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【 ストレイシープ 2 】


 直人なおと横澤よこざわの二人は、直人の馴染なじみのコーヒー店にいた。

 大町おおまち路地裏ろじうらにあるこの店は、カウンターと二人用のボックス席が二つ、十人くらいで満席になるほどの小さな店を、マスターが一人で切り盛りしている。

 小ぢんまりとしたこの店は、お水のお姉さま方が愚痴ぐちをこぼしに使うため、午前二時くらいまで開いていた。

 まりと呼ぶにふさわしい少し高めの椅子に並んで座り、コーヒーを飲みながら横澤が直人に聞いた。

「先生は結婚されてますか?」

 唐突とうとつに「結婚」の話をられ「まさか縁談えんだんの話じゃないだろうな」と警戒しながら直人は答えた。

「いいえ、していません」

「では、子どもさんもいない」

「結婚したことがないのですから、当然いません」

「ですよね……」

 奥歯おくばに物がはさまったような言い方に苛立いらだちを感じながら、今度は直人が聞いた。

「ところで、お話と言うのはどのようなことですか?」

「はい……」

 と言ったきり、横澤はじっとコーヒーカップを見つめた。

「横澤さん……」

 悩み抜いたが、結論には辿たどり着けなかった人間が持つ独特どくじのオーラのようなものを身にまとって、横澤はまだコーヒーカップを見つめたままだ。

 人は友人や知人になにかしら相談する時、その問題に対する答えをすでに持っているものだ。

 なので、相談と言うのはたいていの場合『自分の中に持っている答えを正しいと肯定こうていしてもらいたい』もしくは、自分のするべきことをすでに知っていて、それをすれば問題が解決することも理解できているが、今一つ踏み切れない。誰かにポンと背中を押して欲しい、つまりは『それで大丈夫だ、すべてうまくいく』という一言を言って欲しくて、相談という言葉を掛けるのだ。

 だが、時には本当に困ってしまい、自分の知識や経験を総動員してみたものの答えに辿り着けず、止むを得ず他人の知恵を借りたいという時もある。

「今夜の横澤は、明らかに後者だ」と直人は判断した。

「横澤さん、大丈夫ですか?」

 直人は改めて、横澤に声を掛けてみた。

柴田しばたさん、秘密を守ってもらえますか?」

「大丈夫ですよ、守ります」

 名前で呼ばれたことで、横澤が核心部分かくしんぶぶんを話し始めると感じ、直人は少し身構みがまえた。

「ありがとうございます。あぁ…… 何から話していいのか……」

「いったい、何があったんですか? ゆっくりでいいですから、初めから話してみてください」

 わらにもすがるような目で直人を見つめていた横澤は、視線しせんをまたコーヒーカップに戻して話し始めた。

「私には家族がいます。女房と子ども、男の子が一人です……」

「はい」

「…………」

 また、横澤の口が止まってしまった。直人はじっと辛抱強しんぼうずよく、横澤が話し始めるのを待った。

 三分…… 五分…… 横澤の苦悩くのうが、待つ時間を五倍にも十倍にも長くしていた。

「柴田さん…… 子どもが…… 実は私の子どもが……」

 横澤が直人を見つめ、小さな声で話しだす。

「子どもさんがどうしたのですか?」

「違うかもしれないんです」

「違う? 違うって、何が?」

「私の子どもではないかもしれないのです」

「横澤さんではない、違う男性の子どもだと?」

「はい。私には子どもが作れないと言われました」

「いったい誰が、何を根拠こんきょにそんなことを!」

「大学病院の先生が言うんです、私の精液には異状いじょうがあるって。私がセックスして子どもができる可能性は、ほとんどないそうです」

「医者に言われたのですね。でもなぜ、その医者はそんなことがわかったのですか? 不妊の検査でもしたのですか?」

「そんな検査はしていません。ただ……」

「ただ?」

「精液をサンプルとして提供したのです。私の友人が今、大学病院で不妊治療の研究をしているもので……」

「そういうことでしたか、そのご友人が横澤さんの精液を調べてみたら、そのような異状が見つかったということですか?」

「はい……」

「もう少し、詳しくお話できますか?」

「わかりました」

 そう言って、横澤は話し始めた。

「私の友人に、すこぶる頭のいい子がいまして」

 その友人の名前は「高城佳江たかぎよしえ」横澤の同級生だ。

 横澤と佳江が通っていたのは公立高校で宮城県北部の田舎町にあったのだが、進学校として県内に名前が知れ渡っていた。

 佳江の成績は、その進学校の中でもぐんいていて、県内でもトップクラス。難問なんもんの東北大学医学部に現役入学という強者つわものだった彼女は今「不妊治療の研究」を大学院で進めている。

 その佳江と横澤は同じ町内に住んでいたため、幼稚園から高校まで同じ学校で学んだが横澤の成績は中程度。国立大を受験したが落ちて、滑り止めに受けた仙台の私大に入った。そのため同じ仙台に暮らしていても、この二人に交流はなかった。


 さて、ここから物語は五年ほど前までさかのぼることになる。

 成人式で再会した高校の同級生たちは、五年毎に同窓会を開くことにした。大学を卒業して社会人となっていた横澤は二五歳の時、この同窓会で佳江と再会したのだった。

 その日は師走しわすに入ったばかりの土曜日で、街は早くもクリスマスソングが流れ始めていた。北風が冷たく吹いて、買い物客は足早あしばやに自宅に戻って行く。そんな人の流れに逆行ぎゃくこうして、横澤は同窓会の会場へと急いだ。

 会場に入った横澤がコートを脱いでいると、「和哉かずやくんだよね」と声をかけられた。

 振り向くと、そこには黒のハイネックニットに黒のタイトスカートを合わせたコーデで、ノーカラーコートを手に持った女性が立っている。横澤はそれが佳江だとは、まったく気づかなかった。

 高校の時の佳江は、背は低くなかったがぽっちゃりしていて、メガネをかけたガリ勉少女だったのだ。しかし大学に入ってからは、見る見るあか抜けし、今はメガネも外しコンタクトを入れている。

 もともとみがけば光る素材そざいだったのだろう。身体の線がハッキリするコーデで街を歩くと、たいていの男は振り向いて佳江を見る。

 そんな佳江に声をかけられたのだ、横澤も悪い気はしない。二人は子どもの頃の思い出で話がはずみ、二次会の席で佳江から横澤はちょっとしたお願いをされた。

「和哉くんの精液をくれない?」

 これには、横澤もちょっと驚いて聞き返す。

「精液だって?」

「お願い」

「そんなもん、何に使うんだ?」

 佳江の話は簡単に言うとこうだった。

 不妊治療の研究には、サンプルが必要だった。それは多いほどいい。いろいろなサンプルを集めて研究することは、至極当然しごくとうぜんのことだ。

 佳江は、ある程度親しくなった男友達ほぼ全員に、精液をサンプルとして提供してもらっていて、この同窓会の男性メンバーは、後に全員が提供者となるのだった。

 特に断る理由もなかった横澤は、後日大学病院を訪れ精液をサンプルとして提供した。

 そんなことがあった翌年に、横澤は今の妻君さいくんと結婚した。一年間同棲どうせいの後、子どもができたので入籍にゅうせきしたのだ。

 横澤の妻君となった美智子みちこはよくできた人だったので、横澤の両親に異存いぞんはなかったのだが、ひとつだけ引っ掛かることがあった。

 美智子は小学生の時から、今横澤の勤めている「児童養護施設」に入所していたのである。

 気持ちが優しい美智子は、施設を出た後もボランティアとして施設を訪れ、子どもたちの世話を手伝っていた。そんな美智子に横澤はかれ、二人は交際を始めた。

 だが交際が続くと、美智子が誰かの援助えんじょを必要とするほど困窮こんきゅうしていることに横澤は気づく。

「一緒に暮らそう」と横澤に言われ、美智子は少し困惑こんわくしたがそれを受け入れた。横澤を愛し始めていた美智子に断る理由はなかったのだ。そして二人の同棲生活が始まる。横澤二四歳、美智子は二十歳の誕生日を過ぎたばかりの時だった。

 その一年後に美智子が妊娠したので二人は入籍し、その翌年美智子は男の子を出産して母に、横澤は父になる。

 子どもはすくすくと育ち、横澤一家は絵に描いたような幸せな日々を積み重ね、家族としてのきずなを太くしていった。酒は飲むものの、女遊びもギャンブルも横澤はしなかった。「女は女房だけで充分」と仲間内に平気でのろけるくらい、夫婦仲は円満だった。

 

 それから五年後、横澤たちが三十歳の時にまた同窓会が開かれた。忘年会セットが使え、まだ街がにぎやかになり始めたばかりの十二月・第一土曜日と、開催時期も固定されようとしていた。

 その日、佳江はとても重要な話を横澤に伝えるべきかどうかと、直前まで悩みながら同窓会に出席した。

「どうすればいいのかな……」と佳江がかない顔で飲んでいると、横澤の親友の冨田(冨田義雄とみたよしお)が佳江のそばにやって来た。

「どうしたんだ、やけに浮かない顔してるぞ」

「うん、ちょっとね……」

 そう、いきなり冨田に指摘してきされ、佳江は曖昧あいまいな返事を返した。

「そうだ、ねぇ和哉くんは?」

「和哉か、あいつインフルだってよ。だから来てないよ」

「え! そうだったの。そうか、来てないんだ……」

 横澤と顔を合わせることがないとわかり、佳江は少しホッとした。

 旧友と現状報告していると、あっという間に終了時刻が近づいてきた。今一つ場の雰囲気に乗りきれない佳江に、また冨田が声を掛ける。

「どうだ、抜け出さないか? 二人で飲み直そうぜ」

「なに言ってるのよ、同窓会なのよ」

「なんか悩みごとがあるんだろう。場所を変えてオレが聞いてやるよ」

「ありがとう。でも、そんなわけにはいかないでしょ」

「大丈夫だ、もうみんなかなり酔っている。二人ぐらいいなくなっても誰も気づかないさ。オレは幹事の田中たなかに話してくるから、荷物を持って知らん顔して外に出てろ」

「相変わらず強引ね、わかったわ」

 こうして二人は場所を変えて飲み直すことになった。


 サンモール一番丁のアーケード街を南下し、横丁に一歩足を踏み入れると、ふるき良き昭和の世界が広がる。そんな昭和の雰囲気が懐かしい文化横丁ぶんかよこちょうの小さな店の扉を引いて、二人は中に入った。

「この横丁、懐かしいよね」

「大学の頃よく来たな。この辺は昔のままだよ」

「そういえば冨田くん、結婚したんだよね」

「あぁ、したよ。三年前だ」

「よくできたわね。私は絶対無理だって思っていたのに」

「そういうお前はどうなんだ?」

「私はまだよ。相手もいないし、それに今は忙しくて…… でも、今の研究とっても面白いの」

   -つづく-


Facebook公開日 3/9 2021



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