「やればできる!」の心理学的妥当性
以前、私が大学教員をしていたとき、年配の教員の方から以下のようなことを言われたことがあります。
「最近の学生は努力を全くしないで楽な方に逃げようとしてばかりだ」
当時教員として学生指導に従事していた私としては同意したい部分もあります。一方で旧来からある「努力を美徳として、楽な方を選ぶことを悪とする風潮」の是非には思う部分もあります。
苦労せず楽に成果が得られるのであれば、コスパという点ではベターです。
一方で教育的側面から考えると、努力を通じてスキルや知識を習得することで定着が強固になるという旧来からの考えにも、ある程度の妥当性はあるように思います。
努力観の違い
「努力」を広辞苑で調べると、「目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねを折ること」とあります。
この「努力」についてどう捉えるか、人によって違いがあることが指摘されています。
例えば、元プロ野球選手の王貞治氏は「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」と述べています。
一方で芸人の明石家さんま氏は努力について以下のような発言をしております。
上記を見ると、王貞治氏と明石家さんま氏の努力観は真逆のように見えます。
そしてこのような「努力は報われる」という努力観も、「努力は報われるとは限らない」という努力観も、どちらも一般的に支持されているように思います。
一方で、元陸上選手の為末大氏はtwitterで努力について以下のように発言しております。
努力の重要性を肯定する一方で、成功しない場合の原因帰属先として努力があることのネガティブさを指摘しています。
先に紹介した2つの努力観を上手に整理しているように思います。
努力と心理学
上記で紹介したような努力観について、心理学でも研究がされてきました。
まず、「努力は成功に近づくためのポジティブな要因」として捉えているものとして、Weinerの原因帰属理論があります。
この理論では、自分の成功経験や失敗経験の原因がどこにあると考えるかによって、その後の意欲や動機づけが異なると述べています。
この理論では成功や失敗の原因として以下のような4要因に分けています。
(1)努力による成果 (内的統制・不安定)
(2)自分の能力による成果 (内的統制・安定)
(3)運による成果 (外的統制・不安定)
(4)課題の難しさによる成果 (外的統制・安定)
そして原因帰属理論では、成功経験でも失敗経験でも原因が「努力」にあると捉えるとポジティブな影響があるとしています。
成功経験の原因を努力に帰属すると、自己効力感が向上し、動機づけも高まります。失敗経験の場合でも、原因が努力に帰属されると、くやしさや後悔が喚起されて行動が促進されたり、次回成果への期待が高揚されるとしています。
したがって、原因帰属理論では、成功経験も失敗経験も次の成功に向けたポジティブな行動を引き起こしやすいと説明しています。
ところが他の研究では、失敗経験のときは努力不足を原因として捉えないほうが良いという研究も存在します。
例えば穂坂(1989)や桜井(1989)の研究では、失敗経験の原因を努力不足に帰属することは、自信の喪失や絶望感につながり、悪影響となりうることを指摘しています。
この知見は先述の明石家さんま氏や為末大氏の努力観を支持しているといえるでしょう。
また学習場面においての失敗経験では、努力不足に原因帰属するよりも、学習方略を変えるほうが成績良化に繋がりやすいという研究もあります。
したがって失敗経験を努力不足のせいと捉えることには善し悪しがありそうです。
「やればできる」は魔法の合言葉
以上のように「努力によって成功に近づける」というポジティブな努力観も、「努力に捕らわれると失敗したときに悪影響」というネガティブな努力観も、どちらも妥当と言えそうです。
他者の失敗に対して「努力不足」と捉えることは、その他者の成功に対しては悪影響かもしれません。
ここまで3名の有名人の努力観について紹介してきましたが、最後にもう1名、私がもっとも好きな努力観をもつ有名人を紹介します。
それはお笑いコンビ・ティモンディの高岸宏行氏です。
高岸氏はポジティブな性格と「やればできる!」というフレーズで人気を集めています。「やればできる!」というフレーズについて、高岸氏は次のように述べています。
自身の努力をポジティブに捉えることが、人生において重要なのだと考えさせられます。
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