ブレードランナー

 本日はひょっとしたら私のオールタイムベストワンかも知れない映画「ブレードランナー」について語りたいと思います。この映画はいろんなバージョン違いがあるのですが、いっしょくたにして書きます。

 まず最初に観たのが劇場公開のときです。何故か私の地方では「燃えよドラゴン」と同時上映だったのですが、むしろ望む所だと喜んで観に行きました。初見は非常に不思議な感覚だったと思います。それほど娯楽映画としてサービス満点だったわけでもないのですが、深いエモーションを得て満足度は満点でした。まだ私は若かったので、この映画の全てを味わい尽くせていなかったと思います。この映画の面白さを「渋い」という単純な言葉で分類していました。そしてこういう映画もいいものだなあと思っていました。

 その後、ビデオがリリースされ、もう一度観てみると、とにかく世界観というか、近未来世界の構築に全く隙がないことに気付きました。とことんまでリアルで、本当にこういう世界に将来なりそうな感じです。ウソっぽいところがありません。そしてその街を主人公といっしょに探索しているような気分になります。後にも先にも、SF映画でここまでの近未来をリアルに描いた作品はないと思います。リドリー・スコット自身ももうこれ以上のことは出来ないと思います。そのくらい凄いと感じ、またそれを映画で観ることが面白いというのが新しい発見でした。

 それからフィリップ・K・ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読みました。意外なことにかなり原作と違います。その後私はディックのファンとなって著作のほとんどを読んだのですが、そうなってから再び「ブレードランナー」を観てみると、ストーリーは違うものの、やはりディック原作の映画化作品の中では、一番作品世界のニュアンスを汲み取っている映画だと思いました。

 それは世界観のみならず、レプリカントというアンドロイド(レイチェルのことです)が、偽の記憶を与えられ、自分は人間と思い込んでいるという設定をちゃんと生かしている点です。だからその点をデッカードに突っ込まれ、ショックを受けて脱走してしまうのですが、果たして自分が人間と思い込んでいるデッカード自身はどうか? 人間とアンドロイドの違いとは何なのか? という方向に観ている方が思いめぐらすわけです。この点は最終版においてもっと強調された部分でもあります。

 ハリソン・フォードがヒーローでない普通の人間を演じていることでも話題になったのですが、やはりこの人はやられている時の演技が絶品だと思います。蛇使いのレプリカントに首を絞められたりチョップされたりする時のリアクションは何度観ても感心します。このデッカードの情けなさが最高です。ブライオン・ジェームズ扮するリオンとの死闘も何度観たか分かりません。銃を抜いたら速攻で弾き飛ばされるのですが、画面の奥にもの凄い勢いで銃が飛んで行くのは、あれは何か特殊撮影でやったのでしょうか。地味だけどアンドロイドの凄さがよく分かるシーンです。

 SFにも関わらず説明が必要最小限なのもこの映画のいいところだと思います。そのせいで何回も観てやっと気付くところもあるのですが。本当のことを言うと、私は最初の公開バージョンのデッカードのモノローグが結構好きだったりします。あれが映画会社に言われて、監督もハリソン・フォードも反対したのに無理矢理挿入されたものだと知った時は少しショックでした。その後、最終版以降のバージョンではモノローグは削除され、デッカードの夢が追加され、ラストも変わったのですが、モノローグだけは残して欲しかったと思います。最終版を観て、「なくても分かるな」と思ったのですが、それは一度モノローグありバージョンを観ているからだと思うのです。まあそんなことを言ってもどうにもなりませんが。

 ついでに言うと、最初の劇場公開バージョンの強引なハッピーエンドも嫌いじゃなかったりします。内容は違いますが、原作もディックの作品にしては珍しく、まあハッピーエンドなんですよね。その後、続編として「ブレードランナー2049」という映画が出来ましたが、私はまだこれを観ていません。何と言うか、やっぱり観るのが怖いのでしょうね。いずれは観ると思いますが、その心の準備が出来ていないという感じです。ただリドリー・スコットが監督するのでなく、ドゥニ・ヴィルヌーヴという次世代の監督さんになったのはいいことだと思います。って観てないのに言うのも変か……。いずれその感想は見た時に書こうと思います。

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