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「公共」とは

昨年の大晦日、一般財団法人WPHの皆さんとのzoomが機縁となり、今年9月14日に京都フォーラム共働研究会で発表させて頂ける事になりました。その時の発表内容の紐解きと受け取り直しを少しずつ共有できればと思います。

今回は発表タイトル「公共する世界をつくる」の「公共」とはです。

京都フォーラムの矢崎理事長との出会いは、15年位前になりますが、今年で解散する「経営の王道を学ぶ、企業家のための経営塾」盛和塾でした。

矢崎理事長は当時盛和塾大阪の代表世話人、私は当時盛和塾京都の塾生としてご縁を頂きました。毎回例会後に矢崎部屋という盛和塾での勉強内容の高次な受け取り直しの対話の場が在り、大阪の塾生さんに誘われてよく参加させて頂いておりました。また当時大阪塾は例会の往復をバスにされ、往路復路とも車内を学びの場とされていたり、独自に合宿をされていたので、そちらへもできる限り参加させて頂いておりました。

ある日「小畑君は駅のホームで目の前が人が小銭入れをひっくり返したら貴方はどうしますか?」と突然尋ねられました。

「思わず小銭を拾います。」と答えると「それ公共なんですよ。人は公共というと税金で道作ったり、橋渡すことばかり考えるけれども、あんたが小銭拾ってあげる事が公共なんやで、気付いてへんやろ。」と教えて頂きました。

確かにそれまで「公共」という言葉に付いてはあまり考えたことはありませんでした。更に「公共哲学」「内発的公共性」も教えて頂きました。

私の発表内容は「公共する世界」を対話・リフレクティングプロセスで作ろうと、それが「マコトノハタラキ」に繋がるという発表内容です。

「公共」という言葉は、「私」とか「個」と、二項対立する言葉や概念なのかもしれませんが、私を離れて外の世界にあるのではなく、私たちの内奥にあるのかもしれません。

皆さんも「公共とは?」と考えてみて下さい。

次回は引き続きタイトル内の「対話・リフレクティングプロセス」について受け取り直してみたいと思います。

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