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【あめの物語 出逢い編 7】


 社内報の原稿作りで、美香みかは毎日残業が続いていた。

 三日間かけてやっと書き上げた原稿のチェックを吉田よしだに任せ、やつれた顔の美香は、詩織しおりの店でのんびり過ごしていた。

 来客を知らせるドアマンのような青年の声に反応した美香が振り向くと、かすりの着物を着た女性が青年に頭をさげている。

「あめさん!」

「あら、美香さん、おいでだったのね」

「あめさん、こんばんは。どうぞこちらに」

 詩織に手招てまねきされ、あめは美香の隣の椅子に腰をおろす。

「あめさん、いらっしゃいませ」

 詩織はそう言うと、ワイングラスの準備を始めた。

「先日は本当にありがとうございました。おかげさまであの企画が通り、今原稿作りに必死です」

「あら、それは良かった。内心心配してました、本当にお役に立てたかなって」

「私も部長のオーケーでるまで、本当はドキドキだったんです」

「あれ『文句は言わせない』って、いってなかった?」

「やだ~ 詩織さん、本気にしてたんですか?」

「そんな訳じゃないけど、美香ちゃんならやりかねないかな~ って思ってたわ」

「うふふ、私もそう思ってた」

「あめさんまで」

 女三人寄ればなんとやら。店内は明るい女性陣の笑い声ではなやかになった。

「そうそう、その部長があめさんに『ぜひお礼を』と言ってます。お時間頂けますか?」

「今日はお見えにならないのかしら?」

「はい、今週はどさ回りしてます」

「どさ回り?」

「東北六県の各営業所を回っているんですよ」

「あはは、どさ回りなんて言うから、何かと思ったわ」

「言い出しっぺは部長なんです。変な人なんですよ」

「では、今月はもう月末になるのでお忙しいでしょうから来月にしましょうか。私もぜひ佐井さんにお会いしたいと思ってました。なんだかとても気になるのです」

「え、気になるって?」

「えぇ…… なんだかとっても」

「はい、わかりました。来月にと部長に伝えます。詳しくはまた、詩織さんを通して」

「いいえ、美香さん。直接私に連絡ください」

 そう言うと、あめはスマホをかばんから取り出す。

「あめさん、いいんですか?」

 詩織が心配そうにあめを見つめた。

「だって美香さん、まるで妹みたいでとってもかわいいわ。私兄妹がいないから、なんだか急に妹ができたみたいでうれしいの」

「そうだったんですか、ならいいのですけど……」

「これ、私の番号です。呼び出してください」

「はい」

 美香が自分のスマホであめを呼び出した。

「あ、来ました。ではこれを美香さんで登録しますね」

「ありがとうございます。来月のはじめには、連絡できると思います」

「美香ちゃん気をつけてね。その番号は取扱い要注意よ!」

「え!」

 急に真顔になって話す詩織に美香は少し驚いた。

「実はあめさんに直接連絡できる人って本当に少ないのよ。だから美香ちゃんはかなり特別視とくべつしされているってことよ。あめさんが自分から番号を教えるなんて、私でも初めて見たわ」

「そうなんですか?」

「詩織さんが大げさなんですよ。私は臆病者おくびょうものなので、変な電話が来るのがこわいだけなんです。だから他の方には絶対教えないでくださいね。この番号は私と美香さんだけのシークレットラインですから」

「なんだかスパイになったみたいです。姉さん、了解です」

 一抹いちまつの不安が頭をよぎった美香だったが、持ち前の明るさでそれを打ち消した。

「あはは、それじゃ美香ちゃん、スパイじゃなくて女盗賊でしょ」

「あ、そうか。エヘヘ間違えた」

 美香は小さく舌をだして、自分の頭を叩く真似をした。

 部屋に帰った美香は、久しぶりに気持ちがほぐれ、心地よい酔いと疲れに満足してソファーに横になった。

「今日もあめさんはステキだったな…… 私もあめさんのような大人の女性になりたいな……」そんなことを考えながら、美香は眠りに落ちてしまった。

 三十分くらいで目を覚まし、シャワーを浴びて髪を乾かしながら、美香はあめの言葉を思い出す。

「なんて言えばいいのかしら、なぜかなつかしいような、昔から知っていたような、とってもときめいている自分がいるの。まだ佐井さんに一度もお会いしていないのにね。変なこと言ってるでしょ、私。でもね、そんな自分がなぜか好きなんです」

「そうなんですか……」

 この時、美香の予感は確信かくしんに変わりはじめる。なぜなら、今夜のあめには、恋にときめく乙女おとめ純情じゅんじょうのような可愛かわいさがあった。

一途いちずに、ただ佐井に会ってみたい」そんなあめの、少女の純粋じゅんすいな恋心のようなものを、美香は見せつけられた。

「もうダメ、私の負けかもしれない。あめさんは赤い糸を手繰たぐりはじめている。その糸の先には、あぁ…… 考えたくない……」

 翌日の朝、赤字でほとんど書き直された自分の原稿を吉田に返され、美香は愕然がくぜんとする。そんな美香に吉田は言った。

「いい原稿だ。お前の『知ってもらいたい』という気持ちがストレートに伝わってくる。久しぶりに本気になれた。ここから先はテクニックの問題だ、今日と明日で形にするぞ」

 この吉田の言葉に美香はすくわれた気持ちになり「やるぞ!」と心でさけんだ。

 吉田には、佐井も知らないもうひとつの顔がある。

 世の中には不可思議ふかしぎな仕事が多く存在している。他人のために「その人に成りきって、代わりに文章を書く」という仕事もそのひとつだ。

 芸能人やスポーツ選手などには「忙しくて自分で書く時間がない」とか「文章を書くのが苦手だ」とか、さらには「そもそも文章が書けない」という人がたくさんいる。そんな人のために代わって文章を書く仕事だ。

 光の影に隠れたやみの仕事、ちまたでは「ゴーストライター」などと呼ばれているこれが、吉田のもう一つの顔だ。

 そんな吉田がフォローに入った美香の原稿は、見事な仕上がりを見せた。

 素人しろうとが書いた文章というすきをあえて残したその原稿は、読んだ編集者が手を入れたくなるように作られている。

 だが、誰かが少しでも手を加えれば、文章全体が壊れる。編集者が優秀であればあるほど、それはできないようになっていた。吉田は鉄壁てっぺきのガードで美香の原稿を守る作戦をとったのだ。

 さらに休日の土曜日を使って二人は美香に着物を着せ、トップの写真から図解の写真まで、そのすべてを美香の着物姿で統一した。

 ここで才能を発揮したのは河合だった。素人向けの写真コンテストながら、幾度いくども入賞しているその技術力は伊達だてではなかった。そしてその写真を吉田がもっとも効果的に配置していく。

 普段から自分の書いた文章がった本や雑誌等を見て勉強していた吉田は、写真のレイアウトにも精通せいつうしていた。

 こうして三人は期限を一日残して原稿を仕上げてしまった。これには、さすがに佐井も驚き「よくやった」とたたえる意外に言葉がなかった。

「統括責任者・写真」河合直哉

「編集・校正」吉田大輔

「文・モデル」古林美香

と三人の名前を記載きさいして、佐井はデータを企画室に送る。

 翌朝「どうだ、これが仙台の実力だ」とばかりに、意気揚々いきようようと佐井は企画室の室長に電話を入れた。

 その企画室は、朝からちょっとした騒ぎになっていた。ここまで完璧に作られた原稿が届いたのは初めてのことだったからだ。

「こんなことは前代未聞ぜんだいみもんだ。いっそ仙台に企画室を移した方がいいようだ」

「ありがとうございます。おめの言葉として受けたまわります」

「担当の三人はさぞ大変だったろう。月末の忙しい時にこれだけの仕事をしたんだ。専務に私からねぎらいのなにかを考えて貰えるように話をしよう」

     …続く…


Facebook公開日 4/2 2019




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