはないのですが、矛盾があるとまでは言えず、無理のあるところは「まあこの状況を成立させるためだからしょうがないよね」と許容してもいいかなと思える程度です。そしてこれは映画にするとなかなか面白いのではないかと思いました。


 本当に前置きが長くて申し訳ありません。そのように原作を楽しんだ私の目から見てこの映画、どうだったかというと、私はかなり面白いと思いました。これはこれでアリだな、と。決して原作を読んでこんな映画になるんじゃないかなー、そうなったら面白いだろうなーとイメージした通りの映画ではないんですけど、楽しんだことは間違いないのです。まず中村倫也扮する明智と神木隆之介扮する葉村のコンビが登場して、原作をさらにドタバタにした導入が描かれます。ここでああこんなにコメディタッチで行くんだな、とちょっと戸惑ったものの、まあこれはこれで面白いからありか、と思いました。これは役者さん二人が達者だから受け入れられたということもあると思います。このノリはさらに浜辺美波扮する剣崎が現れてさらに加速します。もうこれはなんでしょうね。アニメをそのままやってみましたというようなおかしなキャラクターで、普通は成立しないんですけど、浜辺美波さんはもちろん最高に可愛いので、まあこれもこれでいいやと思えてしまいます。そんなモロにマンガチックなテイストで全編を通していくんだな、と私もここで覚悟を決めました。で、ロックフェス研究会の合宿に参加することになります。原作では映画研究会だったと思うんですけど、そこを改変してロックフェスと直に関連させたのだなと思いましたが、これはまあなかなかいい改変だったのではないかと思います。で、ペンションに着いて他の人も出てきて肉を焼いたりとかしてましたが、この屋外のシーンでアレッと思ってしまいました。マンガチックなキャラと演出でリアリティ度外視の演出をしていくのかなと思いきや、屋外のシーンは凄く生っぽくて、なんかちょっと変な感じがしましたね。いろいろ事情があって、本当はもっと絵的に凝ったりギャグを詰め込んだりしたかったのができなかったのかなと勘ぐったりしました。


 こんな調子で全部のシーンを追っていくと終わりませんので、適当にはしょっていきますと、ロックフェスで何者かがウィルスを人々に注入し、バイオハザードが起こります。ゾンビというか感染者になった人々に襲われ、一同はペンションに逃げ込み、そこで主要登場人物と思われた明智さんがゾンビにやられてしまったりと、さらなるサプライズを挟みながら、ペンション内では謎の殺人事件が起きたりと、さんざんな羽目に陥るのでした。果たして葉村と剣崎はゾンビに囲まれた中で、無事殺人事件を解決できるのか? というところですが、正直、小説を読んでいたときは受け入れられたんですけど、ゾンビが襲ってくる様を絵で見せられたあとは、やっぱりどうしても、いやゾンビの方が脅威だろ、何みんな悠長にしてんだよ、というのは思ってしまいますね。逆に映像の力によって、言葉は悪いですが小説では誤魔化せていたことが誤魔化せなくなっていた印象を受けました。だから全体的にコメディタッチにしたのは正解なんじゃないかなと思います。どうやったって現実的に考えたらおかしいですもん。私も欲を言えば、ゾンビがもうちょっと怖かったらなーとか、ゾンビとの攻防がもっと激しかったらなーとか、周りを囲まれているという緊迫感がもっとあったらなー、というのは思うんですが、もしそこをちゃんとやったら、どんどんゾンビ映画として成立してしまって、そこで一人や二人死んだところで、謎を解きましょう! というテンションには持っていけないと思うんですよね。ここは本当に難しいところです。じゃあゾンビやめましょうとはいかない企画ですからね。


 あとはまあ原作通りに進むんですが、大きく違うところは、これ書いちゃいますけどある人物がですねー、原作では最初から合宿に参加しているのですが、映画ではゾンビ騒動と前後して途中から合流することになっています。なぜこうしたかというと、他にも人物がいろいろ改変されていて、たぶん原作のままだと、こいつしか犯人いないじゃん、とすぐわかってしまうのであからさまに犯人に見えないようにそうしたのかなーと思います。ただそのため、犯人だとわかった瞬間に、え、途中参加だったのにペンションの構造を熟知したトリックとか使うの無理じゃね? という疑問が発生してしまうのですが、それに対する答えはありません。これ原作もゾンビ発生はアクシデントだったのに、犯人がそれを利用したトリックを思いついて実行している時点でちょっとどうかなあと思ったんですが、でもまあそれはいいかと許すことはできたんです。映画だとそれに輪をかけて無理があることになってるなあと思いました。これはちょっといただけない点ですね。ただそれと引き換えに良い点もあります。殺人が起こる前に明智が葉村に「犯人がわかった」というシーンがありまして、その後ゾンビに明智が殺されてしまうので、その言葉の真意はわからずじまいなんですが、その前後の状況から、途中参加の人物の行動の怪しいところに気づき、いち早く意図を察知したんだなーと(推測ですが)わかるようになっています。これは原作にはないシーンで、素人探偵の明智が実は本当に凄かったんだと示す良いシーンなんです。だからこれを思いついてしまったので、少々無理があってもこのアイデアを活かしたかったのかなと思いました。


 そのようにちょっとまずいなと思うところも、そう改変した理由はなんとなくわかるので、私としてはそこまでダメだという感じはしませんでした。それよりも気になったのは、大変面白かったのに、後半にいくにつれてちょっと失速するような感じがしたんですよね。面白さがトーンダウンしていく印象がありました。原作とちょうど逆ですね。特にラストの謎解きのところとか、なんか段取りを消化しているだけのような気がして、そこまで面白いと思えませんでした。ミステリで謎解きといったら一番盛り上がるところのはずなんですけど、そこがイマイチ盛り上がらなかったのは、決して私が原作を読んでいるからということではなく、やっぱり途中の細かい部分、つまり推理の様子をカットしちゃっているからなんじゃないかなと思います。メイントリックは変更していないんですが、捜査の様子や、ああでもないこうでもないと推理を巡らせ、こうだと思って確認したら不発に終わったり、探しても何も見つからなかったり、一人一人にアリバイを確認したり、こういった地道なところが、原作はもちろんあるんですが、映画ではシンプルにしようと思ったのか、あまりありません。最小限になっています。しかし最小限になっているということは、探し物がすぐ見つかったり、探偵役である剣崎が最初からそうなることがわかっていて証拠を見つけているように見えてしまうんです。つまり当てずっぽうで推理してそれがたまたま当たったかのように見えてしまいます。わかりやすくしようと、地道な失敗を省いた結果、ミステリとして一番の面白さ、どういう捜査をし、どういう可能性を省き、どう真実に辿り着いたかという推理の過程を、あまり追えない映画になっているんです。私は、この映画は面白いと思うのですが、問題があるとすればゾンビまわりの設定とか宣伝とか、はたまた原作との差異とかコメディタッチの是非とかではなく、原作にはきちんとあったミステリ作品の醍醐味である探偵が真実を追い求めてそれに到達するカタルシスというものがちょっと味わえないという点において弱いかな、と思いました。なので全体としては好きなんですけど、惜しいなということも感じました。


 最後に、話題作の映画化とはいえ、このようなちょっと変わった映画と言いますか、他にはないような挑戦的な内容の映画が作られたことは凄くいいことだと思います。これがあまり内容とは関係ないことで騒がれ、もう変わった映画を作るのはやめよう、今までと同じような無難な映画だけ作ろう、などというような風潮になってしまっては残念だなーと思ったので、そういう思いを込めて書いたつもりなんですが、なんだかとっちらかった文章になってしまいましたね。本当にこれ、娯楽映画としては近年稀に見る変な映画なんですよ(褒めてます)。これはこれで満足はしていますが、私は例えばこれが70年代にカルト映画をいくつも手がけた石井輝男監督であったら、この原作をどう映画化したかだろうかとか、デビュー作で「HOUSE ハウス」というようなカルトホラーを撮った大林宣彦さんならどう撮ったかなとか、ゾンビ絡みでいうなら「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督であったら、「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督であったら、どんな映画にしたかなというような妄想をして楽しんでいます。なんか書きたかったことの半分も書けなかったような気がしますが、そんなところですかね。

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