見出し画像

【 ストレイシープ 12 】


 三日と開けずカクテルバー「Boot」に通い出した佳江よしえはそこで偶然、横澤よこざわと出会う。そして精液のサンプル提供の話しになり、バーテンダーも巻き込み三人で盛り上がった。

 しかしその会話から、佳江は直人なおとの行動に疑念ぎねんいだくことになる。 その疑念は佳江の中で、徐々に確信かくしんに変わっていく。


「やっぱりそうだ。つながる、すべてが一本の線でつながる!」そう考えると、もう佳江はじっとしてなどいられない。

検体けんたいはちゃんと持ってこないとダメじゃない。途中で見せっことかしてるから、そんなことになるのよ。まさか他の人にも見せたの?」

「そんなみんなに見せるようなものじゃないだろう、見せたのは先生だけだよ」

「ま、これからは気をつけてね」

「はいはい、わかりました。これからって、もう検査なんてぴらだよ」

「そうね、もうしないで一生送れるように、普段ふだんから気をつけてね」

「うん、そうするよ」

「それじゃ、私はお先にね」

「うん、気をつけてな。オレはもう少し飲んでいくよ」

「ほどほどにね。それじゃ、ご馳走ちそうさまでした」

 横澤とバーテンダーに挨拶してから、佳江は店を出た。


 通りに出るとタクシーを拾い、行き先を告げた。車の中でも佳江は自分の考えた仮説かせつ検証けんしょうしている。

「やっぱりそうだ! 可能だ。いや、あの人しかいない。ただ、物証ぶっしょうは一つもない。あるのは状況証拠じょうきょうしょうこだけか」

 アルコールの回った頭の中で、消化しきれない問題がうずいていた。それにうなされた自分の声におどろいて佳江が目を覚ますと、まだ早朝の5時を過ぎたばかりだった。

 化粧も落とさず着替えもせずに、ベッドの上で佳江は昨夜、自分の仮説を何度も検証した。いく通りかの可能性をあらいだし、そしてそれを打ち消した。何度目かの検証中に佳江は眠りに落ちたのだ。

 体を起こした佳江は服を脱ぎ捨て浴室に向かう。熱いシャワーが疲れきった体にうるおいを与え、ぼやけた脳みそを目覚めさせた。

 コーヒーを入れパンを焼きながら冷蔵庫を物色ぶっしょくしたが、すぐ食べれそうなものは見当たらない。

「もう、腹が減ったら戦はできないでしょ! ちゃんと食料は備蓄びちくしなさいね!」

 声に出して自分をしかり、佳江はコーヒーとトーストだけの朝食を済ませると研究室に急いだ。

 横澤の検査結果に関する書類を全て見直すために。そして、当日行方不明となった「滝崎たきざき◯◯」の行動を検証するために……

 佳江が研究室に入ったのは朝の七時を過ぎたばかりだった。

 白衣に着替え、佳江は数か月前に再検査した横澤の書類を書庫から取り出すと、自販機で買ったばかりの温かいお茶を飲みながらページをめくる。

 どこにも不備ふびはない。だが、これが横澤の精液を検査したものだという決定的な証拠もなかった。

「ここでこれを見てても、らちかないわ」そう考え、佳江は書類を書庫に戻した。

 そして早出した後輩に研究室の留守を任せ、佳江は採取担当の窓口に出向き、「滝崎◯◯」の提供時の様子を、直接受け答えした担当者に細かく聞く。

 その滝崎と名乗った人物は、本人確認の際、運転免許証を提示していた。担当者はその運転免許証に記入された住所、氏名、年令を申込書と照合しょうごうした。

 滝崎のその時の様子に、取り立てて問題となるようなことはなかった。そして本人が途中で姿をくらまし、検体の提供が行われなかったことも事実だった。

 昼休みを待って佳江は冨田とみたに電話を掛ける。

「ちょっと相談にのって欲しいのよ、今夜会えない?」

 いつもとはまるで違う佳江の様子にただならぬものを感じた冨田は、二つ返事でそれに応じた。いつもの店でその夜は佳江が冨田を待つ。約束の三十分遅れで、冨田は息を切らしながらやって来た。

「ごめんね~ 急に」

「いいって、気にするな。ところで用件はなんだ?」

 息つく暇もなく、冨田は佳江に聞く。佳江は昨夜横澤から聞いたこと、そして、その事実にもとずづいた自分なりの仮説を話した。それに加え、その仮説を立証りっしょうするため、今日研究所内で行ったことなども手短てみじかに話した。

「どう考えても、あのかけ離れた検査結果はおかしいもの。だけど、和哉くんが私に渡した検体が、その直前に違う男性のものとすり替えられたとすれば、すべてに合点がてんがいくわ」

 冨田は出されたビールを一口飲んで、腕組うでぐみしながら口をざしている。

「私ね、柴田しばたさんに会ってくる。そして、この仮説を直接ぶつけて、真実を彼の口から引き出そうと思うの」

 佳江は興奮気味こうふんぎみに、こう早口でまくし立てる。冨田はビールを一気に飲み干すと、佳江の眼を見ながら言った。

「やめとけ!」

「なんでよ! 不正があったのよ、見逃せって言うの!」

 つい佳江の声は大きくなった。「不正」という単語に反応した数人の客が二人を注視ちゅうししている。

「バカ、声がデカい。みんな見てるだろう」

「あ、ごめんなさい……」

「興奮するんじゃない、冷静に考えろ」

「私は冷静よ」

「熱くなってるよ、自分で気づかないのか? いいか佳江、お前はそれを明らかにして、いったい何がしたいんだ」

「何って…… 不正をあばくのに、理由がいるの?」

「じゃ、質問を変えるぞ。和哉の再検査の結果が、百歩譲ひゃっぽゆずってお前の考えた通りとする。となると誰にどんなメリットがあるんだ? 例えば、お前のしている研究の成果が、飛躍的ひやくてきによくなったりするのか?」

「…………」

 冨田にこうめられ、佳江は言葉が出なかった。佳江自身も「自分は何を明らかにしたいのか」が、よくわかっていなかったのだ。

 あえて理由をつけるなら、自分の関わった検査に不正があったかもしれないということが許せなかった。自分はだまされていたのに無邪気むじゃきにその結果を喜んでいた自分自身に対しても、怒りのような感情があったのかもしれない。

 ここまで話してから、冨田はまたビールをあおって言った。

「そしてここが一番大切なことだが、その結果を和哉が聞いてあいつがどう思うか考えてたか? あいつはお前に再検査してもらって、異常なしと言われて今幸せなんだ。家族がみんな仲良くて、奥さんもちゃんと和哉のことをしている。そんな幸福な家庭を、お前はめちゃめちゃにこわそうってのか。お前の答しだいでは、オレはお前を許さないぞ!」

「ごめんなさい…… でも私、はっきりさせたいの、本当のことが知りたいのよ! もちろん和哉くんには何も話さない、黙っているわ。だって私は和哉くんの家庭を壊そうなんて思ってないし、そんな権利なんてないもの」

「前回だってお前は話さない、黙ってるって言ってたけど結果はバレただろう。またどこでバレるかわかんない危ない橋を渡る必要がどこにある? それにそんな危ない橋を渡るほど、これは重要なことなのか?」

「だって、だって私……」

 とうとう佳江は泣き出してしまった。こうなると男の負けだ。

「まいったな~ 今度は泣きかよ……」

 しばらくは佳江の泣きに付き合っていた冨田だったが、佳江の泣きがおさまり始めたのを見て話し出した。

「わかったよ、じゃ一緒にもう一度検証しよう。いいか?」

 佳江はしゃくりあげながらうなずいた。

 冨田はカバンからレポート用紙を取りだし、佳江が立てた仮説を簡単にまとめたものを書き出した。

 サンプルをすり替えた人物を、冨田は「X」とした。

 1,「X」は横澤からそれとなく再検査の日程を聞き出す。その上で「滝崎◯◯」と名乗り、研究室にサンプル提供の予約を入れた。その際、日時は横澤の予約の少し前にした。

 2,提供当日、「X」は何らかの方法で入手した偽造免許証ぎぞうめんきょしょうを提示して滝崎になりすまし、サンプルを採取する容器を手に入れた。もしくは「滝崎」という仲間がいて、それを行った。

 3,「X」もしくは、滝崎と名乗る「X」の仲間が、自分の精液を採取した。

 4,「X」は精液の採取を終えた横澤に、さりげなく接触せっしょくした。そして、横澤が採取した精液を言葉巧ことばたくみに借り受け、すきを見て自分のものとすり替えた。

 5,「X」はなに食わぬ顔で横澤と別れた後、そのすり替えた精液を処分した。

「こんな感じでどうだ?」

「うん」

 佳江は冨田の書いたレポート用紙を見ながら頷いた。

「じゃ、始めるぞ。まず1だ、和哉の再検査の日程は、お前の研究室の連中はみんな知っているだろう、そこかられたって可能性もあるぞ」

「そうね。でもそんなことするわけないわ、何にも得にならないもの」

「だが、「X」に頼まれた可能性だってある」

「そうね」

「じゃ次2。免許証提示は間違いないのか?」

「うん、直接応対した人に確認した。用紙にも「免許証で確認」のチェックがあった」

「なるほど…… だまって可能性はここからか」

「うん」

「じゃ次3。これはすり替えたとするなら、当然のことだな。次4。ここだな! こう考えると「X」は柴田って可能性が高いってことになるな」

「でしょ、だから私」

「まぁ待て、そうあせるな。5はいいか。なぁ佳江、お前のこの仮説には重要な部分が抜けている。わかるか?」

「そんなのないわ!」

「わかんないのか、それは動機どうきだよ。なぜ「X」は、わざわざこんな手の込んだことをして危ない橋を渡り、すり替えをする必要があったんだ。いったい「X」の目的はなんだ?」

「だから、それを確かめたいのよ。柴田さんに会って!」

「違うだろう、冷静になれ。お前のこの仮説の作り方は逆だ。お前は犯人は柴田だって決めつけて、犯人が柴田であるように、この仮説を作っているんじゃないか、いい加減に気づけ!」

「だって、おかしいじゃない! あんな再検査の結果なんて」

「オレからみれば、このお前の仮説の方がおかしいぞ!」

「どこがどう、おかしいって言うの?」

「話にかたよりがある」

「どこに偏りがあるのよ」

「全部だよ。いいか、和哉の再検査の結果は間違いないものだったんだ。結果に違いがあったのは、前に検査したものが和哉のものじゃなかった。検体が何らかの手違いで違う人間のものだったんだ」

「でもそれは確認できないのよ。はっきりわからないわ」

「じゃ聞くが、この仮説に物的証拠はあるのか?」

「無いのよ、だから柴田さんに」

「いい加減にしろ! ただの思い付きで他人を犯人扱いする気か! 警察だってそんなことしないぞ!」

「じゃ、誰がすり替えたっていうの? あの人以外にそんなチャンスないじゃない」

「それが偏りだって言ってるんだ。すり替えなんか始めからなかったって、選択肢せんたくしはないのか!」

「…………」


   -つづく-


Facebook公開日 3/19 2021



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?