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懐古の話は適度に美化され居心地が良い

過去の話・懐古の話・思い出話 年齢を重ねるほどそういった話が酒の肴になると思います。私も大好きです。インターネットの話、それも私が生きたインターネットの話をするのは特に好きです。同じ時代に生きた話を聞くのも好き。

当時、おもしろフラッシュ倉庫から導線貼られていた数多のフラッシュやMAD動画。「千葉!滋賀!佐賀」 や「赤い部屋」, 「小小作品」「Nightmare City」など挙げればキリがない。動画を当時見ていた人と話すと、例えその動画のタイトルを思い出せなくてもニュアンスを伝えれば『見てた』『あったね』みたいに話が弾みます。この同意・共感・懐かしみ から共通認識を形成していき、さらに会話は進んでいく。楽しい。忘れられない。好きです。

また、私にとってインターネットでの交流は『もなちゃと』『前略プロフ』『2chのなりきり掲示板』『MapleStory』が初期に当たる。

前略プロフにキリ番置いて、掲示板で交流して全てが懐かしい。もはや半分ぐらいは記憶が改竄されてて嫌なこと・荒らされたことすら忘れている。一方で前略プロフをやる以前からインターネットに浸っていたため、『顔写真を晒さない』『本名・個人情報は言わない』『適度に話すことに嘘を混ぜる』みたいな事を徹底してたことを覚えています。握られたら最後は終わるって感じです。今のオープンコミュニティ・SNSの時代とは真逆をいってましたね。
だけれど、インターネットで仲良くなった人と実際に会う いわゆる オフ会もここで初めて体験して、【歳も世代も違う人と遊ぶ しかも敬語とかはないあの感覚は同年代の友達と遊ぶ感覚と違い】いまも貴重な経験となって今も生きてる気がします。(オフ会で出会った私とさほど変わらない人がロリータファッションをしていて、そこで♡になってしまったのです。今にして思うと中学生でロリータファッションってどこからお金が出てくるんでしょう。社会人となった今ではそこまで高くなくとも学生にとっては高価な金額。不思議ミステリーって感じです。)

インターネットリテラシーを当時の殺伐とした地下世界で身につけたし、大人(社会人)は全員が聖人でないこともインターネットから学びました。大人が全員働くわけじゃないことも、舐められたら終わることも学びました。

投稿・配信という経験もこの辺りで初めてしました。音質の悪い備え付けのPCマイクで録音して「ねとらじ」「こえ部」に投稿したあの日。自分の声を改めて向き合って好かないと認識したあの日。声劇が楽しかったあの日。深夜に厨房のトークを聞きにきてくれた数人の視聴者。ある意味あの時が最も発信をしていたといっても過言じゃないかもしれない。

私の世代だと、そこから「ニコニコ動画」「モバゲー」「mixi」「ピグ」と進んでいきます。この「ニコニコ動画」が良くも悪くも私の人生の根幹の一つを変えたといっても過言じゃない。今でも懐古の話をする際に『ボーカロイド』や『東方』、『アイマス』のいずれかの話は通じることが多いです。
特に、私と同年代であれば『ボーカロイド』はカラオケの鉄板ではなかったでしょうか。
「メルト」「ワールドイズマイン」「裏表ラバーズ」「モザイクロール」「千本桜」といった2007年〜2011年ぐらいは本当によく聞いたし歌った。
社会人になった今カラオケに行く機会はそこまで多く無くなってしまったが、もし同年代で行く際に歌えば同じクラスタであれば認知して盛り上がる。『ああ、懐かしい』と。久しぶり・遠い彼方にある記憶が呼び覚まされる感覚のドーパミン? 快感がたまらない。

それ以降についてはみなさんご存知の通り「LINE」「YouTube」「Instagram」「TikTok」と続いていく。もちろん「YouTube」なんて「ニコニコ動画」より前にあったけど、確かにあの時・あの時代は「ニコニコ動画」の方が好みの動画が多く文化も好きだった。

おわり

なんで、こんな記事を書いたかというとここ一週間で様々な人と生きた時代のインターネット懐古話をしたからである。今と比較すると今も良いけれどどうしてもインターネット懐古話は早口になる。オタクだ。

ニコニコ動画も15周年を迎え、特設サイトでは思い出が美化され都合の良い綺麗なランキングを形成している。ボカロ曲に懐かしみを感じるもやっぱりあの地下の無法地帯を知っているからこそ、違和感しかない。再生できなくてもよい、こんなことがありましたと歴史を表示してくれた方がよかったなとも思ってしまいます。

思い出は美化されるが、改竄されすぎるとさすがにわかる。


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