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【六七歳か……】

【寒月や我ひとり行く橋の音】 太祇

 きっと意味は違うのだろうが、この「太祇」の一句が、私には死後の世界に一人旅立つ時の心境に思えてならない。

「広辞苑」より
「太祇」は江戸中期の俳人。江戸の人。雲津水国・慶紀逸(けいきいつ)に俳諧を学び、のち旅をつづけ、京都島原に居を定め、不夜庵と号。俳風は人事を得意とし、高雅で清新。


「私はどこからきて、そしてどこに行くのだろう」この永遠に解決することのない問いを、私は自分自身に何度繰り返したことだろう。

 正岡子規・三四歳、この子規から俳句を学んだとされる夏目漱石・四九歳。漱石を師と仰ぎ、終生尊敬し続けたとされる芥川龍之介・三五歳、高校生の頃から敬愛していた芥川の自殺に大きな衝撃を受けたとされる太宰治・三八歳。

 彼らの一生はお世辞にも長いとは言えない。だが、その生涯はとても密度の濃いものだったと思う。彼らの一年は、常人の三年にも五年にも相当するものだったのだろう。

 私がだらだらと生きてきた六六年間とはとても比べ物にはならない。いや、比べるなどはおこがましい。私の人生などは、発泡スチロールのような穴だらけの軽いものだったのだから。


 私が死をとても怖いと感じていたのは、いつの頃までだったろう。たぶん五十歳後半あたりだろうか…… 芥川龍之介が言った「ぼんやりした不安」これに近いものがあったように思う。「わからない恐怖、わからない不安」こんな感情がいつも心にあった。


 つまり「自分が死んだ後どうなるのか」ここが今でもわからない。しかし、それは当たり前のことだ。死んだ人間とコンタクトなど私には取れないのだ、だからわからない。

 メディアや本などで、このことに触れている人の話や文章を目にすることもあった。いや、あったという過去形ではなく今でもある。だが、そんなものを鵜呑みになどできるわけがない。見たこともないものを信じろと言われても無理がある。


 では今、その「死に対する不安」がなくなったのかといえば、そんなことはない。 不安は不安のままで心の中にいつもいる。多分その不安に慣れたのだろう、もしくは、もうどうでも良くなったのかもしれない。

「考えても答えの出ない問題は考えない方がいい、時間の無駄だ」

 私の師がいつも言っていた言葉だ。この言葉の持つ本当の意味を、やっと理解できたということなのだろうとも思う。


 六六年間、よく生きてきたものだ。年相応に老いてはいるが、健康に関する問題は何もない。事故にでも遭わない限り、すぐ死ぬこともないだろう。若い頃とは違い気力や体力は相応に落ち込んでいると思うが、それほど大きなことをするわけでもないので不自由はないと思っている。たぶん、まだ大丈夫だろう。

 一年を三六五日と計算すると、およそ二万四千日生きたということか…… 長いのか短いのかよくわからないが、少し微妙な日数である。切りよく三万日生きることを目標にしてみようかと計算してみたが、そのためには十六年以上の歳月が必要になる。

 無理だな、そんなに長くは生きられない。ならば二万五千日ではどうだろう、これなら三年弱でたどり着ける。ま、この辺が目標としては妥当ということか。などとも考えてみたりしていた。


 さて、やがて日付が変わり六七歳最初の朝が始まる。そして明後日の二七日は今年最後の満月だ。名前は「コールドムーン」寒い時期に見える月ということらしい。

私が生まれた時、月齢は二三日だった。早朝に私は産まれたらしい、まだ暗い朝の空に、下弦の月は光っていたのだろうか?



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