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わたしと野田村vol.4

こんにちは。「野田村にICU旋風を吹き起こす会」です。今回もメンバーと野田村の出会いについて書いていきたいと思います。
第4弾も去年から参加してるメンバーのお話です。

私にはふるさとがない。

ずっとそう思ってきました。

東京出身で、19年間ずっと同じ家で暮らしてきた私は、小学校で受験して、離れた学校に通ったため、地元に友達はほとんどいません。
小中の友達とは、お互いの家が遠く離れているので、長期休みに電車に乗って都心にお出かけすることはあっても、学校終わりに公園で遊ぶことはできませんでした。「いつものところ」で友達と目的もなく集まったり、ただひたすら喋ったり。きっと他の人にとってはなんてことないことに強く憧れてきました。大学生になった今でも、近所の小学生たちが「15時に〇〇ねー!」と言いながら家に走って帰るのを見て、微笑ましいような羨ましいような気持ちになります。

そんな私が、はじめてその経験をできたのがフィンランドへの交換留学でした。お世話になったホストファミリーが住んでいたのは、バス停からの一本道を2キロ歩いた先にある、森に囲まれた大きな一軒家。中心地に出ても、小さな商業施設が1つあるだけで、東京のように遊ぶ場所はありません。ただその辺のベンチで友達と過ごしたり、話したり、スーパーにいったり。東京では、友達と遊ぶとなったら、まずどこに行って、何をするかを決めるけれど、彼らの目的地もやることもない遊びが新鮮でした。友達とは、なにを一緒にやるかが重要なのではなく、ただ一緒にいることが大事なんだと気づかされました。そのフィンランドの小さな町は、私にとって大事な家族と友達が住む大好きなふるさとになりました。

ホストファミリーの家まで続く一本道

ふるさとは、別に自分が生まれ育った場所じゃなくても良い。今からだって、ふるさとだと思える場所を見つければいいじゃないか。

自分の全く知らない土地のコミュニティに関わりたい、そこに住む人々と交流して仲良くなりたいと思い、その活動ができる場所を探して見つけたのがのだせんでした。野田村に縁もゆかりもなく、その名前すら知らなかった私が、のだせんのメンバーとして野田村に訪れたのが8月。観光でも旅行でもなく、日本の別の地域に行くというのは初めての経験で、何が待っているのか想像もつかず、とても不思議な感覚でした。
着いてみると、そこには先輩たちが0から築いてきた村民の方々との確かな関係がありました。村の方々は、外から来た見知らぬ大学生である私のことも温かく受け入れてくれて、そのことに、ただただ驚きました。

野田村に着いた初日、お散歩しました。


祭りの帰り道
野田村は空も海も広いです


行くことができる期間も回数も限られているけれど、野田村への思いは回を重ね、時が経つにつれて確実に強くなっています。
次野田村を訪れるのはきっと8月。
今度はどんな出会いが待っているのか。
野田村が私にとっての第三のふるさとになるまでのまだ序章に過ぎません。

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