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こどもの、瞳のキラキラ


千代田区番町小でのこども広告教室

私の所属しているコピーライターの団体「東京コピーライターズクラブ(TCC)」には、いろんな活動があり、その活動のひとつが「こども広告教室」だった。

もともとは創立○周年コピーや学芸会のコピーなどをレクチャーするものだった。そして完全にボランティアだ。私は異業種転職組だからか、クリエイティブの仕事に就いてから「ふつうの仕事にもコピーライティングの発想や思考法が役に立つなあ」という思いを強くしていたので、以前から気になっていたTCCの「こども広告教室」への参加は、会員になったと同時に始めた。2007年頃。

TCCこども広告教室
TCC会員が番町小の卒業生だったことがきっかけで始まった小学生向けのコピーのレクチャー。現在もこの活動はボランティア会員によって続いている。

主にサポーターとして、子どもたちがコピーを書くのをアドバイスする、という役回り。私がレクチャーをするようになったのは、もっと後(2016年頃?)だ。

「面白く」「たのしく」「わかりやすく」

どうやって書くのか?を、子どもたちに伝え、書きたいと思わせる。それが私の主な仕事。その当時は班ごとにひとつコピーを書く、だったので「コピーってなあに?」から、「やってみよう!」までを30分ほどでレクチャーしないといけない。※現在TCCでは坂本のレクチャーは行っていません。ワークショップをご依頼の方は直接HP「お問合せ」よりご連絡ください。

周年コピーや学芸会コピーはだるい?

班ごとにひとつ、だから、子どもの特性が出るのは当然のこと。書くこと考えることが好きな子はいるし、画を描くのが得意な子もいる。サポーターたち(プロのコピーライターでTCC会員)も頑張ってくれたおかげでなんとかなってきたが、班でひとつ仕上げる、だと「誰かやるだろう=自分がやらなくてもいいだろう」を生む。

現在は5年生が対象だが、最初は6年生にレクチャーしていたこともあり、受験シーズンもかさなる季節なのでいよいよダレてきた。というか、せっかくの機会だ。もっと盛り上がるにはどうしたらいいのだろう・・・

「題材を再考してはどうか?」という話もあり、「自分キャッチコピーを書いたらどうか?」と私のほうで提案したところ採用となった。

ノウハウなんて、ない。一度一度が、一期一会

ところで、周年コピーも学芸会コピーも、なんとなく受け継いだ仕事ではあったがそのレクチャー方法はまったくノウハウがなかった。
誰の力も借りようがないので、「だったらつくればよい!」でやってきた。そのため、クイズ形式にしたり、小学生にウケのいいCMを取り入れたり、あーでもないこーでもないと毎度実験的なことをたくさんさせていただいた。サポーターたちも「わかさん、また内容アップデートしました?」と面白がってくれたようだった。

実際やってみると、「ひとりひとりが、必ずひとつ書かなくてはいけない」システムというのは、当然ながら聞く姿勢が前のめりになる。これは仕事にも言えることだが、責任を持たされてやっと必死になる、みたいな状況が小学生にも起こった。

すると教える側も、自然と「伝えたい気持ち」が前のめりになる。するとだんだん不思議なことが起きた。

子どもたちの瞳の輝きが違った

レクチャー中に、だんだんと、という話なのだが。子どもたちがこちらの話を興味をもって聞いているとき。こどもの瞳がキラキラしてくる。
最初は数人、レクチャーを終える頃にはハンブンくらい。練馬区で行ったときはそそれこそほぼ全員の瞳がキラキラと輝いた一瞬があった。

これはほんとうに、驚いた。ナウシカのクライマックスの光景そのものだった。


脳内ではあの曲が流れた。笑 時間にしてほんの数秒の話。場所は学校の体育館である。

当然ながら、瞳はいつもかがやいていない。瞳がキラキラしている大人を見たことがないが、いまどきのこどもだってそうだ。
瞳の輝きは、「心のありさまだ」。目は心の窓、目は心の鏡、という日本語もある。邪心や邪念で瞳はよどむ。大人になればなおさらだろう。

しかしその日、私は子どもたちの前に立っていて。子どもたちは、まちがいなく「ワクワク」していた。そういう好奇心に包まれるとき、瞳は輝き、ひとは生き生きと輝くのだと私は信じて止まない。学校教諭という仕事の尊さも垣間見た。

ただ、一瞬のできごとだった。それを目の当たりにした。私のレクチャーに対しての反応で、ちょっとどころじゃないほど感動した。全身が鳥肌に包まれるみたいに。

瞳の輝きは、ナマもの。

自分キャッチコピーをレクチャーの課題にしてかれこれ数年が経つが、登壇させていただくたびに、私はこどもたちの瞳の輝きをみせてもらう。前回はこの話をしたときだったな・・・だからまたキラキラしてくれるだろうというこちらの思惑は、毎回裏切られる。こどもも私も時代も、変わる。だからどんなことでその小さな瞳が輝くのかは毎回わからない。まさに生もの。

ただ、私のする話は子どもたちが毎日使っている日本語周りのことだ。日本語から生まれる考え方の話だ。言葉は日本の文化そのもの、日本人そのものだから興味を持たないはずがないと思っている。

テキストの構想は3年ほど。開発に1年。
仕事に子育てに家事に、猫の手も借りたいほど忙しい合間に、私は寝ればいいのにテキストに時間を割いていた。その間ずっと、子どもたちの瞳のキラキラは私の頭の中のどこかにあって、なんだか背中を押してくれたようにも思っている。

自分のことに夢中になる。それは、ふだんあるようで、ないことだ。だからなおさら、なんだろうと思う。自分を伝える?自分の何を?そこから始まる、自分とのコミュニケーション。生成AIには、自分キャッチコピーは書けない。

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