【第9回】推薦図書紹介1/保守とは何か〜思想家・福田恆存を学ぶ2

 皆さんお久しぶりです。幹事長の枯川山茶(@SasanquaP_R)です。毎度毎度國策研noteをお読み下さり本当に有難うございます。秋学期になり対面授業も少しずつ復活し、キャンパスにもコロナ禍以前の雰囲気が戻ってきた…と言うにはまだまだ早いかもしれません。が、アクティブに活動ができなくてもサークル活動を疎かにしてはいけない、松明を絶やしてはいけないという一心で会員共々励んでいる次第です。
 今年も有望な新入会員の方々がたくさん入ってきて下さいました!今年はTwitterをはじめとするオンライン新歓が功を奏したのか、数多くの他大生も弊会に興味を持って参加して下さっております。本当に感謝の極みです。同じ大学の学生だけでなく他の大学の学生とも交流できるのはオンライン活動ならではの利点かもしれませんね。勿論早大生の皆さんも今からでも入会大歓迎です!
 さて今回から数回は会員の愛読書、推薦図書を紹介していきたいと思います。「保守派学術サークル」と言っても会員の興味は人それぞれ。目指すものもやりたいことも全員が全く同じではないはずです。(まあ大方「右」を向いてはいるんでしょうけど。)会員各々の興味を知るにも、また新入会員の皆さんの「一体どんな本を読めばいいの?」という質問にも対応していけたらなと思っています。もし「一人で読むには難しい」とか「読み終わったし感想を共有したい」とか「あーそーゆーことね完全に理解した(←わかってない)」とかありましたら是非、輪読会や読書会、勉強会を行いましょう!


今回は幹事長の私、枯川山茶の推薦図書を紹介したいと思います。

⒈福田恆存 浜崎洋介編(2013)『保守とは何か』文藝春秋
⒉福田恆存(2015)『人間の生き方、ものの考え方』文藝春秋
⒊福田恆存(1960)『人間・この劇的なるもの』新潮文庫
⒋森本あんり(2015)『反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体ー』新潮選書
⒌ 佐藤信、五味文彦ほか(2008)『詳説日本史研究』山川出版社


 第1回で紹介した、私の尊敬する思想家・福田恆存(第1回note参照)関係から3冊選びました。まあ自分でも福田恆存ファンどころか最早まるで信者だなと自省はしておりますが、話が難解なだけに読めば読むほど味が出るスルメ本ばかりであります。今回は推薦図書紹介を兼ねて「保守とは何か〜思想家・福田恆存を学ぶ」の第2回連載とさせて頂きます。

⒈ 福田恆存 浜崎洋介編(2013)『保守とは何か』文藝春秋

画像5

 西部邁をして『保守主義の神髄』と言わしめた福田恆存。そんな彼のエッセンスが詰め込まれた評論集です。編者は文芸批評家・浜崎洋介氏。『保守とは何か』という題名の如く、福田恆存入門というだけでなく、(現代)日本人のための「保守主義」入門と言っても過言ではありません。政治と文学の峻別を説いた「一匹と九十九匹と」をはじめ、「私の保守主義観」、戦後日本と日本人をはたまた民主主義を痛烈に批判する「偽善と感傷の国」など、戦後の孤立無援の保守論壇において獅子奮迅の活躍を見せた福田の鋭い筆致を窺い知ることができます。特に私が好きなのは「伝統にたいする心構え」。「文化」の定義について語り「教養」とは何かについても言及し、伝統への向き合い方を提起します。特に読んで欲しいのは「教養」について。最近耳にする「教養」があるだのないだのといった不毛な論争(?)について福田の考え方を是非知って頂きたい。

「…知識階級のはうが一般大衆より教養があるなどと思つたら大間違ひです。…教養を身につけた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出せます。…」(p.197)

この一節を読んで賛同する者も嘘だと思う者も福田がなぜそのようなことを言うのか是非読んで確認して貰いたいと思います。因みに福田という人物は東京帝大の英文科を出て古今東西の文学に親しみ戦後は劇作家として日本の演劇界の旗手となった、紛れもない超一流の知識人・文化人なわけです。かと言って単に同族嫌悪で知識階級を非難しているわけでもない。これには福田が東京神田の下町で職人の子として生まれ育った経歴や、様々な人々と交流して培った文化観がかなり影響していると言えます。福田の「(文化や教養は)主体的な生き方や心の働き」のことであるという認識は、単に西洋の先進知識を収集し啓蒙に勤しむ進歩的知識人と袂を分かち、保守派文化人として論壇を騒がす原動力になったのかもしれません。

⒉ 福田恆存(2015)『人間の生き方、ものの考え方』文藝春秋

画像5

 福田が昭和37年から昭和55年にかけて九州に出かけ、全国の学生たちと合宿し、行った特別講義を公刊したものです。学生向けに講演したものということもあり、前述の『保守とは何か』よりも平易で読みやすい文体となっています。もしかしたら福田の本で最初に読むべきなのはこの本かもしれません。内容は全4編、「悪に耐える思想」、「「近代化」とは何か」、「現代の病根ー見えざるタブーについて」、「人間の生き方、ものの考え方」。このうち「「近代化」とは何か」に福田の思想を理解するキーワードがあると私は考えます。

「…一体この世の中に、個人の存在に先だって存在するものは何かと考えますとそれは三つあります。歴史と自然と言葉であります。…」(p.76)

この「歴史」と「自然」と「言葉」。これは個人の存在に先立って存在するものであると同時に(或いはだからこそ)「保守派」が考え、守るべきものと言えるのではないでしょうか。「歴史」を守ることは既に保守派の誰しもが主張しているかもしれません。また「自然」も(これは最も左派と共有しやすいイシューかもしれませんが)国土や郷土の風景を守れという運動として存在しているはずです。しかし「言葉」を守れとはどういうことなのか。これは福田の代表作の一つ『私の国語教室』で詳しく書かれていますが、伝統的な「歴史的仮名遣い」を守れということでもあります。「現代的仮名遣い」で育った我々には不慣れな理念かもしれませんが、戦後まもなく始まった「国字改造運動」は福田にとって国語の歴史を歪曲する到底許しがたい行為でありました。「言葉は道具である。」しかし福田にとって「道具」とは消耗品ではない。一生かけて付き合っていく存在です。ここでは「国語国字問題」については詳しく触れませんが、この本の至る所で「言葉」への真摯とその重要性が強調されていることが分かると思います。

⒊福田恆存(1960)『人間・この劇的なるもの』新潮文庫

画像3

 福田恆存の代表作を一つ挙げろと言われれば『人間・この劇的なるもの』の他にはないでしょう。福田の人間論・人生論の真骨頂でもあります。

「個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。他はいっさい生理的なものだ。…私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。」(p.16)

劇作家らしいといえば劇作家らしい人間論ではありますが強ち言い過ぎなどとは思えません。現代の教育などでは「全員が主役」なんて甘ったれたことを言ったりしますが福田が聞けば欺瞞も甚だしいと思うに違いないでしょう。脇役が存在してこその主役。「全員が主役」ということは「主役など一人も存在しない」と同義なのではないでしょうか。以前Twitterである女性が「主役になれるのは結婚式だけ、と親は言うが私の人生はいつだって私が主役だ。」などと呟いているのを見かけました。しかし恐らく親御さんはそういうことを言いたいのではなかったはずです。「私の人生は私が主役」と言っても他人を尽く脇役にするつもりなのでしょうか、それとも脇役など存在しないと言いたいのでしょうか。前者であればただのエゴイスト、後者であればそれは最早主役とは言えません。親御さんが言いたかったことは「周りの人間が進んで脇役を演じてくれるのは、結婚式(のような冠婚葬祭)だけだ」ということだったのではないでしょうか。私がインスピレーションを受けた、人間にとって儀式や祭日がどのような意味を持つのか論じている巻末の一節は私がこの本で最も好きな部分です。

「かれら(※儀式や習俗を軽蔑する人たち)は結婚式や七五三や氏神の祭典にうつつをぬかす人たちを無知蒙昧と見なすかもしれない。が、一般の生活者にとっては、そういうときを除いて、床の間の前に坐り、主役を演じる機会が、生涯おとずれぬであろうという現実を、かれらは見のがしているのだ。…祭日とその儀式は、人間が自然の生理と合致して生きる瞬間を、すなわち日常生活では得られぬ生の充実の瞬間を、演出しようとする慾望から生れたものであり、それを可能にするための型なのである。」(p.153)

特にこの本はシェイクスピアやロレンス、サルトルの引用が多く、初見ではあまりよく理解できないかもしれません。しかしそれ故にシェイクスピアをはじめとする古典作品を読んでから再びチャレンジすることで段々理解を深めていくことができます。(私も『劇的』のお陰でシェイクスピアやロレンス、サルトルに触れました。)是非チャレンジして頂きたい至極の一冊です。

⒋森本あんり(2015)『反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体ー』新潮選書

画像4

 4冊目は福田恆存を離れて最近個人的に勉強になった本を1冊紹介したいと思います。皆さんは「反知性主義」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?その「反知性主義」という言葉にどのようなイメージを持っているでしょうか。字面だけ見れば「私は反知性主義者です。」と声高々に宣言するような人は中々いないでしょう。(なんだか頭が悪そうだし。)実際日本ではネガティブな意味合いで使われていることが多く、Twitterでは「ネトウヨ」のように罵倒語として使われている例が多いように思われます。しかし「反知性主義」の故郷であるアメリカでは元々そうネガティブな意味で使われていたものではありませんでした。名付け親は『アメリカの反知性主義』を著したリチャード・ホフスタッター。今回紹介する森本氏の本は日本人には馴染みの薄いアメリカのキリスト教史と反知性主義の関係を分かりやすく論じる内容となっています。

「本来「反知性主義」は、知性そのものでなくそれに付随する「何か」への反対で、社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だったのである。」(p.4)

なぜ世界最大最強の先進国でトランプが支持されるのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。戦後日本が最も影響を受けた国はアメリカですが、文化の上澄みだけを輸入したことから「保守派」が適応異常を感じるのは当然の帰結といえるでしょう。一方で我々はアメリカの本質をあまりよく知らないように思います。それは自由主義だとか民主主義とかではなく(それさえも上澄みなのでは。)例えばキリスト教であったり、彼らの歴史であったりするはずです。昨今日本学術会議の任命拒否の問題が世論を賑わせていますが、アメリカの「反知性主義」のあり方を知るすることは、この問題の本質を探る大きな助けにもなると思います。しかし単に日本にもアメリカのような「反知性主義」運動を打ち立てようと言っても中途半端な「半知性主義」で終わってしまうのが関の山かもしれません。自衛隊の入学拒否問題や軍事研究の在り方等、日本独自の問題を見据えた上で「知性」に盲従するでもなく軽視するでもない「知性」との付き合い方を深く考えるべきだと思います。

⒌佐藤信、五味文彦ほか(2008)『詳説日本史研究』山川出版社

画像5

 最後に紹介するのは『詳説日本史研究』です。思想とか最早関係ありませんが、最近読んでいて面白かったので紹介します。簡単に言えば高校日本史の教科書「山川日本史」のめっちゃ詳しいバージョンです。受験生時代に買ってそれっきりだったのですが、最近大河ドラマ「麒麟がくる」にはまっている関係で日本中世〜近世史のあたりを読み返しています。山川世界史に対応する『詳説世界史研究』も面白いのですが、『世界史』にはない、数ページに一度出てくるコラムが特に面白い。以下の引用は「家督相続者の条件」。

「親権が強かった鎌倉時代においては、家督相続者の決定には父親の意向が絶対的な効力をもったが、室町時代になると、「器用」という別の論理が入り込んでくる。…将軍であれ、国人であれ、家督相続者は国や所領、そして家臣たちを治めるだけの「器用」(能力)を備えていなければならず、それをはかるものは結局のところ、それぞれの家臣の支持以外にはあり得ないという論理が、この時代に定着してきたのである。しかし、家督相続者は父親の意向にしたがって決定されるべきだとする論理もいまだ根強く残っており、そのジレンマが応仁の乱の引き金となった家督争いの一因だったのである。」(p.184)

戦国=実力本位、即ち「下克上」のイメージが先行しますが「器用」とかいうやけに非封建的(?)な概念。大河ドラマでは現代人の視聴者に媚びるかのように家臣に優しい大名ばかり出てきますが強ち史実を無視した只の演出というわけではなかったのかもしれません。日本中世史といえば大学に入ってから読んで興味を持った歴史学者・網野善彦の著作からも何冊か面白いものを紹介したいと思ったのですが字数上の理由からそれはまた次の機会で。


ここまで読んで下さって本当に有難うございます。
今後とも弊会を宜しく願い致しますm(_ _)m
【随時入会受付中!】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?