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オリンピックによる分断を防ぐためにも早期の決断と冷静な議論を

先週末くらいに五輪に関する賛否の報道がいくつも出ています。口の軽い元生地の軽口のせいで叩かれたりと、政府も対応が難しいのはわかりますが、先延ばししないで早く結論を出して欲しいです。あ、何がなんでもやるというのが結論?何がなんでもやるのかという問いに、例によって努力するという精神論、根性論に終始しているので、明確にして欲しいものです。

賛否の記事が続々

実際のところ、報道にしろ国民の声にしろ、賛否両論が飛び交っています。

自分の立場を書いておくと、コロナ禍以前に東京五輪反対ですし、そもそも五輪自体、今のやり方ではSDGsの世の中でやることかと思います。

賛成論について

今の反対デモ行進や、中止署名については、背後に破防法調査対象団体の影が見え隠れしているので、これらに与する気はありません。指摘しているような「意地悪な考え」とやらが全くないといえませんが、それが7割の反対論の多勢とは流石に思えません。

いろいろ要因を考えるべきだというのは理解できます。が、現に苦境を訴えている医療従事者に対して「医療従事者の疲弊や不満の矛先が『東京五輪』に向くことが正当化されるのは、おかしい」とまで言うのは言い過ぎでしょう。それとも、喧嘩を売っているのでしょうか?まあ、スケープゴートになっている面も確かにあると思います。政府が強行に開催を進めているので、仕方がない面もあると思います。

この記事では色々と反論をされています。これが正しいのかわかりませんが、そういう説明を政府も組織委もしないのが問題ではないですか?それを棚に上げて反対を唱える医療従事者や国民を非難するのは違うと思います。

また「東京五輪を中止するより開催する方がコロナ対策においても大きな進展がある」という可能性に目を向けることも重要」とも書いていますが、これも本末転倒です。反対派の国民としてはオリンピックを優先するのはおかしいと言っているのに対して反論にもなっていません。今後の感染症対策も含めてこういう大規模施設、体制を組みます。その試験も兼ねてまずは五輪で試したい、というのであれば理解できますが、逆はないです。

あれこれ個別に反論しても仕方ないので最後に。記事の最後のほうにこのように記載されています。

いま私たちは、最大限、コロナ対策に留意し励行しながら、一方で「できる限り、自分に与えられた仕事や日常生活をやめない、可能な形で維持し続けること」をそれぞれが目指し、最善を尽くしているのではないだろうか。

何か誤解しているとしか思えません。都知事や政府は「人流を止めて下さい」とずっと言っています。対策に留意しながら日常生活を可能な限り続ける、なんて言っていないと理解しています。飲食店の営業の自粛を強権的に要請し、うるさいところは緩和しつつ、うるさくないところは締め付けて、仕事についても極力テレワークと制限を強いています。
見直すところは見直して対策を変更していくのは当然ですが、声の大きいところには従って、声なきところは何もしない、根拠もない小手先のカイゼンを繰り返しているだけに見えるのが最大の問題かと思います。

国民に対しては「不要不急」、「最低限」を強いているのに対し、オリンピックに対しては最大限でやろうとしているのですから、そりゃ反発されるのは当然かと思います。

背景には、「スポーツは不要不急な行為」「オリンピックは、IOCや一部の政治家、スポンサー企業や広告代理店のお金もうけ」と決めつけ、だから「やめたって構わない」という安易な、そして意地悪な心理が働いていないだろうか。

そこまでいうなら、なぜ今オリンピックなのかを説明して欲しいです。以前は「コロナ禍を克服した証として開催」と言っていましたが、流石にそれは口に出さなくなりました。スポーツの力とやらはオリンピックじゃないと国民に力を与えられないのでしょうか?それなら、スポーツの力なんて大したことないですね。

ことは日本だけの問題ではないという意識がスポっと抜けてるように感じます。日本ではまあ感染対策を実施して、オリンピックを開けるのだとしましょう。
では、そこに参加する選手は?世界中には練習もままならない選手が多数いると思います。世界中のアスリートが本当に今、オリンピックを求めているのでしょうか?世界の国々のワクチン格差が問題になっている中、ワクチン接種も進み、国からの支援も受けて練習も万全な国の選手と、ワクチンもなく練習もままならない国の選手が、一同に関して競い合うのがオリンピック精神なのでしょうか?そこに本当にスポーツの力があるのでしょうか?

中止で失われる選手や関係者の努力や情熱云々というのはわかりますが、この1年間に学生生活や部活動の場を失った学生、就職ができなくなった学生、仕事を失った社会人は大勢いるし、閉業せざるえなかった店舗、企業が山ほどあります。
だから選手も同じ思いをすべきという話ではありません。そうではなくて、そうやって苦しんでる人がたくさんいる中で情熱云々言っても理解されると思えますか、という問いです。

夢を追いかけるのは素晴らしいですし、どこまでも突き進んで欲しいものです。でも、当事者ぶった他人が夢を潰すのかと他人に迫るのは卑怯に感じます。

反対論について

朝のワイドショー番組で橋下徹氏はリスク論ばかりいうのは危険みたいな話をしていましたが、それは意見を述べる側が考慮する必要があるとは思いません。感情論や上でいう意地悪で言うのは論外ですが、淡々と事実を指摘してリスクを唱えるのは問題ないと思います。

橋下氏はリスクだけで言うなら、オリンピックはよくて(三木谷氏が擁する楽天の)野球は良いのか、という話も出てくるのではないかと指摘していましたが、そもそもオリンピックは規模が大きいことがリスクという指摘と自分は理解していますので、これは言いがかりでしょう。規模が10倍になれば影響は10倍ではなく100倍になり、100倍になれば10,000倍になると考えた方が良いです。
流石に、橋下氏はそれは理解した上で、そういう反論が出てくるということを言いたいのだとは思います。

リスクを指摘することは問題ではなく、それに対して対策を打つのが当たり前の考え方と思っています。流石に政府、組織委も何もやってない訳ではないと思いますが、国民に対して「安心・安全な大会を開くように努力する」しか言わないのが問題と思います。
自分の部下が仕事について「最大限努力します」なんて報告上げてきたら、それ具体的にどうするのとツッコミますよ。それはパワハラなんですかね?
実際問題、いくら言っても根拠なく今日中にやります、今週中にやります、今月中にやりますしか言わず、結局、できなかったり、できたと称するものを見てもお話にならないものしか上がってこないという同僚がいました。あれで同一業務同一賃金なんですから泣けてきます。個人的には首相答弁を見ると当時のことを思い出して、非常に気分が悪くなります。いや、比較するのは大変失礼であることは理解していますけど。

事実に基づいた議論を淡々と

正直、上にあげた賛成記事みたいな陰謀論めいたことを書いている時点で、その記事を評価することはできないと思います。あんなこと書いたら、言われた方はいい気がしないのは理解できますよね?ますますムキになって反論、反対されるだけなのですが。もしかして、煽っているのかな?
(え、お前もだろって?まあ、受け取り方は人それぞれなので否定はしません)
それが数字、データに基づいた分析によるものならともかく、ほとんどが私見に見えました。
あの記事中にもデータや事例に基づく反論はあり、そこはなるほどと思う部分も多々ありました。そういうのを政府なり、組織委なりがもっと発信すれば良いのにとは思います。もちろん、首相会見で事細かに説明できないのはわかりますが、なら続きはWebで、ではないですが、詳細な資料はどこそこにあります、とできないのでしょうか。

政府は何のデータも出さないし、そもそも都道府県や市町村が個人情報であるとの大義名分で感染者のデータを国にあげてないので国も詳細を知らないという話も聞いたことがあります。個々の対応、対策の是非なども大切ではあるのですが、そういうところよりももっと根本的な部分をなんとかしないと、そもそも議論にもならない気がします。

与党も野党も自分の失敗は認めず、他人の失敗は殊更に責めたてる。そういう状況では改善は進まないのですが、とにかく議論できるようになって欲しいものです。ビジネスでは下記は当たり前の話だと思うのですが、政治になるとどうも感情論、精神論、根性論が蔓延るようです。まあ、ビジネスではこれらで語る人も多いですけど。

・事実に基づいたデータ、数字で語る
・失敗を責めるのではなく、次に活かす
・責任範囲を明確にする

拙い記事でございますが、サポートしてもよいよという方はよろしくお願いします。著者のやる気アップにつながります。