【あめの物語 二人の秘密編 8】
慈雨は佐井に、実家であったことを話すように促す。佐井の脳裏には、実家で過ごした数日が甦ってくるのだった。
佐井は二十歳を過ぎた頃、釜石を拠点にしてミニコミ紙を作っていたグループに入っていた。積み上げられた本を片づけていた時、その古いミニコミ紙を姉が見つけた。
「なにこれ?」
「うわぁ残っていたんだ、懐かしいな…… 仲間と一緒に作っていたんだよ、ガキの頃ね」
「こんなの作っていたんだ」
「あぁ、当時はけっこう有名だった」
「あんたが有名人?」
「違うよ、このミニコミがさ」
「そうだ、これからすべてがはじまったんだ」
ミニコミ紙は地元の商店や企業から広告を集め、喫茶店や書店などに置いてもらう形で無料配布していた。工藤が常連客だった喫茶店に、そのミニコミ紙の配布をお願いしに佐井が出入りを始め、そこで二人は知り合った。
車が好きで、2TGが全盛だった時代に敢えてそれは選ばず、12Aを縦に乗せたFRの110系に佐井は乗っていた。工藤は同じ12Aを横置きしたFFの10系に乗っていた。偶然、同じ12Aを乗せた車を選んでいた二人は、出会った夜にすぐ意気投合し、夜のワインディングロードを一緒に走りはじめた。
そんな思い出が、まるで朝霧が晴れるようにゆっくりと甦ってきた。
折り畳まれたミニコミ紙を広げた時、一枚のメモが床に落ちた。それを拾った佐井は瞬間に固まった。
懐かしい字だった…… そこには工藤の字で実家の住所と電話番号が書いてあったのだ。
「こんなことがあるのか…… そうだ!」部屋を飛び出し、お茶を飲んでいた義兄の所にいく。
「義兄さん、ちょっと車を貸りるよ」
「どこか行くのか?」
「いや、ナビを使いたい」
「いいよ」
車庫にいき、ナビで住所を検索する。「まだ地名は昔のままだ、行ける!」地図を指でスクロールしていると、義兄が様子を見にきた。
「なにを見てるんだ?」
義兄がそばにいるのにも気づかず夢中でナビを操作していた佐井は、その声に「え!」と驚いた。
「あ、義兄さん、ちょうどよかった。頼みがあるんだ、明日車を貸してくれないか?」
「今度はどこかに行きたいようだな」
「気仙沼に行きたい」
「いいけど、明日帰るんじゃないのか?」
「休みを一日追加する。どうしても確かめたいことができた」
「女か?」
「違う、男だよ」
「好きに使え。大丈夫とは思うが事故には気をつけろ」
「わかった! ありがとう」
午前中に父の十三回忌の法要を終えた佐井は、午後から義兄の車で国道四五号線を南下していた。震災の影響だろう、途中の海岸線は所々が大きく姿を変えていた。
「工藤の実家は高台だったはずだから津波の影響は受けていない、きっと大丈夫だ。なんどか行っているんだ、近くまで行けば記憶も戻るはずだ」独り言を呟きながら、ナビとにらめっこの運転が続いた。
「ここだ! アイツの実家はこの坂の上だ!」住宅地入り口の交差点を見つけた時、佐井の脳裏にはっきりと記憶が甦った。
当時は数軒の家しかなかった住宅地だったが、今は隙間なく家が建ち並んでいる。見慣れない住宅の中から、ナビで工藤の実家を探す。
「ここだ!」車を道端に寄せ、呼吸を整えてから降りて玄関に近づくと「高橋」という表札が目についた。
「高橋? どういうことだ、とにかく確かめよう」
そう考えた佐井は、表札の下にあったチャイムを押した。
「どちら様でしょう」
「佐井と申します、突然お邪魔して申し訳ありません。少しお尋ねしたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょう」
怪訝な顔をして玄関を開けた中年の女性は、身構えるような表情をして佐井の話を待った。一呼吸おいて、ゆっくり佐井は女性にたずねた。
「実は工藤さんのご自宅を探しております。私は工藤さんの古い知人でして、住所はここなのです。今は高橋様のお宅のようなので、なにかしら事情がわかれば…… と思ったのですが」
「工藤さん? 前に住んでいた方かしら、私どもは十年程前にここを購入したので、それ以前のことは存じません」
「そうですか、わかりました…… 突然お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます」
そう言って頭を下げ、佐井は一旦車に戻った。
「どういうことなんだ、これは? さてどうする、このまま帰るのか」
車の中で考えていると、記憶が断片的に蘇ってきた。
「そうだ! 向の家は当時からあったはずだ。なにか聞けるかもしれない!」
そう考え、思いきってその家のチャイムを押した。
少し間があって、人のよさそうな白髪の老婦人が玄関を開けた。
「どちら様?」
「突然お邪魔してすみません、私は佐井と申します」
「佐井さん、それでご用件は?」
「お尋ねしたいことがあります。お向は工藤様のお宅ではなかったでしょうか? 実は私、若い頃になんどか遊びに来ていたものです。懐かしくて訪ねて参りましたが、今は違う方のお宅でした。その辺の事情がおわかりなら、できれば教えて頂きたいと思いまして」
不審そうに佐井を見ていた女性が「あ!」と声を出した。
「思い出した、あなたとってもうるさい車に乗って来てた子でしょう」
「面目ない、当時は本当にご迷惑をおかけしました。その通りです」
「本当、うるさかったからよく覚えているわ。そこを閉めてちょっと中に入りなさい」
そういわれ、玄関に入り引き戸を閉めた。三十分くらいだったろう、工藤の実家の経緯を聞き、佐井は驚きと共に大きなショックを受けた。
…続く…
Facebook公開日 1/19 2019
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