BUONO、PULITO E GIUSTO
私にとって、アレッシュ(MOVIA)の閃きを聞くのは大きな楽しみだ。今までに何度となく、上り詰めた者の「悟り」の体験を言語化しその境地に導くかの如く、「これはいける」と言うようなことをよく語ってくれた。その一つが次の抜粋内容。以前、日本のスローフード季刊誌に寄稿したものだ。
スローフードのスローガンは、果たして正しいのか。スローフード・スロベニアの総裁、アレシュ クリスタンチッチが鋭く切り込む。
「BUONO、PULITO E GIUSTO(おいしい、きれい、ただしい)と言うが、果たして本当にPULITOで良いのだろうか。確かにPULITOと言えば聞こえは良い。でも見方を変えれば、それはPURO(生粋)でなくなったものともなる。例えば濾過されたワイン。見た目は奇麗だが、本質を失った見せかけのものだ。そんなものがVERO(本物)であるはずがないし、本物でなければ、結局、美味しくも正しくもないはずだ。」
現在MOVIAが提唱するのは、生粋な、元の形を残したワイン。その代表がPURO(プーロ)とLUNAR(ルナール)である。父ミルコから引き継いだ伝統のワイン郡に、アレシュが新たに投入した銘柄だ。前者は、三年間樽熟成させたワインに同じ畑で穫れた新しい葡萄の絞り汁を加え再発酵させた発泡性のワイン(シャルドネ主体の白とピノ・ノワール主体のロゼ)で、澱切りをせずに出荷。後者は、白のリボッラ種の葡萄を表皮ごと樽に詰め込み醗酵、八ヶ月間の熟成後に無濾過でボトル詰めする。両者は、元々異なる構想の下に生まれたワインだ。その位置関係は百八十度の対角線上ではなく、一つの円上で隣り合う点と点のようなもの。言わば「最も近くて遠い仲」となる。その接点が、アレシュが言う「生粋さ」である。
このような始めから澱がたっぷりと入った生粋の自然なワインを口にした時に、皆さんもきっと私たちのようにホッとするのを覚えられるはずだ。それは、残留農薬等が検出される飲食物を本質的に「きれい」だと思う心が誰にもないように、「おいしい、きれい、ただしい」世界の必要条件が自然派であることを、無意識の内に皆さんの体が知っているからである。(以上抜粋)
最後に、最近アレッシュの口から出た一言で、私に大きな閃きを与えてくれたこと、それはGRAND VINとBON VINの違い。分かるかな?答えは、二十年後に前者は残っているが後者は残っていない、ということ。何故?単純さ。後者は美味しいからすぐにみんな飲んでしまう。だから残らない(例え前者になる潜在能力があってもね)。そして私が欲しいのはこの後者、BON VINだ。
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