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将棋担当記者

読んだきっかけは忘れたが、デビュー作の『盤上のアルファ』を読んだ時、いっときハマっていた横山秀夫さんを想い出して、面白い作家さんが出てきたとワクワクした。

塩田さんは、神戸新聞社の将棋担当だったそう。『盤上のアルファ』は将棋担当記者とアマチュア棋士ふたりの物語だから、そのリアリティを感じるし、将棋担当への配属を左遷と捉えてやさぐれる記述も、実際にもそうなのだろうか、と好奇心をそそられる。

以来、新聞の将棋欄は好きで良く読む。ただ、私は将棋も囲碁も良くわからないので、どのような勝負であったかは正直よくわからない。

わからないのだけど、「わかる人が見れば、こんな風に見えるのか」と感じ入るのが好き。文章を読みながら、いちおう棋譜をなぞって考えてみるのが好きなのだ。

これは囲碁だけど、こんな感じの記事があり、面白いのです。

この画像の記事は囲碁の棋譜だけど、こんなふうに見えているのか、と驚く。

たとえば、

左上から中央にかけて連なる黒の大石が自然と薄くなっている

左上から中央にかけて? どこのこと?
自然と薄くなっている? 薄くって?

って、もうわけがわからない。

指し手を順に解説するだけでなく、その手の狙いや効果を、棋士の個性や持ち味を使いながら、対戦後の取材で得た情報も交えて紹介する、短い短い記事。

将棋にも囲碁にも興味のない人間が、読んで引き込まれる時と、読んでも何も感じない時とがあるので、これは題材だけでなく書き手の感じ方、書き方による違いも大きいのではないかと勝手に思い、思いの外、クリエイティブな能力が求められるコーナーではないかと考えている。

存在のすべてを

関連して考えたことをツラツラと書いてしまったが、塩田さんの『存在のすべてを』も面白かった。

過去の奇妙な誘拐事件を追うのは、警察担当記者だった門田(もんでん)。時効を迎え、表立っては捜査のできない刑事たちは、とある因縁を抱えていて、「このままにはできない」と想いを門田に託す。現場を離れた門田は、久しぶりに事件記者として関係者に話を聞いて回り、とある真実に辿り着く。

事件の背景とその後の顛末の意外性がとても大きく、それだけで物語をひっぱっていく魅力が十分で、個人的には、恋愛テイストのサイドストーリーは、なくてもよかったかな、とは思った。

画壇の闇を描くのは必要なので、百貨店の美術画廊での話は必要だけど、純粋に作品に心を奪われただけだったらどうだろう? 作家本人に、「見た目の美しさ」を与える必然はあったろうか。

いくつもの原作が映像化されている作家さんなので、そういうことも考えたのか。それとも、絵も小説もスポーツ選手でさえも、そうした魅力を起点にしなければ、世の中に作品を届けられないことを突きつけているのだろうか。

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