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愛車と別れと記念撮影。

子供のころ、父親の運転する車に乗るのが好きだった。普段は仕事でほとんど家にいない父が、たまに家族を乗せて出掛ける時、自分は必ず助手席の後ろの席に乗るようにしていた。

意識してそうしていたのかはわからないが、斜め後ろから「運転している父の姿」を見るのが格好良くて好きだったのだ。

父への憧れはそのまま父が乗っていた車への憧れにスライドする。

いつか、自分もレガシィに乗るんだ。

これが愛車を決める最初の取っ掛かりである。

真紅のボディが目立つ目立つ!我が愛車「スバル レガシィB4ブリッツェン」のお目見えだ。父親のレガシィはシルバーだったが、色味は誤差の範疇。念願かなってレガシィオーナーになった。

地元である長野県はとにかく広い。ちょっと友人に会いに行く、ちょっとおいしそうなラーメンを食べに行く、それにも車は不可欠だ。大体の人が車を移動手段と捉える中に、時折現れる「車趣味」の人間。私なんて浅い方だ。

車は手段ではなく目的だ。行きたいから乗るのではなく、乗りたいからどこぞへ行く。同じか、もっと「そういうタイプ」の友達がブリッツェン越しにたくさん出来た。かけがえのない出会いだ。

仕事を辞め、実家に引きこもった。職もなく、金もなく、時間だけがある。その無限の時間に押しつぶされそうになる夜を何晩か乗り越えたある日、すべてが弾けて夜中の2時に家を飛び出した。山道を走らせ、取り憑こうとする邪念をぶっちぎって海へ向かった。2人で立ち尽くし見上げた海の日の出。絶望している場合じゃない。自分を助けられるのは自分だけなんだ、と。その日、東京へ出て新しい道を歩むことを決めた。

東京での仕事が順調に回り始めた頃。父親から電話がかかってきた。「お前の車、車検通すのに○○万もかかるからそろそろ潮時じゃないか?」

都内在住を決めた自分に車と住む生活は難しく、半ば父親に譲る形で地元に置いてきた。まずは見積もりをお願いしていたのだが、父親からの提案は仕方がないことだった。

寂しい気持ちを抱えながらも「別れ」を決断した私は、仕事の合間を縫って何とか一日時間を作った。「今日は天気もいいし、好きなだけ走ってきな」地元に帰り、早朝から車を走らせる。

久しぶりのエンジン音、そして最後のエンジン音に寂しくも胸が躍る。長野県を北は長野市まで駆け上がり、安曇野、松本と寄り道をしながら南まで縦断。長野の景色にブリッツェンを刻む。

これが最後のツーショット。今まで本当にありがとう。

あの頃の父親の年齢にちょっとずつ近づいている。並んだ時、自分はその時感じた思いを誰かに感じさせられるような大人になれるのだろうか?まだわからないが、焦らず生きていこう。

おしまい。

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