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【 ストレイシープ 3 】


 この冨田とみた横澤よこざわと高校時代からの親友だった。そして佳江よしえとは大学三年の時に恋人同士だった。しかし、佳江は冨田のいい加減な性格がどうしても許せず、その関係は一年と続かなかった。

 当時の冨田は、かわいい娘を見つけるとすぐつまみ食いする女たらしで、おまけに大学にも行かずに毎日パチンコか、変な連中と麻雀ばかりしていた。二年までは、いくらか大学の授業も受けていたので三年に進級できたが、そこで冨田の大学生活は終った。

 親からは勘当同然かんどうどうぜんで仕送りも止められ、佳江とも別れた冨田はコンビニのバイトを掛け持ちしてえをしのいでいる始末だったのだが、どこでどんなマジックを使ったのか、今では地元で生活雑貨を作っているメーカーに就職していた。

 前回の同窓会では名刺をみんなに配っていたので、どうやら女たらしが進化して人たらしになったらしい。

「面白いって、今何を研究してるんだ?」

「不妊治療よ。この前の同窓会の時に教えたでしょ」

「あぁ、聞いたような気もする」

「あなたも精液、サンプルにくれたじゃない」

「あ、そうだった。うん、思い出した」

「本当、そのいい加減な性格は直ってないね」

「あはは、直すつもりはないね」

「奥さんがかわいそう」

「ほっとけ! そういえば、和哉も結婚したんだぞ、知ってたか?」

「え! 知らなかったわ。いつよ」

「前回の同窓会が終わった翌年だったから、四年前だな。出来ちゃった婚だったから籍だけ入れて、親族だけで軽く食事会のような披露宴をしたんだ。オレは高校からの親友ということで、友人代表で参加したってわけ」

「今なんて言った! 出来ちゃった婚って、そんなわけ」

 ここまで言って、佳江は「はっ」となり口をつぐむ。

「お前、今何を言いかけた? はっきり言ってみろ!」

「なんでもないわよ、バカね。あの奥手な和哉くんが『出来ちゃった婚』って聞いて、驚いただけよ」

「嘘だな。お前の嘘つくときのその目の動きは昔のままだ。オレは自分のことをどう言われようと構いはしない。だが、和哉のことは別だ。あいつのことをどうこう言う奴は、たとえお前でも許さない。言え、和哉がなんだと言うんだ」

「ちょっと、何剥なにむきになって大きな声出しているのよ。なんでもないって言ってるでしょ」

「…………」

「私、帰るわ」

 立ち上がった佳江の手をつかみ、冨田が言う。

「不妊治療の研究か…… 和哉も精液をサンプルに提供したのか?」

「えぇ、そうよ」

「いつだ!」

「この前の同窓会の後よ」

「座れ!」

 佳江は冨田の言われるまま、椅子に掛ける。

「お前は和哉の精液を調べた。そうだな!」

「えぇ……」

「何がわかった? はっきり言え!」

「普通の精液だったわ」

 そう言う佳江の声は、震えていた。

「大きな声を出してすまなかった。教えてくれ、いったい和哉の何がわかったんだ」

「だからなんでもないって、さっきから言ってるでしょ! たとえ何かがわかったとしても、第三者のあなたに話すわけないでしょ!」

 佳江は自分の手のふるえを止めるように、右手首を左手で掴んでいた。

「わかった、話さなくていい。オレが話す。お前はオレの話が正しい時だけうなずけ。それなら、お前が話したことにはならない。わかったな」

 佳江は覚悟を決め、小さく頷いた。

「お前が急に変なことを言い出したのは、和哉の結婚の話をオレがした時だな」

 佳江が頷く。

「何が気になった。結婚式をしなかったことか」

 佳江は首を横にふる。

「やっぱりな、そういうことか。出来ちゃった婚をお前はうたがった。そうだな」

 佳江は頷いた。

「お前は和哉の精液を調べていた。そこで異状いじょうがあることに気づいた」

 佳江が震えながら頷き言う。

「もう止めて、お願いだからこれ以上は止めて。誰かが不幸になるからもう止めて」

「もしかして和哉は子どもが作れない! そうか、和哉には子種こだねがなかった。そうだろう!」

「もう許して……」

 佳江のひとみから、大粒の涙が流れた。

「なぜそれがわかった時、すぐ和哉に知らせなかった」

「だってわからなかったのよ、和哉くんのものだって。サンプルは千本以上もあるのよ、研究者だって私だけじゃない、大勢の人がサンプルを検査している。この前私が不妊のカルテを整理していた時に、和哉くんの名前を見つけてしまったのよ。本当よ、ついこの前だったのよ」

「この前って、いつのことだ」

「一か月くらい前……」

「ふぅ……」と息をいて、冨田は黙った。

「どうするつもり?」

 佳江は冨田に聞いた。

「…………」

 冨田は何も答えない。じっと目の前のウイスキーのグラスを見つめている。

「和哉くんに言うの?」

「…………」

「止めて、言わないで。誰かが…… 絶対誰かが不幸になるから……」

 三分、五分と息が詰まりそうな時間が流れていた。

「わかった……」

 やっと冨田が小さな声で言った。

 二人はもう何も話さない。時間だけが静かに流れていた。

 店を出ると、二人は黙ってホテル街に入った。

 冨田はむさぶりつくように佳江を抱いた。佳江は泣きじゃくりながら、冨田にしがみついた。

 ひとつの秘密を共有した二人は、二つ目の秘密を作った。


 憂鬱ゆううつな数日間を過ごしていた佳江に、冨田から連絡が入った。

「例の件で話がある。時間を作ってくれないか」

「わかったわ。いつがいいの?」

「早い方がいい」

「今日だったら七時には研究室を出られるわ」

「わかった。じゃ、この前の店に八時でどうだ」

「えぇ、わかったわ」

 約束の十分前に佳江が店の扉を開けると、もう冨田は水割りを飲んでいた。

「早かったな」

「あなたこそ、もう飲んでるし」

 声は笑っていても、瞳は笑っていない。二人はお互いのそんな瞳を見つめあう。

「話ってなに?」

 グラスワインを飲みながら、佳江は冨田に言った。

「いろいろ考えたんだ、この前のこと」

「うん」

「やっぱり、話さない方がいいのか?」

「話した方がいいって思っているの?」

「和哉には、知る権利があると思うんだ。自分のことだろう」

「でも、今話したら……」

「家族が壊れる、ってことか」

「そうなると思うのよ」

「なぁ…… 女って自分でわかるのか? 誰の子どもかって」

「私に聞かないで、経験ないのに。でも友だちが言ってたけど、わかるみたいよ、『あぁ…… 今日のはヤバイな……』みたいに感じるって」

「そうなんだ」

「ねぇ、和哉くんの奥さんって、どんな感じなの?」

「和哉の奥さんは…… そんな感じじゃないぞ」

「でも、人の内面ないめん本性ほんしょうって、外からじゃわからないっていうじゃない」

「確率的にはどうなんだ、絶対子どもはできないのか?」

「絶対ってことは言い切れない。でも、98%くらいの確率で無理って私は思う」

「そうか…… ほぼ絶望的な数字だな」

「和哉くんが結婚前なら私だって話すわ。でも、今は子どもまでいるんでしょ。それこそこの話を聞いて、和哉くんがどう思うか考えるとね……  残酷過ざんこくすぎてとても私には話せない。ねぇ、知らなくてもいいんじゃない。私たち二人が黙っていれば、和哉くんの家庭は幸せなのよ」

「オレも初めはそう考えた。でもどうだろう、本当にそれでいいのか?」

「いいに決まっているわ。和哉くんだって私の研究に協力して精液を提供なんてしなかったら、こんなことはわからなかったのよ。つまり、和哉くんが自分で調べようとしない限り、一生わからないまま幸せな生活が送れるの、そうでしょう。それなのに、わざわざ不幸になるようなことを、それが事実だからって教える必要がどこにあるって言うの?」

「確かにそうだ。だが……」

 話を止めて、冨田は黙ってしまった。

「私は絶対話さない、もう決めたの。だからあなたも忘れて、お願い」

「…………」

 冨田は何も答えない。

「平行線か…… 今日はもう帰るわ」

 佳江がそう言ってハンドバッグを手にした時、冨田が話し始めた。

「和哉は一生自分の子どもかどうかわからない、いや、自分の子どもじゃない確率が高い子どもを育てていくのか?」

「だからそれは……」

「オレだって、血縁けつえんがすべてじゃないと思っている。だけどそれは血縁が無いことを知っていて、その上でそれでもいいと覚悟を決めた時の話だ」

「じゃ聞くけど、男の人は自分の子どもって、どうやってわかるの?」

「どうやってって……」

「生まれたら、すぐにDNA鑑定でもするわけ?」

「それは……」

「違うでしょう! そんなことしたら離婚されるわよ。わかるのじゃなくて、自分の子どもだって信じているんじゃない」

「だけど、それとは話が違うだろう。はっきりと違うってわかったのとは」

「同じよ、和哉くんは何も知らない。だから自分の子どもだって信じている。普通のその辺にいる父親と同じ、そうでしょう」

「…………」

「いったい、何が引っ掛かっているの? まさかあなた、その子と……」

「バカ言うな! 和哉の奥さんに初めて会ったのは、二人が籍を入れる直前だ」

「じゃあ、何? あなたって、そんな奥歯おくばに物がはさまったような言い方、しない人だったでしょう」

 沈黙の時間が流れてから、冨田は口を開いた。

「子どもの時の境遇きょうぐうがさ……」

「子どもの時って、誰の?」

美智子みちこさん、和哉の奥さんだよ。普通の子どもとは違うんだ」

「なにがどう違うって言うの?」

「保護されたんだよ、小学生の時。今和哉が勤めている児童養護施設に……」

虐待ぎゃくたい…… だったの?」

「詳しくは知らない、和哉も話さなかった。それこそ個人情報だからな」

「でも、だからって……」

「オレだって、施設に居たからどうのと言うつもりは毛頭もうとうない。ただ……」

「ただ…… なに?」

「オレたちとは、生きてきた環境が違う。いや、たぶん違いすぎる。そこで仕事している和哉だから、美智子さんのことわかってやれるんだと思う。親の愛情が当たり前の家庭で育ったオレたちじゃ無理だ。そんな境遇で育った子がなにを考え、どう行動するのか、オレにはまるでわからない」

「そうだったんだ……」

「今はいい。だけどもし、もしもだけど変なのがくっついていて、これをたてに悪意を持って和哉や美智子さんに近づいてきたら…… って考えると、ぞっとする。それなら、そんなことが起きる前にはっきりさせた方がいい。そんなことを考えていた」

「…………」

   -つづく-


Facebook公開日 3/10 2021



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