【 ストレイシープ 6 】
体調が回復し仙台に戻った佳江は、研究室に行って横澤との経緯を後輩に問いただした。事情はすぐわかったものの、それに対する対処となると良案が思いつかない。
「さてと、どうするかなぁ……」窓から外の風景を眺めながら、頭の中は「なんと言って横澤を納得させるか」ばかりを佳江は考えていた。
そんな佳江のスマホが震え、着信を知らせる。電話の相手が冨田だったため、佳江はスマホを持って廊下に出た。
やはり研究室の中でプライベートな電話を受けるのは気が引ける。佳江は研究室に聞こえないように、小さな声で電話を受けた。
「高城です」
「冨田だ、仙台に戻っているのか?」
「うん、朝一番で帰ってきたわ。今研究室よ」
「それで、もう和哉と連絡をとったのか?」
「まだよ、さっき直接面談した後輩から事情を聞いたところよ」
「で、なんと言ってたんだ、その後輩は?」
「最初からストレートに言ったそうよ。『あなたには、子どもができない』って」
「おいおい、提供者の今の家族構成も確認せずにか?」
「だからさ…… 最低限それを聞くくらいの気遣いは、欲しかったわ」
「わかった。じゃこれから和哉に連絡するのか?」
「そうね。ただ…… なんと言えばいいのやら……」
「オレも一緒に行こうか? 和哉に会うんだろう」
「それはまずいと思うのよ。私も最初は一緒にって、お願いしようと思ったの。でも、このデリケートな話がこの研究室だけじゃなく、友だちのあなたも知ってるってさ…… 和哉くん、どう思うかなぁって考えたんだ。私だったら、絶対嫌だって思うもん」
「あぁ、確かにそうかもしれないな」
「でしょう! だからとにかく今回は私一人で会ってくるよ。まだ和哉くんと話してないから、彼が研究室に対してどんな苦情や要望を持っているのかわかんないしね」
「そうだな。オレは和哉の友だちだけど、今回の一件に関しては第三者だからな」
「そうして。和哉くんには『この事実を知ってるのは研究室の人間だけ』って、話するから」
「わかった。で、今日会うのか?」
「うん。夜なら私も時間作れるから、それでって話してみるつもり」
「わかった。明日、どうなったか連絡くれるか?」
「昼休みか夜になるけど、いい?」
「それでいい。とにかく和哉のことが心配だ、よろしく頼む」
「ラジャー!」
「ラジャーか、久しぶりに、おまえのラジャーを聞いたよ」
「後悔しても、もう遅いぞ! あたしは妻帯者には興味ないからね~」
「後悔だって? おまえがオレを追い出したんだろう『出ていけ!』って」
「何言ってるの、自分が悪いんでしょう」
「オレが何したって言うんだ? オレは何もしてねぇぞ」
「なんですって! よくもそんなこと言えるわね。毎日飽きもせず、女の子取っ替え引っ替えして部屋には戻らない。そのうえ学校にも行かず、毎日パチンコ、マージャン。結局負けてお金が無くなった時だけ、ひょっこり帰ってくるようなろくでなしだったのは誰よ!」
「そんなろくでなしに、『大好き』って言ったこと、まさか忘れちゃいないよな。この前みたいに、ホテルでしっぽり…… なんてのも、たまにはいいだろう。お前の身体も刺激を求めていたじゃないか」
「いい加減にして、あの時ははずみでしょ! 誰があなたなんかとホテルになんか、二度と行くもんですか! もう電話なんかよこさないで!」
電話を切った後、つい大きな声を出していた自分に気づいて佳江はハッとする。自分がどこで電話しているのかを忘れていたのだ。痴話喧嘩さながらの電話内容は、自分の研究室に筒抜けだった。
「クスクス」と後輩の研究員たちや学生が笑っている。先ほど佳江に叱咤された青木は研究に夢中で気づいていないふりをしているが、笑いを押し殺しているため、後ろ姿の肩が小刻みに震えていた。
「あはは、参っちゃうわ。私、ちょっと早いけどお昼休憩に行くね」
真っ赤な顔でそう言うと、佳江はバッグを持って小走りに研究室を出た。
あまり食欲がなかった佳江は、学食の前を素通りしてコンビニに向かう。野菜サンドとカップのカフェラテを買い、追加で入れた砂糖の甘さに後悔しながらスマホを手にした。
「もう、出たとこ勝負ね!」
佳江は覚悟を決めて、横澤の番号を押す。
スマホを耳にあて、呼び出しコールを聞いていると、躊躇うような声で横澤が電話に出た。
「ごめん、まだ十二時前だから昼休みにこっちから電話する」
「わかった。こっちこそ、ごめんね」
「うん、じゃ後で」
プツリと電話は切れた。佳江がスマホを見ると、昼の十二時には十五分も前だった。
「ダメね、落ち着かないと……」
風もなく穏やかに晴れた日だった。コンビニの駐車場では、雀たちが餌を求めて飛び回っている。佳江は雀たちを目で追いながら、横澤からの電話を待った。
「高城先輩、何してるんですか?」
きゃっきゃとした声に呼ばれ佳江が振り向くと、研究室の後輩たちが昼食を買いに来ていた。
「先輩もしかして、さっきの彼とは違う彼からの電話待ちだったりして」
「あぁ、うるさい! 早く買い物行きなさい」
「は~い! ところで先輩、どっちが本命?」
「うるさい! 研究のレポート、倍書かせるわよ!」
「うわぁ、大変。お弁当売り切れちゃう」
そういうと、後輩女子の二人組はコンビニの中に姿を消した。
「本当にもう、うるさいんだから」
ブツブツと文句を言いながら、佳江は横澤からの電話を待つ。その横澤から電話がきたのは、十二時を五分ほど過ぎてからだった。
「あぁオレ、横澤。さっきはごめん、一応職務中はプライベートな電話禁止なんだ」
「こっちこそごめん、昼休みを待って電話すべきだったわ」
「ところで例の件だよね、どうだった?」
「うん、そう。でも、電話じゃちょっと…… 大切なことだから、会ってきちんと話したい」
「時間は作れるのか? 今日帰ってきたばかりだろう」
「夜なら大丈夫よ。和哉くんは?」
「オレはほとんど定時だから、夜なら」
「わかったわ。で、どこにする待ち合わせ?」
横澤は直人と使ったコーヒー店を、佳江に話す。
「すぐわかると思うけど、後で地図を送るよ」
「了解。じゃ七時ね」
横澤は約束の四十分も前に待ち合わせの店に入った。店の奥のボックス席では直人が待っていた。
「公務員の人は、時間に正確だから助かります」
「なんか誉められているんだか、けなされてるんだか……」
「もちろん、誉め言葉ですよ。で、お相手の女医さんは七時ですね」
「そうです。ところで先生、やっぱり同席してもらえませんか?」
「ダーメ! 今日は横澤さん一人でちゃんと聞くこと。いいですね」
「はぁ……」
横澤の返事は頼りないものだった。人生の一大事に怖気づいてしまったのだろう、電話でしきりに直人は同席を依頼されたが、それをはねのけた。
しかし、横澤も納得しない。苦肉の策として、「席にはつかないが、店の中にいるようにする」ということで、やっと落ち着いた。
「確認することは、覚えていますね」
「はい、大丈夫です」
「オーケー、じゃ私はカウンターにいます」
「もうですか?」
「こういう場合、非のある方が先に来て待つものです。きっとそろそろ来ますよ」
直人は時計を見ながらカウンターに移動した。時刻は六時四十分、待ち合わせの二十分前だった。
佳江は十五分前に約束の店に入った。横澤は佳江と目が合うと小さく頭を下げた。
「ステキなお店ね」
佳江がコートを脱ぎながら横澤に言う。
「何にいたしましょう」
水の入ったコップを佳江の前に差し出しながら、マスターが注文を聞く。
「そうですね~ ココアはあります?」
「はい」
「それじゃ、ココアお願いします」
「かしこまりました」
マスターがテーブルを離れカウンターに戻るのを目で追いながら、佳江が話始める。
「今回はごめんなさいね。私のお願いしたことで、和哉くんにとんでもない迷惑かけちゃって……」
「いや、そんなこともないんだけど…… で、率直に聞くけど、何かの間違いってことはないのか? どう考えても納得できないと言うか……」
「当然よね、急にそんなこと言われても…… だよね」
「うん、だってオレにはもう妻との間に子どもがいるんだ。それなのに……」
「そうよね。とにかく、今わかっていることだけ先に話すね。研究室の記録だと『和哉くんの精液には重大な欠陥があって、この状況で子どもができる可能性は極めて低い』ということなの」
「それは聞いたよ」
「ただね、今回和哉くんの精液を検査したのは私じゃないのよ。だから検査の過程で何かしらの間違いがなかったとも言い切れない。それから…… 私がこんなこと言うのもどうかと思うんだけど、検査結果に間違いがなかったとしても、それは今の医学での結論でしかないの。今わかっていることから導きだした結論ってこと。今後更に医学が進んでいった時、この結論が間違いだったってことも十分あり得ることなのよ」
「うん、何となくお前の言いたいことはわかるよ」
項垂れて佳江の話を聞いていた横澤が小さな声で言ったが、納得できていないのは誰の目にも明らかだ。
「それでさ…… 佳江」
「うん」
横澤は意を決したように話し出した。それを察した佳江は「本題にきたな!」と、身構える。
「再検査してくれないか! お前の手ではっきりと結論を出してほしいんだ。それからじゃないとオレ、どうしていいのかわかんないよ」
「うん、わかったわ。それは私も考えてたの。もう一度自分の手でしっかり検査したいって。だから再検査は、私がお願いしたいくらいだわ」
「ありがとう。そう言ってもらえると、何だか少しホッとする」
「私も同じよ。和哉くんが話のわかる人でよかったわ。ただね、これだけは言っておくけど、同じ結果が出る確率の方が大きいってことはわかってね」
「あぁ、それでもいいから、はっきりとお前の手で検査した結果が知りたいんだ」
「わかったわ。再検査の日程は、明日研究室に行って調整して連絡するから待ってて」
「わかった。日程の連絡はメッセージでいいよ、見たらこっちから連絡するから」
「了解。じゃ再検査については、これでいいわね」
「あぁ、大丈夫だ」
「ふぅ……」と息を吐いて、佳江はちょっと落ち着いた。
横澤も、直人に言われた再検査の話がすんなり決まったので、やれやれという安堵の表情を見せていた。
-つづく-
Facebook公開日 3/13 2021
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