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犠牲≠Happiness?

『犠牲』ってあまりいい印象はないよね。犠牲を払ってまで〜とかね。知らず知らずにバイアスがかかっている。そんなに嫌悪するほどの言葉なのか、考えてみた。


◆犠牲(スーパー大辞林  様より引用)

1、目的のために身命をなけうって尽くすこと。
  ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。      また、そのもの。
2、「犠牲者」の略
3、神にささげるために生き物を殺すことやその儀礼。           また、その生き物。いけにえ。


ラグビー日本代表の方々が使われていた「犠牲」という言葉

「この時のためにすべてを犠牲にしてやってきた。最高の結果を出せて本当にうれしい」
「いろいろな人が沢山の犠牲を払ってきました」
「誰も僕らがどれだけのものを犠牲にしたか分からないし、信じているのは僕たちだけ」

という言葉たち。イメージとしては悲しい、否定的な言葉を使っているのにそれがあったからこそ今ここに辿り着けたんですというように、必要なものという印象で全くマイナスなイメージは持たない。

どのような言葉を選び、使うのか、それは、使う人によって変わります。また、使う「言葉」がまったく同じであったとしても、相手との関係性や受けとる人によって感じ方が変わります。

「必要な結果」を手に入れるためには「重要な過程」が存在するという事。その『重要な過程』に犠牲が含まれているという事です。

そんなに嫌悪感抱くほどなのか?

家庭で言うなら、お父さんは家族を養うために残業も休日出勤も頑張っている。家族に良い生活をさせてあげたいからだ。しかし母親は家族の時間を作ってくれねいと不満を言う。

う〜ん、大きな結果に向けて(なんなら幸せになるため)の多少の犠牲(時間とか)なイメージなんだけどな〜、それも大事な過程だから必要だと私は感じる。大なり小なり身近に存在する言葉だ。

何かを得るには何かを失う。何も失いたくない、でも幸せになりたい?それは申し訳ないけど甘ちゃんになってしまう。

自己犠牲に嫌悪感を抱く人は多いかも知れない。会社に属しているなら一度は思った事があるかも知れない。

なぜこんな事ばかり私がしなくちゃいけないのかとか、本当はやりたいのはこっちなのにとか…

会社とかチームとか何かに属しているなら多少の犠牲は過程に過ぎないと思うんだけどな〜。あまりに理不尽な事は論外として…

私はあれがしたい!こっちがいいの!これじゃない!って言うのなら何にも属さず自分で稼ぐしかないよね。

どちらを選ぶかは自分の意思ですね。

アニメのキャラクターで言うと主人公はあらゆるものを犠牲にしている。世界を救うためとか、人類を救うためとか壮大なゴールがる。それを叶えるためには無傷ですまない事はわかっているから。しかし究極に自己犠牲!とても現実の世界ではありえないわ〜と思ったでしょ?

実は現実の世界にもあったんだ。

『塩狩峠』

このお話を美化して終わらせてはいけないと思っている。

色々考えるきっかけになればと思います。


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