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コミュニケーションが苦手でもありがとうで伝えたかったこと

そりゃみんなとつながりたい。

誰にでも、たくさん話しかけ話題の中心になって、なんて何度も思い描いてみたよ。
笑って、笑わせて、また一緒になって笑いたい。

でもさ、できないんだ。
大人になって、
いつも誰かと競い合い、
いつだって評価の対象になって。
恋をしても声をかけたらやんわり断られる。
嫌われることが嫌だから、いつも自分の言葉で慰めて。

おかしいかな?
誤解されたかも?
そんな不安も自意識過剰なのさ、きっと。
わがままなんだ、きっと。
そりゃやだよ、こんな自分。

自分の生い立ち?
ポジティブシンキング?
意識しなければなにも変わらないって、
分かってるよ。
でもね、何かしっくり来ないんだよ。
疲れてしまう。
ほんとの自分の姿でないからかな?
自分らしくいられないからかな?

自分を飾らずに語れる人は魅力的だし、カッコつけていつも誇らしげな人には何も魅力を感じない。

ひとりは嫌いじゃないし、雨の日にはハレの歌を歌い、愛のうたで心を濡らし、流行りのロックでおどけ、都会の喧騒、クルマの縦列、カフェに溢れる自慢話、そんな羨ましくて見慣れた景色から飛び出す様にひとりふらと旅に出る。
寂しいはずだけど、いろいろ感じ、思いを巡らす自由が好きだから。
自分が自分らしくいられる気がする。

それでも、こんな私を好きになってくれた人が私の心を満たしてくれた。
結ばれてなかった縁だったのに、こんな私を認めてくれた。

私の知っているあの人があなたを奪ったのかと思うと、想い出に背を向けてしまうときもある。
あなたと私の知ってる人が腕を組んで幸せそうに歩く姿に、なんでこんな人と思う自分勝手を何度も嫌い恨む。

きっと好きって言って欲しいかったんだ。
何度も深く言って欲しかったんだ。
いつも心が言葉で満たされていなかったのだろうか?
自分でもわからなくなってきて、優しく寄り添えなかった冷たい自分を何度も悔やみ恨む。

しあわせでいるあなたをどこか受け入れられない、欲張りで満たされてない心に、体でしか愛せなかった自分に繰り返された言葉はいつも、
「ごめんなさい」

また嫌われることの絶望と失望が自分に襲いかかってくる。

特定の人を可愛がるなと言われた正論にずっと縛られて、みんなから好かれないのは自分がみんなを好きになれなかったから?
いつも一人しか好きになれなかったから?
それじゃいけないんだろうか?って自分に問い返す、いつの間にかイヤな奴になってしまった。
もっと優しい人になりたかった。
もっと、もっと、、、。

たくさん友達がいる人は優しくて数えられる愛した人しかいないのは、人として優しくないんだろうか?
いつもこの事がわからなくなる。自分だけなんだろうか?

どうしてこんな人間なんだろ。
いつも、正解が分からないから、とことん落ち込む前に離れてきた。
いつだってこうなってしまう。

「でも、あなたらしい」

そう言ってくれたとき、
あなたが一番の理解者だったって最後になって気づいたときは、あの頃の気持ちを大切にしてこなかった自分をとことん悔やみ、恥ずかしいと思った。
今までの疑問も、目先の不安も、悩み、迷い、誤魔化してきた気持ちも、その言葉で許されたのかなって思えた。

「ありがとう」

この言葉を互いに伝えるまでの長かった時間、その意味、その深さ。

他の人と同じ言葉をつかっても、ほかの人とは違うもの。
優しさに包まれながら、ちゃんと受け止めたよっていうメッセージだし、そのままあなたに伝えておきたい結び目の様に繋がった心の言葉。

いままでありがとう。

遅くなってごめんね。
やっと、ほんとの「ありがとう」を大切な人に言える様になったよ。

大きく、たくさん咲き始めてきた紫陽花を、キレイだねって思えるようになったのは、あなたに贈った「ありがとう」が、あなたがくれた「ありがとう」に変わったから。

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