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悲しくなるような自然の美しさ、トラウマとの共存


中学の頃のいじめのトラウマがある

私にも悪い部分はあった

でもそれだけじゃない

みんな未熟だった

やっとそう思えたのは18年経った今日のこと。

子どもだから、若いから、まだ冷静な判断は

出来なかったんだから、仕方ないじゃないか。

やっと自分にそう言ってあげられた。

いじめられた自分だけを責めていた。

自分をいじめていた人たちには

どうしても怒りや悲しみの感情が向けられなく

なっていた。18年間ずっと。

いじめられた側は、いじめられた原因を答えを

探し出そうとするらしい。

自分か、相手か。

私はなにもかも自分に向いてしまった。

私が受けたいじめの場合は、

自分と相手、どちらも悪くないとは言えない。

どちらも悪い。

(ただ、そこには周りの傍観者たちも全員、

含みたいと思う。)


こうして認識することで、ずっと脳の片隅に

あった、この呪縛から少し解かれた気持ちに

なった。無意識を意識化したのだ。

脳内でずっと収納できていなかった荷物が

仕舞われたことによって、容量の余裕がうまれた。

少しの集中力も得た。

結果、夜に子どもと遊んであげられた。

この成功体験をなんと呼ぼう。

絶対に忘れたくない。


こうなったきっかけとしては、先週の

カウンセリングにて、カウンセラーから

いただいたフィードバックの内容がある。


「様々な出来事によって怒りを感じた時、

その怒りが出来事に対して正当な怒りなのか、

それとも自分の思考のバイアス(私の場合、

被害的感情)が加わった怒りなのか、

判断すると良い。

そうすることで感情を認めることができ、

万が一、怒りに任された衝動的な行動を

起こしたくなっても回避できるはず。」

と、アドバイスいただいた。

(ちなみに私は怒りへの抑圧が強すぎて憂鬱になるタイプ。)


それを踏まえて過去のいじめを回想した時、

冒頭にあるような気持ちの整理がついたのだ。


ここまで記録して、もう眠たくなってしまった。(只今23:17)

かなり珍しいことだ。


今日は気持ちが少し切り替わっている。

瞼を閉じて眠りにつくまでの時間は、

自分の幸せについて考えながら眠りにつこうと思う。

(↑普段の自分ではあり得ないポジティブさなのである。)

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