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【あめの物語 出逢い編 10】


 商談が長引き、あめとの待ち合わせに遅刻確定となった佐井さいは、タクシーを急がせた。

 待ち合わせの十分前に美香みかと合流したあめは、風呂敷に包んだ団子を大事そうに持っている。あわいピンクの着物姿は、満開の桜の中にあっても負けることなく際立きわだっていた。

「そうですか…… わかりました」

「いいお天気になりましたね」

「はい、とっても。本当に晴れてくれてよかった。私、雨女なんですよ。だから心配で、心配で……」

「私はあんまり雨にたたられないかも」

「うふふ、じゃあこのお天気は美香さんのおかげね」

「え~ そんな~ 違いますよ」

 あめの着物に見とれながら美香は言う。

「あめさん、今日のお着物とてもステキですね」

「うわぁ~ 嬉しい。これ、今年作ったばかりの手描てが友禅ゆうぜんなんですよ」

 あめは子供のように喜び、美香の手を握った。美香は話題を探してその場をつくろうとしていたが、時間はすでに三時を過ぎている。

「部長、どうしたんだろう。もう三時を過ぎたのに……」美香がしきりに時間を気にしていると、あめが言った。

「佐井さん、遅いですね、うまくいってないのでしょうか? 商談が」

「ちょっと連絡してみます」

「やめましょう美香さん、お仕事の最中だったらご迷惑よ」

「でも……」

「大丈夫、佐井さんは必ず来ます。待ちましましょう」

 そんな美香に佐井から連絡が入った。

「あ、部長、どうしたんですか? あめさん、もうお待ちですよ」

「悪い古林ふるばやし、商談が思ったより手こずった。今タクシーで向かっている。後五分くらいで着く。どの辺にいるんだ?」

「え~と…… ここは」

「美香さん、そのスマホを少しお貸しください」

「え、あ、はい」

 美香はあめにスマホを渡した。場所を説明してもらえると思っていた美香は、その後のあめの言葉に愕然がくぜんとすることになる。

「佐井さんですか? 初めまして、あめです」

「あ、あめさんですか。はい、佐井です。このたびは遅れてしまい、申し訳ありません。いま、向かって……」

初対面しょたいめんに遅刻はご法度はっとですよ。バツです。これから三十分時間を差し上げます。私は公園の中で待っていますから、会いにきてくださいませ」

「え、バツ? バツって、それは……」

 遅れたことをびていた佐井の話を切ってあめが言う。

「あなたが三十分経っても私を見つけられなかった時は、ごえんがなかったこととして私は帰ります。今は三時十分ですから、四十分までですね」

「ちょっと待ってください。見つけるって」

「では、後ほど。失礼いたします」

 そう言うと、佐井の話を無視してあめは電話を切った。


「釣りはいい、開けてくれ」

「はい、ありがとうございました」

 公園入り口の信号待ちでタクシーが停まると、佐井はせわしなく車を降りた。

「この広い公園の中をどうやって探す? そうだ、美香が一緒だ」

 佐井は制服姿の美香を探したが、それらしい姿はどこにも見当たらない。息を切らして走り回る佐井のひたいから汗が流れ出す。

「美香さん、私から離れて隠れて頂けますか?」

「あ、はい。でも……」

「心配いりません。大丈夫です、佐井さんは必ず私を見つけますから」

 団子の包みを渡され、美香は桜の木の陰に隠れた。

「どこにいるんだ、美香は?」佐井は肩で息をしながら時計を見る。

「三十二分か…… もう八分しかない。『私に会いに……』と言われても、オレはあめの顔も知らないんだぞ」

 もう一度公園内を見渡したが、やはり美香の姿はない。

「もう無理だ、この広い公園のどこを探せば……」

「私に会いに……」あめの言葉が脳裏のうりにこだましている。

「『私に……』そうだ、美香ばかり探していたが、オレが探すのは『あめ』だ」

 そう思い直した佐井がもう一度公園内を見渡すと、一本の桜が自分を呼んでいるように感じた。

「あめはあそこにいる」

 根拠こんきょのない確信かくしんが佐井を動かし、引き寄せられるようにその桜に向かって歩き出す。木のそばに立つ淡いピンクの和服に身を包んだその女性を、なぜか佐井はとてもなつかしく、そしていとおしく感じた。

 満開の桜は、時折吹ときおりふく気まぐれな春風を使い、散る花びらにまいおどらせる。だがその女性はう花びらをもしもべにし、おのれの存在を誇示こじするようにりんとして、真っ直ぐ佐井を見つめていた。

「キレイだ……」つぶやきながら、佐井はゆっくり女性の前に歩み寄る。

「あめか?」

「はい、佐井さんですね」

「よかった」

 そう言うと、佐井はあめを抱きしめた。まるでそうすることが二人の決まりごと、恋人同士が交わした約束であったかのように……

 あめがふところしのばせている薫衣香くぬえこうから、かすかにラベンダーの香りがした。

 二人の姿はとても自然で、花見を楽しんでいた人たちは抱き合う二人に目をうばわれ、その場で動きを止める。

「え!」

 突然のことに、美香も木の陰で動くことができない。

 佐井とあめを中心に、その周りの時間がすべて止まり、一枚の日本画に取り込まれた。

「佐井さん、抱きしめて頂くのはうれしいのですが…… ここではちょっと目立ちすぎます」

 佐井の腕の中で、あめが呟くように言う。

「あ、私はなんてことを、申し訳ありません。とんでもないことをいたしました」

 その瞬間、われに帰った佐井はあめから離れ、深々と頭を下げながら自分の非をびた。

「大丈夫です、私は気にしていません」

「部長、なんてことするんですか」美香が走って近づいてくる。

「美香さん大丈夫ですよ、気になさらなくて。私の想像以上に大胆な方ですね、佐井さんは」

「あ、いえ、本当に申し訳ありません」

 恐縮きょうしゅくしきって謝る佐井に、あめはおだやかな口調くちょうで言った。

「さぁ~ お花見しましょうね。お団子はくるみにしますか? それともみたらしがいいかしら。美香さん、そのお団子の包みくださいね」

 この場におよんでもまったく動じないあめの姿に、佐井と美香は驚きを隠せないでいた。


「え、抱きしめた! いきなり抱きしめたの?」

「そうよ! もう大変。周りにいた人たちみんなが、いっせいに注目したんだから」

 その日の夜、例によって美香は詩織しおりの店にいた。お花見の一部始終を報告しにきたのだ。

「ふぅ…… なんて大胆な。私だったら、ひっぱたいて警察に突き出すわ」

「ですよね、普通。でもあめさん『くるみにしますか、それともみたらしがいいかしら』ですって。訳わかんないですよ」

「あはは、それで、その後はどうなったの?」

「お団子三人で食べました。部長はなにも言わずに、下向いてましたけど」

「あはは、なんだか絵が目に浮かぶわ。私もライブで見たかったな~」

「ごめんなさいね。私もあんまり急だったもんだから、動画も録れなかった」

「録れてたら面白かったのにね。佐井さんそれ見てどんな顔するかな~」

「あ~ 詩織さんて『悪魔』だ」

「失礼ね、私は『小悪魔』よ」


 お花見事件後の数日間、佐井はまるでたましいを抜かれたように覇気はきがなかった。自分の机に座ったまま、今日もなにもせずに過ごしている。

「おい、部長絶対変だろう。いったいなにがあったんだ」

「え~ そんなこと私に聞かれても」

 吉田よしだに訳を聞かれ、美香は曖昧あいまいな返事を繰り返していた。


     …続く…


Facebook公開日 4/5 2019

 


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