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灯せ、灯せ、希望を灯せ

弁証法の代わりに生活が到来したのだ  ドストエフスキー


 

かつて松本清張が「原作を超えた」と確言してみせた映画、『砂の器(1974年)』。それと同じ事が、2011年アカデミー賞作品『八日目の蝉』についても言えるかもしれない。

数年前、香川県小豆島を慰安旅行で訪れた際、はからずして何か抗い難い、不可視の引力に引き付けられるようにして、この不朽の名作と邂逅したことを、今もよく覚えている。巷を流れていた宣伝によって、以前からタイトルだけは知っていた。もちろん、あの大震災のあった年に、それが上映されていた事も。

しかし、2014年6月に小豆島を訪れるまで、私は一度も、直に作品に触れた事がなかった。それゆえ、鑑賞を終えた途端、どうしてもっと早くに触れておかなかったのか、という津波のような後悔に襲われた。

が、同時に、たとえもっと早くにそうしていたとしても、はたして自分は理解、共感できていたであろうかとも疑った。

名作、名画には、各々鑑賞者の知るべき時、見るべき時がある。私の場合は、物語の舞台となった小豆島を訪れてからというのが、きっと最適のタイミングだったのだろう。そのくらい、この瀬戸内海に浮かんだ小さな島の風土を見聞した体験が――慰安旅行で得られる程度のものに過ぎないけれど――成島出監督『八日目の蝉』を理解、共感する上で、重要な鍵となるように思われた。

俳優の演技を論ずる知識は、少しも持ち合せていない。しかしどうして、素人目にあっても、ただただ見事きわまるものであった。

愛人の子どもを誘拐し、何年にも及ぶ逃亡生活を続けながら、育ての親として子育てをする誘拐犯役を演じた永作博美と、幼児期に誘拐犯の愛情を受けながら育てられ、その後、実の産みの親の元に戻されて成人まで成長した主人公役を演じた井上真央とは、物語の中で、全く同じ「精神過程」を辿る運命にあるのだが、まさにそのシーンこそが、映画としての最大の見せ場となっている。そして、二人の名女優の、偉大な才能がほとばしった演技――その表情、動作、声色に至るすべて――が、小説を超えた映像表現の妙たるを見せつけている。

では、そんな素晴らしい演技によって表現され尽くした「精神過程」とは、いったい何であったか。

不朽の名作『八日目の蝉』は、誘拐した者と、誘拐された者という、二人のシンメトリーな女性の物語によって、構成されている。そして、そのどちらの女性においても、「少女」から「母」へ成長するという形而上の変貌が、これ以上ないほど見事に描かれている。

誘拐した者の物語は、愛人の赤子を思い余って連れ去る場面から始まる。本当は自分が生むはずだった、他人の赤子を、その腕に抱きながら日本中を逃亡する。逃亡しながら、子育てする。いつまでも逃げ切れるはずもない。瀬戸内海の離れ小島に平安の地を見出したようでも、その地でどれほどか一生懸命に深い愛情を注いだとしても、最後には子供と引き離されるのがオチである。

誘拐された者の物語は、本当の親ではない、誘拐犯に養われ、育てられる所に端を発する。4歳の年に「救出」されて、「本当の家庭」に戻されるのだが、そこはすでに、誘拐という事件によって破壊されていた。それゆえ、ごく一般的な、「普通の生活」が送れたはずもなく、「私は、好きという感情がよく分からない。」と、二十歳を過ぎた女になって、愛人の腕の中で漏らす。

その愛人の子供を身に宿すことになった時にも、「自分は母親になどなれるわけがない。どんなふうに可愛がって、どんなふうに叱って、どんなふうに育てれば良いか分からないのだ」と嘆く。誘拐事件によって崩壊した「本当の家庭」では、もはや本当の母親からも、父親からも、愛情を注がれることがなかったからである。そして、事件から20年経った今なお、本当の家庭は快復することがないままである。…

筆者はさっき、『八日目の蝉』には、誘拐した者と、誘拐された者という対称的な二人の女性が、どちらも「少女」から「母」へ成長するという形而上の変化が描かれている、と書いた。

一応解説しておくと、「少女」という言葉は「子供」、「母」は「大人」と同義である。すなわち、ある一匹の人間が、人の子の親になるという行為は、ただ単に、日毎の糧を稼ぐことにあるのではない。また、ただ単に結婚して子供を生めば法的な責任を負うということにあるのでもなく、ほかならぬ精神世界で行われるプロセスこそ、より重要なのだ、と主張したかったのである。

しかしながら、もし『八日目の蝉』をもって、「少女が母へ成長する精神過程を描いた物語である」という風に評したならば、これこそいかにも的外れな解説だと、言わざるを得ない。ことに「成長」なんぞいう単語は、自ら使っておきながら、さながら0点の答案のように感ぜられる。それではいったい、どのように表現したら良かったのだろうか。

たった一つだけ、候補に上がる言葉がある。「救済」である。

救済――

これとて、各世紀の、あらゆる物語の、あらゆる場面で乱用され、酷使され続けて来た単語に相違ない。我らが現代に至って、言葉という言葉を空しい響きにすり変えてしまう救いがたき風潮がはびこっている。

――しかし、それでも、「救済」は、『八日目の蝉』にこそ相応しい。ちょうど、『罪と罰』のラストシーンと同じくらいに、相応しい。

物語は、途中まで、どの登場人物、どの人間関係にとっても、「救済」など想像だにできないような、絶望的な色彩の中で展開していく。ここでは一々詳しく紹介しないが、この救いようのない色彩は、時代や人種や性別の枠を超えた、人間全体の「宿命」を表したものである。だから、そのまま受け止めればよい。その人間が、母親の胎内にいた頃からすでに決まっていたような、いつの時代のいかなる者も決して逃れられないような、残酷で、非情で、不可解な、恐ろしい人生として、そのまま受け止めれば良いのである。

もし、それだけを表現したものだったとしても、『八日目の蝉』は成功した小説であり、映画であっただろう。しかし、この作品が不朽の輝きを誇れるのは、さっきから言い続けている「救済」が、描かれたからである。「死の棘に打ち勝った」とでも言うような、まるで生きるに値しないような人生を背負わされねばならない、人間の暗く、絶望的な「宿命」を超越し得た、力強い「救済」が見出されたからである。

遥かなる空の上から、雲に乗った天使がやって来て、不思議な力で助けてくれたわけではない。「救済」は、希和子(きわこ)という誘拐した女性と、薫(かおる)という誘拐された女性の、それぞれの心の中で起こった出来事だった。それが、少女から母への転身、である。そしてこの転身へ、アカデミックな解説を加えようとすると、子供から大人へ成長する精神過程云々、という事になるのである。

しかし、『八日目の蝉』の後世まで読み継がれるだろう最高の理由は、この少女から母への転身を、アカデミックに説明しなかった事なのだ。(この文章のような)余計な、うるさい、つまらない、アカデミックなおしゃべりをしなかった代わりに、美しい瀬戸内海の小島における、二人だけの「生活」を描写したのである。

残酷で、非情で、不可解な、恐ろしい宿命を背負った二人の少女が、慈しみと憐れみにあふれた二人の母親へと変貌をとげていく様子を、哲学や宗教的な懊悩の結果としてではなく、美しい自然と、静かなる文明の中で、愛し合う人間たちのささやかな、素朴な、ありふれた「生活」として、表現したのである。

冒頭、筆者は、物語の舞台となった小豆島を訪れた事が、『八日目の蝉』を理解・共感する上で重要な鍵になる、と述べた。しかし、多くの人間は、この2011年アカデミー賞受賞作品を見れば(あるいはその原作を読めば)、そのロケ地を知らずとも、十二分の満足を得られることだろう。ペテルブルグに訪れた子供でなくとも、『罪と罰』を読みながら、想像力にいざなわれ、ネバ川のほとりに生活してしまうように。

しかるに私の場合は、絶対に、小豆島を訪れる必要があったようだ。

なぜなら私は、物語に描かれたような、「美しい自然」も、「静かなる文明」も、決して信じてなどいなかった。

2011年3月11日以降、私がこの世界中で最も信じないものこそ、この二つの「嘘」であった。あの東北に起こった大震災があらわにした人間の「宿命」とは、「美しい自然」など無かった、「静かなる文明」などおしなべて幻想だった、という、厳然たる真実ではなかったか。

大震災が起こるまでは、東北地方の沿岸には、「美しい自然」が広がっていた。残酷で、非情で、不可解な、恐ろしい大震災が起こるまでは、原発さえ「静かなる文明」だった(と偽っていた)…

「人間同士の愛」たるや、それ以上に、私は信じてなどいなかった。ちょうど、希和子と薫が、少女であった頃のように…

それから3年後、訪れた小豆島は、美しかった。
そして、静かだった。

希和子と薫の物語は、生きるに値しない人生を背負わされねばならない人間の暗い宿命を、力強い「希望」に変えた。彼女たちが、それぞれの子供を、愛する事によって。そのようにして、世界に新しい生命が生まれ、継承されていく事によって。

あの残酷で、非情で、不可解で、恐ろしい災厄の年に上映された物語は、そんなに美しかった。

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