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熊鈴の音

登山における醍醐味の一つは静けさです。

様々な緑が丘陵を染める景色の中で耳に響くのは、自分の息遣いと、チリンチリンと鳴る熊鈴の音。吸い込む空気は軽やかで、反転して足を疲労が固めます。戻るも進むも自分次第の状況で感じる物を書き表すことは、私には出来ません。

ところで、どうして山を登る人間は熊鈴を付けていくと思いますか?
熊避け?
ええ、そうですね。熊は凶暴なイメージとは違い、本来は臆病な生き物ですから、人間がいると分かっている場所に自ら近づくことはありません。
それに加えて、他の登山者に自分の位置を知らせるという意味もあるのです。山中は人間にとってはアウェー中のアウェーですから、同じ人間に自分の存在を知らせることで心に余裕が生まれるのです。これは、登山道具に極彩色を用いるのも同じ理由と言えますね。
つまりですね、山に登る際に『自分の居場所を知らせる』ことは大切なことなのです。

とてもとても大切なことだと、昔の私は思っていました。

あれは、三回目の登山だったはずです。
新しく買ったトレッキングポールの使い心地を試すために、その日は近所の山に来ていました。標高は1700近い山ですが、人気ということもあり、比較的登山道が整備されている山です。秋には紅葉が美しく、また山頂付近は植生が疎らなため、地平線の様な山肌が空に溶けていく様子を楽しむことが出来ます。
しかし、生憎のこと、その日の天候は芳しくありませんでした。風こそありませんが、小雨と濃霧が立ち込めていました。本来なら登山延期も視野に入ってくるのですが、仕事の都合もあり、次の機会は数週間先となってしまいます。
天候が悪いと言っても風はありませんし、それに新しい道具を使ってみたいという欲もありました。

「一度登ってるし大丈夫だろう」

そう自分に言い聞かせ、私は登るという選択肢を取りました。
悪天候といえど、流石は人気の山ということなのか、登山道にはちらほらと人が見えました。

登山独特のマナーの一つに『人との挨拶』があります。街中とは違って、知り合いではない人に「こんにちは」や「良い天気ですね」と挨拶をするのです。その日も数少ない登山者の方と「晴れると良いですね」なんて交わしたりもしました。
ですが、それでも人は少なく、まして山頂までとなると殆どゼロに近かったでしょう。私も山頂まで行くつもりはありませんでしたが「どうせ来たなら」という思いもあり、山頂へのルートを辿ることにしました。
雨の山は晴れた日とは様相がまるで違いました。登っても登っても空が近づくどころか、逆に視界は狭まっていきます。視界どころか、いつもは聞こえてくる鳥や虫の声すらも遠いのです。
聞こえるのは、熊鈴と自分の息遣いだけ。雨でフヤケて不安定な地面に蹌踉めきながら登っていきます。辺りを囲む木々が消え、庭に植えられている様な低木すらも消え始めた頃に、私は休憩を取ることにしました。
そのときでした、始めてソレが聞こえたのは。聞こえてしまったのです。

おーい おーい おーい

野太い人の声でした。はっと登山道を振り返りましたが、人の気配はありません。立ち上がり辺りを見渡しても、小雨と霧のせいで視界はありません。それに山肌で反響しているのか、声のする方角が掴めないのです。

まず私が考えたことは『誰かが助けを求めているのか』でした。
本来なら然るべき機関に連絡するのが最良なのでしょう。ですが、まだ登山三回目の私にはその判断をすることが出来ませんでした。 

「もう少し登れば位置が掴めるかも」

そう思ったのです。登って声が離れれば、いまの地点から同じかそれ以下。近づけば山頂付近に声の主が居るということになります。

おーい おーい おーい

暫く待ってみても声は止みません。一層強くなっている気さえしました。
しかし「さあ、行こう」と立ち上がり、歩き始めたとき……声は止んだのです。あれだけ聞こえていた「おーい」という呼び声が、まるで嘘であったかのように止まってしまったのです。

それは、まるで私が歩き始めたことを分かっている様でした。どこか不気味さも感じましたが
「もしかすると声すらも出せなくなったのか」
という予想を捨てることが出来ませんでした。私は予定通り山頂を目指すことにしました。

山頂付近は酷い天気でした。風も出てきて、小雨が針のごとく肌に突き刺さります。霧もさらに濃くなり、ほんの十メートル先が見える程度です。風に揺られた熊鈴が激しく鳴り響きます。とても立ってはいられませんでした。
私は逃げるように、大きな岩の傍へ身を寄せました。インナーの数を増やし、遮風性の高いアウターを着込みました。

風は一向に止みません。雨も強くなっていました。

そして、声は聞こえませんでした。となれば、山頂付近ではなく最初に声の聞こえた地点から下にいるということになります。それでなくても、天候は最悪です。自らの身を守るので手一杯な状況でした。
私が撤退を決意するのに、時間は掛かりませんでした。
「もう少し休んでから降りよう」
そう思い、リュックから水を取り出したとき……聞こえました。

おーい おーい おーい

声は少しだけ近づいているようでした。

「どこですかー!大丈夫ですかー!」

岩陰から大声で呼び掛けました。すると──

おーい おーい おーい

声は近づいて来ました。
「良かった」と思いましたが、脳裏に疑問がチラ付きました。

そこで初めて、そもそもおかしな話だと気付いたのです。
だって、その声は明らかに山頂からやってくるのですから。
確かに声は大きくなっています。しかし、それでもこの大きさの声が最初に聞いた地点まで強風を乗り越え届くとは思えませんでした。
そして、助けを呼ぶ程の事態なら大声を出し続けることが出来るとも考えられません。最初の地点からここまで短くとも一時間は経っていました。それほどの状態で人間の体力がどれほどかは知りませんが、そこも怪しい点でした。

そして、特に不審だったのが
聞こえてくる「おーい」は助けを呼んでいるのではなく、嬉しそうな声に変わっていたのです。「おーい」と私を呼んでいるのです。
まるで「そっちに行くね」と言わんばかりに……。

そんな思考が頭の中で繋がったとき、風の音に混じって微かですが鈴の音が聞こえてきました。

ちりん ちりん ちりん

勿論、私の熊鈴の音ではありません。周囲には私以外の登山者も見えません。すると、鈴の持ち主は限られます。

ちりん ちりん ちりん ちりんちりん ちりん ちりん ちりん

鈴の音が大きくなっていきます。

おーい おーい おーい

声が大きくなっていきます。
ぞわりと背筋に悪寒が走りました。逃げなければと思いましたが、体がどうにも動きません。それに「近づいてくるナニカの正体を見てやろう」と言う思いもないことはありませんでしたが、それをすぐに後悔することになりました。

霧でボヤける山頂にソレは現れました。

目に付く極彩色の服を着込み、大きなバックパックを背負っているのが見えました。
それだけなら良かったのです。
問題なのは、ソレが、四足で歩いていたことでした。
いえ、立とうとはしていたのです。ですが、ソレの足は折れていたのです。

おーい おーい おーい おーい おーい

私を呼びながら、私を目指して、じりじりと這いずりながらこちらに向かってきます。
そのとき、ソレが急斜面から転げ落ちました。「ちりんちりんちりん」と鈴が激しい音を立て、ソレの体が何度も跳ね岩に打ち付けられました。
「あっ」と声を洩らしたのを覚えています。
人間なら死んでいるでしょうが、ソレは、再び動き始めました。

おーい

私は叫ぶことも忘れ、急いで斜面を下り始めました。強風に煽られ、転げるようにして、降り始めました。

ちりん ちりん ちりん

私の熊鈴が暴れます。
やはり走り出すと「おーい」という声は聞こえなくなりましたが

代わりに
ちりん ちりん ちりん

私の熊鈴とは、別の鈴の音が聞こえてきます。
つまり、それはアレがまだ近くにいるということを意味していました。
私は走りました。
行きの何倍ものスピードで山を下りました。多少足を挫いても無視をして走りました。
それほど、アレの存在が異質だと感じたのです。

ですが、山を2/3も降りた所で、体力の限界が近づき足を止めました。
そのときには、既に鈴の音は聞こえていませんでした。アレは四足でトロそうでしたし「きっと逃げ切れたんだ」と思いました。

ですが
聞こえてきました。
空気の奥から、小さくはありますが、はっきりと

おーい おーい おーい

そこでようやく、馬鹿な私は気付いたのです。

私が歩いているときに「おーい」が聞こえなかったのは、熊鈴が鳴っていたからだと。私が熊鈴を鳴らし「自分の位置」をアレに知らせていたのだと。

アレが「おーい」と叫ぶのは、決まって私の足が止まっているときでした。

アレは探していたのです。私の熊鈴が聞こえなくなったから「おーいどこに居るんだ?」と呼び掛けていたのでしょう。

私は急いでリュックから熊鈴を外し、持ってきていたタオルで包みました。そうして、熊鈴が鳴らないよう静かに山を下りました。
その間に聞こえ続けていた「おーい」という声は、未だに忘れることが出来ていません。

きっと、これからも、忘れることはないでしょう。


その山で死亡事故があったと聞いたのは、それからすぐのことでした。
死因は滑落死。
事件直後から酷い濃霧に一帯が包まれてしまい、遺体の捜索にはかなりの時間を費やしたようです。
山頂付近で、アレが私を見つけたときに発した嬉しそうな『おーい』は「やっと帰れる」という意味だったのかもしれません。

なんてね。

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