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瀧川鯉昇師匠の「宿屋の富」。音は聞こえない、大声の芸。

11月に毎年行われる博多天神落語まつりは、ひとつの高座に3〜4人の落語家さんが登場するので、お目当て以外でお気に入りができる素敵な落語会だ。

昨年の博多では、瀧川鯉昇師匠に出会え、大好きになった。

さっそく関西の番組がないか探すと「吉田食堂」さんの企画があったので即購入。先日、出かけてきた。

吉田食堂さんは、江戸落語の企画が多く、普段は大きなホールでやられるような大人気の落語家さんを、満箱でも150人ぐらいの小さなところで聞けるお気に入りだ。

宿屋の富

この日は三席。

先日、三三さんもかけてくれた「長屋の花見」に、筋金入りのケチの味噌屋の主人の留守に奉公人たちがドンチャン騒ぎをする「味噌蔵」。

そして「宿屋の富」。
これが鯉昇師匠にピッタリで、もう、最高だった!

鯉昇さんは「一生懸命はやりませんよ、疲れちゃうから」という脱力系で、高座に上がってからも満席の我々をぐるーーーっとゆっくり見回してため息をついたりなんかして、しばらく間を持たせてから話し始めたりする。黙ってにこにこ笑いながら客先を眺めているのでこっちが勝手に笑いだしてしまうぐらいだ。

そんな鯉昇師匠の「宿屋の富」、何が最高だったかということ、買い求めた富くじ(今でいう宝くじ)の当たり番号を見に行って、自分の持ってるくじの番号と一等賞の番号とを、何度も何度も見比べては口に出し、見比べては口に出し、当たってるのに、当たってるはずがないと思って何度も口に出し・・とするうちに「当たってる???」と気づいて興奮して何度もあたり番号を読み上げる・・・という、テンションがバク上がりしていく場面で、どんどん声が出なくなっていくのに、大興奮の大きな声が聞こえてくるような錯覚というか幻聴というか、そんな気がしてくるからだ!

正確に言うと声は出てない!

「子の千三百六十五」「子の千三百六十五」「子の千三百六十五」と、何度も何度も読み上げる声は、どんどんテンションが上って行って、最後は「へほはんはくほふひゅうほ」と、息の漏れる音しか聞こえてこない感じになって(わかります?)、顔は興奮で蒸気し、目はつり上がって見開かれ、息も絶え絶えな感じ。「音」としての声は聞こえてこないけど、悲鳴のような大声は聞こえてくる! 観客席のこっちは大爆笑です。

CDとか、音源で落語を聞かないのはコレが好きだから!

「落語好きです」という話をすると、私も好きで良く聞いてますよ、という方に会うが、私はそれはちょっとできなくて。音源だけで耳で聞いていると内容がほとんど入ってこず、単なる環境音のように流れて行ってしまうのだが、それは、こういった、全身で演じているさまを、耳で声(話の内容)を聞くだけでなく、目で見て、息遣いを感じて、観客が一緒になってその笑いを大きくしている空気の中にいるってことを味わうのが「落語」って思ってるからなんだと思う。

もちろん、「話芸」としての、聞くだけでしんみりしたり笑えたりする落語も大好き。でも、鯉昇師匠の「宿屋の富」のおかげで、よりはっきり、私が落語の何が好きなのか、自覚できた気がする!

次は7月に関西においでになるとのこと。ゼッタイ行く。

吉田食堂さんの落語会は「道頓堀ZAZAポケット」で行われることが多い。外国人観光客が戻ってきて、このあたりはすごい人だかり。落語会を終えて会場を出ると世界観の落差にめまいがするほどの喧騒だ。

次は、落語好き仲間が「ぜったいエスねえ好きだと思うよ」とオススメしてくれた古今亭文菊さんに会いに行きます! 楽しみ!


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