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【サンケという小さな文化】


 私が生まれた集落には、新年に必ず行うことがある。

 集落の人々は「サンケ」と呼んでいたが、たぶん「参詣さんけい」のことだ。


 集落の中心にいた庄屋さんの家の裏側に、小高い山があり、そこに分霊わけみたまされた神様が、小さな社に入ってたくさんいた。


 年が明けると夜明け前から庄屋さんが、その山で焚き火をしながら、集落の人々を迎える。


 集落で暮らす人々は、ある人は夜明け前から、またある人は朝日を見ながら、また朝が忙しいおかみさんたちやお嫁さんたちは、あさげの片づけが一段落してからと、皆が思い思いの時間にサンケするのだった。


 私はというと、小さかったころは父親と一緒に出かけていたように記憶している。

 その後は姉に連れられて姉弟だけで出かけ、小学校3年生くらいになってからだと思うが、近所の同級生など友だち同士で出かけていた。


 そこですることは、神様にお詣りするだけなのだが、普段とまったく違う雰囲気が漂っていたのは、お正月という特別な時期のせいなのだろう。


 サンケに来た人たちは、みな新年の挨拶を交わし、男たちは「オミキ」と称して酒を酌み交わしていたし、女たちは挨拶もそこそこにすぐ噂話に花を咲かせ、なにがそんなにおかしいのかと思うほど笑いあっていた。



 私たち子どもはまだ暗い夜明け前の、めったに行動することのない時間帯に興奮し、さらに普段は絶対許されない山での焚き火に興奮し、焼き芋や神様にお供えした団子の残り、さらには男たちがつまんでいた酒のおすばで(つまみ)を食べ、早く家に帰るようにと叱られながら、いつまでもその山で遊んでいたことを思い出す。


 ただ、そんな集落の集まりに興奮しながら参加していたのも、中学に入ったころまでだった。


 なぜか、小学校の時にたわむれて遊んだ女子が、急に大人びてツンツンしだしたのも、そのころだったように思えるし、なにより中学3年生になると、高校受験が目の前に迫っていた。


 だからといって、私は普段から勉強などしていないのだったが、「一応ポーズも必要かなぁ~」などと必要もない気づかいをして、サンケには行かなかった。


 高校から家を出た私は、バイクとギターに夢中になり、交友関係は集落の外の友人たちになっていて、正月ともなると女の子のケツを追いかけながら、ちょっと名の知れた神社巡りに出かけていた。



 結婚して子どもができた数十年前、実家で正月を迎えた時、ふと思い出してこのサンケに出かけてみた。


 女房と子どもを連れ、自分が幼かったころの思い出を話しながら、テクテク歩いて行った。


 案の定というか、このサンケに参加している人数は、かなり少ないと感じた。


 当然だろう、山間部の小さな田んぼと畑があるだけの集落なのだ。なんの取り柄もない集落の、急速に進む過疎化に歯止めなどかけられるはずがない。


 子どものころ大きく思えた焚き火は、一斗缶の中でくすぶっているだけで、見守る人の姿もなかった。


 あれから数十年たった今、私の生まれた集落ではさらに高齢化と過疎化が進み、もう歯止めがどうこうという状況ではないようだ。


 過疎化と同時に、こういう小さな文化もやがて姿を消すのだろう。私としては、残してもらいたいと思っている。


 この歳になると、こういう土地に根ざした、その土地ならではの文化が消えてしまうのがとても残念なのだ。



 ここと同じような地域は、日本中に数多く点在しているだろう。都市部だけが日本ではないのだ。


 こうなることがわかっていながら、過疎化にかける歯止めを本気で考えてこなかった結果が、私の生まれた集落の今なのだ。


 そういう意味では、私たち世代の責任はとても大きいと思っている。

 これを「時代の波」として無視することは容易たやすいだろう。

だが、

「できることは、それだけなのか?」




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