「本当にかっこいい人」6

「ならず者にも、一分の理あり、か
その根底には、恐怖、が潜んでおるのう
阿修羅と同じじゃ
わしはそう思う」
阿修羅は仏教の中で、心の性質の一つとして、比喩的に説かれた存在だ
心がねじ曲がり、正論をきいても曲解し、素直に納得しない
また、つまらぬ自身を大きく見せ、他者を威圧し、好戦的である
これが大体の阿修羅の姿だ
そして仏典では、阿修羅の本質を説く
ある日阿修羅はその非道を、帝釈天と大梵天に咎められた
すると阿修羅は自身の体を何百倍にも大きくさせ、帝釈、梵天を威圧した
「この俺様に喧嘩売るんかい!」
「しかたあるまい、阿修羅よ、かかってくるがよい」
そして、決着はあっけなくついた
阿修羅は帝釈、梵天のあまりの凄まじさに怖れをなし、芥子粒のようになって、逃げ去ったという
これが阿修羅の本質である
それと同じく、世のならず者の心はとても小さく、本源的な恐怖に支配されているのだろう、とモーリスは思った
「三つ子の魂百歳まで、か」
この言葉の本来の意味はともかく、幼少期の環境の重要性を、モーリスは深くかみしめた

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