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【第4回】 國策研究会に入りたて、一年生のnote

こんにちは。

 上智大学英文学科1年の中井優希(@ryuouji_nakai36)と申します。
 Withコロナの期間を大学1年生として過ごしてみると、とても不思議な半年間でした。高校の卒業式も、大学の入学式も、新歓コンパも、たくさんの新しい友だちとの出会いも、1年生が経験するべきなにものも、私達にはありませんでした。新型コロナウイルスの影響により、未だ一度も国策研究会に顔を出したこともなく、出会ったこともない先輩たちのこれまでのnoteを見て、その知識量に圧倒されながらもなんとかこの文章を書いているところです。

 私は、高校3年生の冬(2019年の12月頃)に、日本の政治や文化について興味を持ちました。今回はそのような初学者がなぜ政治について興味を持ち始めたのか、そして私が思う皇室の魅力について、言葉を紡いでいきたいと思います。

 私が政治に興味を持ち始めたきっかけは2つあります。1つ目は、高校の友達と校長先生の影響。2つ目が大学受験を終了したことで、自由に使える時間が増えたことでした。ノンポリの親を持ち、これまで本を一切読んでこなかった私にとって、政治に関して得られる情報の全ては学校、マスメディアからのものでした。つまり、私はこれまでの人生の大半を、「日本は悪い国だった!」という自虐史観にどっぷり浸かって生きたのです。そんな私にとって、なんの疑念もなく真っ直ぐな目で、「日本はいい国だ!」と主張してくれた高校同期や校長先生の存在は、私の思想に大きな影響を与えています。しかし、その主張だけで私の自虐史観が塗り替えられることはありませんでした。それもそのはずで、私は、テレビ、新聞、マスメディア、教科書、大学教授を筆頭とした知識人や政治家に、絶対の信頼を抱いていました。私は社会的な地位をもつ彼らが、間違うはずがないと考えていたのです。権威がある人達が「日本は悪い国だ」と主張するのを、あらゆる媒体を通じて吸収してしまっていたため、友達や校長先生の意見を完全に信用する事はできませんでした。しかし一方で、心のどこかに「もしかして、日本はいい国なのではないのか」という自分の思いがあったことには気がついていました。ただ、それを確かめるためにネットで調べる、本を読む、といったことは、受験とクラブ活動に人生の大半の時間を費やしてきた私にとっては非常に煩わしい行為のように思えました。


 そんなある時、転機が訪れます。指定校推薦という受験の「抜け道」のような形で大学への切符を手にした私は、過酷な一般受験に一所懸命取り組んでいる周りの同級生と比べ、自由に使える時間が格段に増えました。そこで、受験を終えた私だけが悠々自適に遊ぶのも友達に気が悪いな、と考えた私は、常々思ってはいたがなかなか時間とやる気がなく手をつけずじまいでいた、「日本はいい国なのか」問題に自分なりに取り組む決心をしました。そして数カ月後、Youtubeやインターネット、本、校長先生の話などを通じて、「日本はいい国だ!」という思いがついに確信へと変わりました。このようにして、私はノンポリから政治に関心ある若者へと変わりました。友人と校長先生からの「日本はいい国だ!」という私の意見とは正反対だった主張を受け入れることは、自由に使える時間がなければありえなかったはずです。

 わたしは、自分の国に誇りを持てるようになったことをきっかけに、人生が明るく感じられました。この国をもっと良い国にして残したいという志が、芽生えてきました。日本人は、もっと強く、誇り高くあるべきだと思います。そのほうが、一人ひとりにとっても主体的で幸せな人生になるし、日本という素晴らしい国全体のパワーも高まると思うからです。自分の出自を肯定することは、生きる上での基礎となる自信をもたらします。よく、オリンピックで日本代表が勝ったからといって日本国民がすごいわけではない、という趣旨の主張を目にすることがあります。たしかに、オリンピックで負けた国は決して劣った国とは言えません。しかし、オリンピックでの勝利を機に、たとえば子供が「自分もいつかあの舞台に立つ」と思い立って練習に邁進したりするように、自分もなにか新しいことにチャレンジしてみようという原動力になるとしたら、その人の人生にとって、極めて貴重な瞬間になるのではないではないでしょうか。日本に生まれたことを言祝ぐことは、よりよい人生を生きる特効薬だと思います。

 国策研究会は、保守思想をベースに、これからの日本のあるべき姿や政策について議論するサークルです。保守とリベラルはよく対にして語られますが、現代の保守もリベラルも、自分の色眼鏡を通じて信じたい物語を展開している点で、似たようなことをやっていると感じます。でも、それで良いのです。私達は、物語の形で思考します。しかし、私達は、自分の信じる物語を選べるのです。自分の人生にとって良いと思う物語を客観的に吟味して選ぶ姿勢こそが、宗教などに対する盲従と自由を隔てるものだと考えます。そのためには、言論の自由は必要不可欠です。ポリティカル・コレクトネスなどと言っている場合ではないのです。リベラルの人口は、今後も減っていくでしょう。若者から支持されないので、リベラルの出生数が減っていくからです。

 私が、日本の魅力の中核をなすと考えるのは、皇室の存在です。皇室の起源は、神話までさかのぼります。日本いうなれば日本版『聖書』、『コーラン』である『古事記』を元にして日本の建国にまで歴史を遡ると、神話についての考察を避けることができません。日本の建国は、日向の高千穂を出発し、奈良県に位置する畝傍橿原宮で即位なされた神武天皇によって為されました。『古事記』によると神武天皇は、伊勢神宮の内宮に祀られている日本神話の神である天照大御神の子孫ということになります。さらに、神武天皇から今上天皇まで、一度も男系継承されていない天皇はいらっしゃらないので、代々の天皇の血縁関係はすべて繋がっており一つの家系図で表あうことができます。つまり、日本の象徴である今上天皇は天照大御神の子孫ということになり、日本という国の建国は神話の世界と繋がっているということができます。「神話とのつながりがある国」と聞くと、皆さんは如何思われるでしょうか?

図1

 神武天皇が即位なさった年を紀元とした日本独自の暦である「皇紀」から考えると、現在2020年は皇紀2680年に当たります。神武天皇から今上天皇まで男系による皇位継承が途切れたことはないので、2680年もの間、一つの王朝による国家が存続しているということになります。その点において、日本は現存する国家のなかで、世界最古から存在している国家と言うことができるでしょう。これほど長い期間において王朝が交代していないということは、それだけ日本が安定していたという証拠になります。もちろん、内乱が一度もなかったわけではありませんが、フランス革命やロシア革命などの、過激かつ急進的な王朝打破の革命は起こらず、皇室を中心に日本の秩序は保たれてきたと言えるでしょう。

 人類の歴史上の多くの場面において、君主と民の関係は、搾取する側と搾取される側の関係でした。民は君主の暴政に苦しまれてきた歴史は数知れません。そのため、堪忍袋の緒が切れた民たちは、君主をたおすために革命等の手法をとってきました。しかし、日本における君主と民の関係はそのような関係にはありませんでした。そのため日本では革命が起きず、長期に渡って一つの王朝が存続することができています。この、君主と民の関係こそ、日本が世界に誇るべきことであると考えています。


 日本の天皇制について、GHQの最高司令官であったダグラス・マッカーサーは、対日占領政策について、陸軍省あてに極秘伝票を打ちました。今回のnoteを、マッカーサーの皇室に対する考えを記して、締めくくりたいとと思います。その内容の要点は以下にまとめられています。

「天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされるだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である」「天皇を葬れば、日本国家は分解する」
 「連合国が天皇を裁判にかければ(日本国民の)憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫に続くであろう。復讐のための復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある」
 「政府の諸機構は崩壊し、文化活動は停止し、混沌無秩序はさらに悪化し、山岳地域や地方でゲリラ戦が発生する」「私の考えるところ、近代的な民主主義を導入するという希望は悉く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう」
 「(そのような事態が勃発した場合)最低100万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数10万人にのぼることになろう」

ありがとうございました。


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