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いのちの文化人類学[本の紹介]

現代医療はサブ・カルチュアだ

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"文化人類学や民族学の研究資料は、現代の私たちの生活の状況や慣習やものの考え方とは大きく違うものを提示してくれる。
(…)それを単なる比較の対象や、過去から現在に到るまでの変化の大きさを知るための手がかりとするだけではなく、むしろ現在の私たちの生き方がどのような意味を持っているか(p24)"

 

ひとこと紹介

小説よりも奇なりな事例が散りばめられて、まず読み物として面白い。
西洋医療と各文化に根ざした民間医療や伝統医療との違いのなかで
とくに大きなテーマ「生・病・死」を取り上げ、背景にある「生命観」の違いを浮き彫りにする医療人類学の入門書。



親子(血縁)関係というのはそれほど自明な存在なのだろうか?

ではイエは永遠だ(った)ろうか?

あなたは実は大いなる魂からランダムで選ばれた子宮を借り物に生まれ、

夢で見た動物は守護霊で、語り継がれる伝説上の人物の生まれ変わりではないのか?

そうではないと、誰が決めたのだろう?

引用で紹介

ヘアー・インディアンにおける「いのち」
”動物を守護霊とするということは、自分たちと周囲の野生動物との間に「いのちの交流」を認めているということである。"
(p25 -- 誕生と生育 第一章 いのちの流れ)
ヘアー・インディアンは男も女も守護霊を持っている。彼らの守護霊はビーバーやテンやクズリ(イタチ科の哺乳動物で体長1メートルくらい)などの動物であり、子供も3歳ぐらいになれば守護霊がなんであるかを、自分の見る夢によって知っている(…)
例えば、ヘアー・インディアンは他の人々から離れて一人で「休息」していることがよくあるが、そんな時、周囲の人々はその人をほおっておく。なぜなら彼あるいは彼女は自分の守護霊のことばに心を傾けるという、人生において重要な行為をしているからだ。
(『ヘアー・インディアンとその世界 '89 原ひろ子著』)
「昨夜の夢。二人の老人が死んで、それぞれ孤独に並んでいる。彼らと共に、永延に、証人もなく、痕跡もなく、驚くべき歴史が消滅したのである(私は知っていたが)。ひどく悲しい。絶望。私は控えの部屋に退いて祈った。私はじぶんに言っていた。もし神が存在しないなら、一切が終わったのだ。一切は不条理だと。目を覚ますと灰の味がした。」
(p159 生きた証ー死と再生 第一章 変貌する死者儀礼 

宗教人類学者エリアーデの手記より「驚くべき歴史」)
”現代医療がサブ・カルチュアであることを一般の人々にもわかるように示した端的な例は脳死における議論であった。

(p147 死の判定--病と癒し 第五章 サブカルチュアとしての医療)”
「科学もまた社会全体によって認められて初めて知識の体系として存在することができる」ということの良い例が、ヨーロッパにおける地動説が認められるに到るまでの経緯である。
(…)ガリレオガリレイが「それでも地球はまわる」と叫びながらも教会の圧力に屈せざるを得なかったのは、全体文化としてのキリスト教文化は当時の新しい科学知識を認知しなかったからである。


著者 波平 / 恵美子 さん

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42年、北九州生まれ。
日本人の伝統的な世界観を説明するタームとして柳田國男の提唱した「ハレとケ」
に対して超有名な「ハレ・ケ・ケガレ」 という三項対置の概念を示したテキサス帰りの女性人類学者 
日本の構造主義者の走りみたいな、要するに頭のいい人 
(*葬式はハレかケガレか?という議論など。) 
元 日本文化人類学会 会長。 現在お茶の水女子大の名誉教授。
専門は文化人類学、特に医療人類学、宗教人類学、ジェンダー論 著書多数。


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