『引きこもりだった俺は、異世界転生してもまた引きこもる。/たかあき』感想・考察

(※注:これを書いた後に作品が変更され、本レビューで指摘しているところとは異なる点が生じておりますが、そこは以前書いたレビューということでご容赦ください)

 2019/06/20~2019/07/08 23:59にカクヨムにて開催されている企画「キャラクターが精神的に追い込まれる短編集まれ!」参加作品、
『引きこもりだった俺は、異世界転生してもまた引きこもる。/たかあき』
の感想・考察記事です。

 夜、フォロワーさんが人生について考えているのを見ていてこの作品のことを思い出し、濁して終わらせるよりも正直な感想を書いておこうとツイートしたものを元にこの記事を書いています。

 人生。主人公氏は人生について絶望と諦観を抱えていたわけですが、ヒロインからはそれは本人が言い訳のように抱えたもの、本人の意志で抱えたものでしかないって言われててなんか残酷だなあと思ってしまったわけです。そりゃ確かにそういう一面はあるかもだけど、それを本人に直接叩きつけるってのは相当な荒療治だよねって。そして、「引きこもり」とはああいうやり取りで本当に前を向けるものなんだろうかと疑問に思ってしまった。

 しかしあの主人公氏、追い込まれてるときでも妙な余裕というかあそびというか思考のキレがあって、何かこう、私にはよくわからなかったんですよね。
 あの主人公氏には「追い詰められきって疲弊した人」によく見られるエネルギー切れ現象が起こっていなかったように思う。それは異世界転生によって周囲の環境が変わり、「劣等感・焦燥感」から解放されたことも関係しているのかもしれませんが、プロローグでも、他人に呪詛を吐く気力がある。自分は他人に呪詛を吐いてもいい人間だと、そういう自負が、自尊心がまだ残っているのです。
「生きて、動いて、何かをしようと踏み出してさえいれば……何でもできたくせに」
 ヒロインの言うとおり、元の世界の主人公には何かをする元気があったのでしょう。外に力を向ける元気。呪詛を吐く元気。冷静に現状分析をして次の手を考える元気。情報収集する元気。思考を回す元気。世界から情報を受けとり解釈できる元気。そういった元気があったのでしょう。そうでなくては残酷すぎる。追い込まれ疲弊しきって、前を向く気力はおろか、ベッドから起き上がる気力も指一本動かす気力も眠りから覚める気力すら失った人間に対して「踏み出してさえいれば何でもできただろう」と言うのは残酷すぎますからね。
 ともかく、主人公には元気があった。だから、ああいう荒療治で潰れきらずに前を向くことができたのかなあって。
 いやまあ私はその分野に全然詳しくないので全部勝手な憶測にすぎないんですけど。

 主人公が前を向けたのは異世界転生して環境が一新されたことも要因の一つだと作中では示されていますが、生前の主人公は異世界転生など「くだらない」と思っていた。
「これまで何かを変えられなかった人間が、ちょっと違う世界に行って環境が変わったからって、何かを変えられるわけがねぇだろ。」
 この脳内発言も、ん? と思ったんですよね。これまで何かを変えられなかった人間、というのは主人公の考えるテンプレ異世界転生する他者のことでもあるが、主人公自身のことでもある。それをこのように全くの他人事めいて発言できるものなのだろうかと。
 まあ、主人公氏は頭が良いから自分のことを第三者的客観的にとらえることができる……そういう描写である可能性もあります。しかし、そう切り捨ててしまうと面白味がなくなってしまうので私は深掘りします。
 主人公は他人事のように距離を取って発言しなければ耐えられなかったのではないか。
 全て世界が悪かった、その時点ではそう思っている主人公が、世界が変わっても「自分」は変われないという事実を脳内であっても口に出して「実感」できるわけがない。精神が耐えられないんですよ。追い込まれ度が一段階進んでしまいますからね。
 で、それは置いておいて、結局主人公は異世界転生して「変わった」わけです。「世界による重圧からの解放=新天地への移動」+「第三者の支援」の完璧なコンボによって。

 Twitterでの感想では女嫌いと表現してしまいましたが、そう、この小説って結構「女」絡みの描写に癖があるんですよね。
 例えば、主人公さんが過去を思い返すときに「彼女がいた」ことを絶対に盛り込んできたりとか、元カノのことをずうっと気にし続けている(社長の妻になったということをわざわざ意識に上らせる)かと思ったらそんな風に自慢であったはずの彼女という存在に対して「性欲だけで動く馬鹿な女」と表現してみたりとか(自慢の彼女だったのか、それとも見下していて大嫌いな彼女だったのか、矛盾しています。まあアンビバレントな感情を抱いていたのかもですが)、ヒロインや幼馴染の外見描写が執拗でやたら長かったり(ヒロインとの初対面時は18行)、ヒロインの可愛さの描写をするシーンでわざわざ「いかにもちやほやされてきましたって感じで」などと棘のある一言を入れてみたりとか。
 何かこう、違和感があるんですよ。引っかかる。そしてそこには必ず「女」という共通点がある。たぶんそこには何かが、何らかの感情が存在しているんですよ。そうじゃなければこんなことにはなりません。おそらく主人公さんは「女」に何らかの執着がある。好きか、嫌いか、あるいは両方……アンビバレントな感情か。そして、そのことを聡明で自己分析が得意なはずの主人公さんは全く自覚していないわけです。それが私には少し恐ろしい。
 主人公さんのこの歪みは、本企画の同じ引きこもり作品『きみとストーキング』の主人公、ヒッキーちゃんにはない歪みです。同じ引きこもり主人公同士でも何かこう、読者がぎょっとなってしまうような歪みを持っているか持っていないかの違いというものがあるわけです。
 そういった主人公さん特有の歪みが気になってしまって、私は彼のことをいまひとつ好意的に見ることができませんでした。

 まあ、ぐだぐだと述べて参りましたが、私の本作品に対する感想はそんな感じです。
 すごいご作品だとは思いますし、読んだ読者にインパクトを与え何かを考えさせるようなパワーのあるご作品だとも思います。そしてそれを書かれた作者さんがとても素晴らしい実力のある方であろうことも。
 ですが、それとこの作品が私に合わなかったこととは別の話です。まあミスマッチといいますか、しかしそれでもここまで感想を書かせるというのはやはりすごい作品なのです。
 最後に、連載途中での企画参加でしたが、この物語がよい結末を迎えてくれることと、今後のご活躍を祈って結びの言葉とさせていただきます。
 それでは。

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