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エッセイテーマ:大切なもの 「健康と金とろうそくの火について」加藤冬夏


 子どものころは祖母によく面倒を見てもらった。
 祖母は優しい人だった。神社にお参りをしたときなどに何をお祈りしたのか尋ねると、祖母は決まって「家族みんなが健康で元気で過ごせますように」というようなことを言った。幼い私はそれを聞いて、「ウソだ」と思っていた。
 そのころ、私には欲しいものがたくさんあった。新しいゲームも欲しかったし、欲しい漫画もたくさんあった。例えば縄跳びで二重飛びがもっとできるようになりたいとか、ピアノが上手になりたいとか、将来は漫画家になりたいとか、そういう願いもたくさんあった。神社で神様に願ったかどうかは定かではないが、少なくともそんなことを常に夢想しながら生きてはいた。
 だから願い事ができるチャンスというのは、幼い私にとって一大イベントだったのだ。神社に行ったときは毎度、直前まで何を祈ろうか真剣に考えていた。手を合わせて祈っているわずかの時間にすべての願望を羅列するわけにもいかない。時間的に難しいのはもちろんのこと、一般的に願い事の数を増やせば増やすほど一個あたりの切実性は下がってしまうので、むやみに羅列した場合に神様に真剣に取り合ってもらえないことを懸念していたのだ。神様が願いを叶えるプロセスがいかなるものか今をもって判然としないが、幼いなりに順当な戦略の立て方をしていた。
 つまり幼い私が神様に願うのは、両手からあふれんばかりの願望の中から厳選された一個ないし二個だったわけで、そういう苦労を経て真剣に祈っている私の横にいる祖母が毎度深く考えもせずに家族の健康を祈っていることがまったく信じられなかったのだ。
 幼い私は考えた。本当は何か別のことを祈っているのに隠しているのか……子供に対しては言えないようなことなのかもしれない。あるいは、相手が子供だからいかにも大人然とした回答をしてあしらっているのだろうか? 『健康』や『家族』というキーワードもなんとなくうさんくさく聞こえた。だって非の打ち所がなさすぎる。……そんなことを漠然とだが思っていた。かわいくないガキである。
 祖母は優しい人だった。だからいまいち納得いかないながらも、祖母は本当に心の底からそれを願っているのかもしれないと思う気持ちもあるにはあった。とても信じられなかったが、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。きっと大人というものは欲がないのだろう。思えば彼らはいつもいちごやぶどうなど、大変に価値のあるものを我々きょうだいに譲ってくれる。欲がないから、健康などという新鮮味もなくつまらないものを願ったりするんだ。まして他人の分まで。
 自分もいつかそうなるとはとても思えなかった。この先どんなに大きくなっても、ゲームソフトが欲しくなくなる日が来るとは思えなかった。多分自分は一生祖母のようにはなれず……というかなる気もなく、両手に溢れんばかりの願望を抱えたまま一生生きていくんだろう。そんなことを漠然と思っていた。
 そんな私もやがて大人になり、数年前、近所の神社に初詣に行った。実家に帰るわけでもなくひたすら動画配信サイトに入り浸った年末年始で、ちょっとくらい正月らしいことをしようと思いたち、散歩がてらにでかけたのだ。
 十数人ほどいた参拝の列に並び、お賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らした。手を合わせて願ったことはひとつだった。
「今年も一年、健康で過ごせますように」

      ◆

 健康は大事だ。
 二十代後半から特にそう思うようになった。別に他に欲がなくなったわけでもないし祖母のような優しい人間になったわけでもないが、嘘偽りない本音として健康が他のすべての願望を差し置いて私の中の願い事ランキングぶっちぎりの第一位にある。健康は大事だ。何をするにしても心身の健康がなければ話が始まらない。
 幸いなことに今の私は欲しいゲームソフトを買う財力もあれば、それを咎める人もいない環境にある。よっぽど特殊なものや高価なものでないかぎり、幼い私が欲しがっていたものは大抵自分の力で手に入れられる。でも健康は金では買えない。……いや、訂正しよう。健康は金で買えないこともないが、買おうと思うとゲームソフトのレベルじゃなく金がかかる。そして、いくらかけても取り返しがつかないこともままある。
 大学からの友人で、不摂生をしているわけでもないのに学生の間に数々の病気を患った不運なヤツがいるが、一通り落ち着いた後に彼女はごく真剣な口調でこんなことを言った。
「なあ知っとる? 病気って金がかかるんやで」
 至言である。日本では国民皆保険のおかげでかなり費用は抑えられるがそれでも金はかかる。かからないと言いつつもかかる。大学生には結構な痛手である。
 私も私で痛い目を見ている。いろいろあって大学生のころに不安障害を患った。思い返すともっと前から患っていたような気がするが、ともかく発覚したのが大学生のときだった。学生の間は大学の保険管理センターというところで無料で診療してもらえたが、社会人になってからは街のメンタルクリニックに通うようになった。数年間は投薬治療のみで、悪いときもあったがそこそこ安定はしていた。それでよしとする人も多いらしい。つまり、薬さえ飲んでいれば問題なく日常生活を送れるんだからそれでいいじゃん、という考え方だ。その薬も、私の場合は量も種類も金額も大したものではなかった。
 しかし私は断薬をしたかった。薬なしでもやっていけるくらいになりたかった。なので主治医と相談して治療を次の段階に進めることにした。次の段階に当たるものは病院によってそれぞれだと思うが、私の通っていた病院では精神分析療法と言われるものを提供していた。
 私は専門家ではないので詳しいことは説明できないが、形態としてはカウンセリングを想像してもらえるといいと思う。先生と患者が二人きりで、落ち着いた空間で話をするという形だ。ただ精神分析療法が特殊なのは「話をする」と言っても先生はほぼ何も言わないという点にある。約四十五分のセッションで、患者が思っていることをひとりでひたすら喋るのである。
『精神分析』と名前がついているものの、先生がこちらの話を聞いて何かを教えてくれるということはない。もっぱら相槌に終始するか、ごくまれに簡単な質問をしてくる程度だ。だから『カウンセリング』という言葉で一般的に想像するように「悩みを相談する」という状態にはならない。悩みを話してももちろんかまわないが、それに対する回答やアドバイスはない。「そうなんですね」で終わりである。『精神分析』という名称から先生がこちらの話を聞いて「分析の結果、あなたはこういう傾向があり、この場合心の作用として――……」などという解説をしてくれると思っていると、あまりの何もなさにびっくりする。
 一体それに何の意味があるのか。家で独り言でも呟いてろって感じだが、これがれっきとした歴史のある治療法で、かの有名なフロイトさんが創始したものであるらしい。フロイトさん曰く、人間は心に浮かんだことをひとりでひたすら喋っていると自然と心の奥に仕舞っているものを取り出してくるものらしい。ほんまかいな、である。
 その精神分析療法を、私の場合は三年間続けた。一回四十五分のセッションを毎週一回、三年間である。この話をすると決まって「よくそんなに喋ることがあったね」と言われるし、今思い返すと自分でもそう思うが、でも実際その期間、私はほぼずっとひとりで喋り続けていた。三年間の最後の数ヶ月でようやく「喋ることがないな」と思い始めた覚えがあるので、無理に沈黙を埋めていたわけでもない。とりとめなく喋っていると本当に自分が何を思っているのか分かってくるので、フロイトさんが適当こいていたわけではないらしい。おそらく『精神分析』という名前は「自分で自分を分析する」という意味合いでついているのじゃないかと思う。
 三年経って終わりにすることを決めた時、先生には「あなたの状態で三年ですんだのはかなり短い方」だと言われた。長い人では十年以上ずっと続けている人もいるらしい。これもまた「よくそんなに喋ることあるね」という感じであるが、何十年生きた自分という存在の、自分自身でも知らない面を探していくと考えると十年程度は大した長さではないのかもしれない。かくいう私も「これは深堀りせずに置いておきましょう」と言われて積み残したトピックがあるくらいだ。
 ともかく三年が経って、私の不安障害は大分よくなった。実はまだ完全な断薬には至っていないのだが、かなり効果があったことは確かだ。これ以上続けても大きくは変わらないだろうなと思ったからその治療を終わらせることにした。そこにウソはない。
 ただ、終わらせるに至った理由はそれだけというわけでもなかった。
 実はその精神分析療法は自由診療だったのだ。一回のセッションで約一万円かかる。それを毎週やっているわけだから月四万。毎月四万円の出費を約三年間である。
 こういうことに縁のなかった人は高額で驚かれるかもしれないが、うさんくさいクリニックのボッタクリ被害にあったわけではない。自由診療のカウンセリングは一セッション一万円前後が相場である。また、世の『カウンセリング』は医師によるものも臨床心理士によるものも、民間資格のカウンセラーがやるものも無資格者によるものも、すべて『カウンセリング』と呼ばれて相場は大体一万円前後なので、私の場合は医師免許を持つ精神科医が担当してくれた分良心的と言ってもいいくらいだ。
 それにしても高い。高いものは高い。なぜ精神科で薬をもらっている病気の治療が保険外なのか。精神科医が治療しているならなおさら保険適用してほしいものである。実際、世の中には保険適用されるカウンセリングもあり、私も今の病院に行く前に行った別の病院では保険適用のカウンセリングを受けてみるかと言われたこともあった。結局そこにはそれっきり行かなかったけれど。
 なぜ病院によって差があるのか軽く調べてみたことがあるが、医師による病気の治療のためのカウンセリングは保険適用されるが、その診療報酬はかなり少ないらしいということが分かった。
 診療報酬というのは保険診療した場合に医療機関に対価として支払われる費用のことで、厚生労働省が決めているものだ。カウンセリングは一セッション四十五分から五十分程度かかるものだが、それを医師がやるとなるとその間その先生は患者を見ることができなくなる。普通の診察は十分程度で終わるので、カウンセリングは最低でも普通の診察の患者五人分の診療報酬がもらえないと割に合わない計算になるが、カウンセリングの診療報酬はそれに比べてかなり少なかった(診療報酬は数年で更新されるはずなので最新の状態がどうなのかまでは知らないが、自分が調べたときは通常診療の二人分にも満たなかった)。結局金かと怒る人もいるかもしれないが、もちろん結局金である。病院は慈善事業でやっているわけではない。というか、他の診療科で収入のある総合病院ならまだしも、町の精神科クリニックがカウンセリングを全部保険診療にしたらクリニック自体が潰れてしまうと思う。文句を言うならクリニックにではなく厚生省に言うのが筋だろう。
 私が精神分析療法の治療を受け始めた頃に『公認心理師』という国家資格が新たにできたそうだが、その有資格者も今の所単独でのカウンセリングは保険適用にはならないそうだ。仮になったとしても新しい資格なので普及には時間がかかるだろう。また、厚生省としては医療費はなんとしても削減したい方向だろうから、カウンセリングの保険適用のハードルが劇的に下がったり、診療報酬が急に上がったりということはこの先も考えにくい。カウンセリングは時間がかかる割に効果測定が難しいので、お金を出す側からしたら薬物療法の方がコスパよく見えるのは仕方がない話ではある。
 マクロから見たらコスパが悪かろうと、私というひとりの患者の視点ではどうしてもそっちの治療を受けたいと思うこともあるので、私の通っていた病院が自由診療としてその選択肢を用意してくれているのはありがたいことだった。その診療も病院側から勧められることはなく、むしろ当人である私が希望しているにも関わらず何回か断られたくらいだった……ということを病院の名誉のために言い添えておく。
 ところで私は富豪ではない。今も昔も、月四万の治療費を安いと思えるような経済状況であったことはない。それでも私が自由診療の治療に踏み切ったのは、もちろん多少お金をかけてでも状態をよくし、飲む薬をできるだけ少なく、あわよくば完全に断薬したいという強い気持ちがあったからだが、それを実行に移せたのは当時の私が少々特殊な状況にあったからだ。
 当時、私は東京で一人暮らしを始めてすでに数年が経っていたが、私が払っていた家賃は月に一万数千円だったのだ。平成の東京とは思えない額である。
 その部屋は風呂なし四畳半……というわけではなく、会社が借り上げて社宅にしているアパートで、そこに住んだ場合のみ会社が家賃補助を出してくれたのだ。もちろん風呂もついていたしなんなら広さは2DKあったが、築四十年くらいのオンボロ木造建築で、上下左右の部屋の生活音が筒抜けだったし、名前を口にするのもおぞましい例の害虫がたくさん出た。最寄り駅まで自転車を使っても二十分程度かかり、一番近いコンビニに行くのにもバス停に行くのにも、やたら急な坂を登って五分以上かかった。もとの家賃が四万数千円というのも、郊外とはいえ東京にしたらなかなかありえない額だが、そこからさらに家賃補助のおかげで実費が一万数千円になる。……にも関わらず、入居した新入社員は数ヶ月もすると次々引っ越していなくなった。会社をやめたわけではない。新入社員の薄給から家賃をフルで払うことになってでも出たいアパートだったということだ。
 そんなオンボロ社宅に住み続けている変わり者も何人かいて、そのうちのひとりが私だった。虫が死ぬほど嫌いな私がなぜその家で耐えられたかというと、大学時代の家賃が月七百円だった私にとっては月一万数千円の家賃も大金で、月数万かかる普通の家賃の家に引っ越すなどということは考えもつかないことだったから……という話は本旨ではないので置いておくとして、ともかく当時の私は家賃による出費がかなり少なかった。月四万は確かに大金だが、家賃で浮いている分を当てると考えれば普通の一人暮らしの出費とさして変わらない……どころか、治療費を足したとてまだおつりがくるくらいだったので、思い切って保険適用外の治療をお願いしたのだ。
 まったく運のいい話だが、いつまでもそんな状況にあるわけはない。うちの会社の家賃補助は入社してからの上限年数が決まっている。つまり、ある年次を超えると社宅に住んでいようが家賃補助を打ち切られてフルで家賃を請求されるようになるのだ。私が治療を終えたのは、ちょうどその家賃補助が切れる年度のことだった。
 繰り返すが、私は状態も良くなり、話すこともなくなったから治療を終わりにしたのであって、家賃補助が切れるからという理由で終わりにしたわけではない。しかし可能なら家賃補助が出ているうちに治療を終えたいと思っていたことは確かだ。また、もし仮に入った会社に家賃補助がなく、通常東京で暮らすように七、八万の家賃を毎月払っていたら、私はそもそも自由診療に踏み切ることはなく、薬物療法のみでなんとか暮らしていたとは思う。その意味でも私は非常に運がよかった。今こうして心穏やかに暮らしていられるのも、あのとき自由診療に踏み切って月四万円、三年間で約一四四万円を費やしたおかげというわけだ。ありがたいことだ。ありがたいことだが、高いものは高い。繰り返すが私は富豪ではない。Gの出現に叫びながらボロアパートに居座り続けた苦労が治療費で消えてしまった。
 友人が学生時代に悟ったとおり、病気には金がかかるのである。

    ◆

 心だけではなく身体の方もやってしまったことがある。
 とはいっても入院などをしたわけでもないので深刻な話ではない。思い返せば私は人生において一度も入院したことがないので、平均としては健康な方なのかもしれない。
 数年前に坐骨神経痛を患った。ある日、いつものように小説を書こうとしたら、尻に激痛が走ったのだ。あえてはっきり述べるが穴の方ではないので痔ではない。座ったときに体重のかかる大殿筋のあたりが痛くてたまらなかったのである。
 すぐさま行きつけの接骨院に駆け込んだ。まだ二十代なのに行きつけの接骨院がある時点で涙を誘うが、ともかくいつもお世話になっている先生に尻が痛いんですと訴えた。左右どちらですか? 先生は尋ねた。両方です。私は答えた。
「まさか坐骨神経痛ではないですよね?」
 思い切って私は聞いた。坐骨神経痛は一度やってしまうと治らない、という話を聞いたことがあったからだ。それは困る。仕事でも趣味でも座りっぱなしの人生なのだ。
 先生は心底気の毒そうな顔で答えた。
「残念ながら……坐骨神経痛ですね。しかも重度の」
 重度か重度でないかの判断に先程の質問が関係してくる。人にはそれぞれ座りグセのようなものがあり、いつも左右均等に体重をかけているわけではない。坐骨神経痛は普通片側、つまりよく体重をかけている方にまず症状が出てくるものらしい。その時点で普通の人は痛みに耐えかねて病院なり接骨院なりを受診するものらしいが、私の場合は気づいた時には尻の両側がとんでもなく痛かった。おそらく片方が痛くなったあとに無意識にそちらをかばってもう片方に体重をかけて座るようになり、結局そちらの尻も坐骨神経痛になってしまったのだろうとのことだった。何にでもすぐ根をあげる人間なのにどうしてそういうときだけいらぬ根性を見せるのか。
 言われてみたら少し前から長時間座っているのが苦痛で、さして尿意も感じていないのにトイレに頻繁に立っていたことを思い出した。集中力が途切れているだけかと思っていが、あれは実は尻が痛くて座っていられないという身体からのアピールだったのだ。
「治りますか?」
 私の質問に先生はまたしても気の毒そうに答えた。
「時間はかなりかかりますね」
 絶望的な答えだった。経験したことのない方にはなかなか伝わらないかと思うが、坐骨神経痛の痛みは絶えることがない。私ほどの状態になると、もはや座っていようが立っていようが動いていようが横になっていようが一秒も休まることなく痛い。何をしてようが四六時中痛い。ズキズキする痛みの波が……などという話ではない。波ではなく常にマックスで痛いのだ。さらに言うと、痛みがあまりに強すぎるためかロキソニンもまったく効かなかった。
 しかし痛いからと言って横になっていてよくなるものではない。その痛みのために仕事を休んだら一ヶ月では足りないだろう。仕方がないので痛いまま仕事をしていた。何をしても痛いとはいえ、座って尻の神経をさらに潰すよりは立っていた方がマシな気がしたので、オフィスの自分の机の上にダンボールを置いて、その上にノートパソコンを置いて立って仕事をしていた。ちなみに会議も、上司に許可をとってひとりだけ壁際に立って参加していた。
 同僚は少々引き気味に言った。
「何しでかしたの?」
 何しでかしたんでしょうね?
 原因は分かっていた。根を詰めすぎたのだ。仕事のことではない。昨今のオフィスは高級なオフィスチェアーを導入しているところがほとんどなので、仕事で根を詰めていたらむしろ坐骨神経痛にはならなかっただろう。
 私が根を詰めていたのは趣味の方……つまり、小説を書くことだったのだ。
 坐骨神経痛が判明してから約二週間後、私はイベントでA5サイズ二百ページを超える本を発行していた。文字数にして約十五万字、普通の文庫のレイアウトにすると四百ページはゆうに超える。そんな作品を約一ヶ月で書き上げていたのである。一ヶ月で十五万字。イカれたペースである。尻のひとつやふたつぶっ壊れてもおかしくはない。
 残念ながらその本をここで紹介することはできない。恥ずかしながらオリジナルの本ではなく、あるアニメのファン作品……いわゆる二次創作と呼ばれるものだったからだ。つまり発行した本は二次創作同人誌ということになる。私が狂気じみたスピードでその本を作ったのにもそこに理由があって、オリジナルの本ならそこまで羽詰まって短い期間に出さざるを得ないという状況はなかなかないだろうが、私がその本を出したイベントは、そのアニメが最終回を迎えて初めての二次創作イベントだったのだ。ファンは熱狂していた。一般的にアニメジャンルは最終回直後が一番ファンの熱量が高いのである。私も例に漏れず熱狂していた。その情熱のままに書き殴り、自分も周りも最高潮に盛り上がっているそのイベントでどうしても本を出したかったのだ。
 というか、よく思い出すと書き終わる前から「出します」と宣言していたような気がする。創作系のオタクがよく使う手なのだが、出せるかどうか分からないしなんなら出せない確率の方が高いのに先に「出します」と宣言することで後に引けない状態を自分で作り出すのだ。アホである。さらに言うと、そのアニメはワンクールアニメ、つまり放映開始から最終回までそう長くない作品だったので、私を含めそのイベントで初めて本を出すという人が多かった。つまり新刊を出せなければ、せっかく参加費も払って確保したサークルスペースに並べるものが何もないという状態になる。周りが熱量を持って本を作り、買いに来てくれた人と楽しそうにしているのに、自分の机の上だけ何もなく、誰も来ない……そんな状態だけは避けたいと思うのは自然だろう。……いや、でもやっぱり自分の中から溢れ出る情熱を発散するためには創作するしかなかったというのが一番の理由のような気もするが。
 誤解してほしくないのだが、私は文字数自慢をしたいわけではない。そもそも一次ですらない二次創作小説に自慢もクソもない。また、一次や二次問わず結構いろいろな創作者を見てきているので、前述のスピードなどメじゃないほど書くのが早い人がいることも知っている。言いたいことは、そのスピードが私の限界を超えていたということだけだ。今そのスピードで作品を作れと言われてもできない。それを書いていた一ヶ月は年末年始を挟んでいたのでいつもより休みは多かったが、その休みの間ほぼずっと朝から晩まで小説を書いていた。そのせいで尻が痛くなり、そのせいで痛みも分からなくなっていたのだ。
 坐骨神経痛です、と接骨院の先生に気の毒そうに告げられたときも、まだ原稿は終わっていなかった。先程オフィスの机の上にダンボールを置いてその上にパソコンを置いて仕事していたと言ったが、同じことを家でもしていた。つまり、ダンボールの上に置いたパソコンで、立ったまま残りの原稿を仕上げたのだ。仕事ならいざ知らず、たかが趣味にそこまでするのか、そうまでして本を出したいのか……そう思う人もいるかもしれない。そのとおり、そうまでして出したいのだ。どうしても出したかった。出さなければ処理しきれない情熱が溢れて憤死していたと思う。
 なんとかそのときの本は目標のイベントで出したものの、私はそれから数年間ほとんど同人活動をしなくなった。何を隠そう尻が痛かったからである。行きつけだった接骨院ではレーザー治療と電気治療を行っていたが一向によくならず、かなり遠くにある別の接骨院に通うようになった。坐骨神経痛の治療でいい口コミがあったからだ。最初の問診の間、ただ椅子に座っているだけなのに尻が強烈に痛くてちょっと泣いたことを覚えている。そこでは鍼治療を含む複数の治療をおこなって、多少マシにはなったもののそれ以上はなかなかよくならなかった。半年くらい毎週のようにそこに通ったあと、当時SNSでかなり腕が良いと評判になっていた鍼灸院にも行ってみた。口コミ通り腕はよかったがそこでもやっぱり完全にはよくならなかった。ただそこで中国鍼が効くということを覚えたので家の近所で中国鍼をやってくれる鍼灸院を探し、また毎週のようにそこへ通った。鍼をしても一時的に楽になるだけであることは分かっていたが、一時的にでも楽にしないとあまりの痛みに日常生活が送れなかったのだ。
 二十代ですでに鍼灸院に入り浸っていて、八十くらいになったら自分はどうなってしまうのだろう、もう行くところがない……などと心配していたものだが、幸いその後尻の状態はとてもよくなって今は鍼灸院にも接骨院にもまったくお世話にならずに生活を送れている。
 もちろん、勝手によくなったわけではない。一年ほどそんな生活を続けた後、ホットヨガを始めてから劇的に快方に向かったのだ。同じく腰を悪くして定期的に鍼をしていた友人から「ホットヨガを始めたら三ヶ月でよくなった。騙されたと思ってやってみて」と言われてやってみたら本当によくなった。たまには素直に騙されてみるものである。
 ヨガは一年ほど続けたが、通っていたホットヨガスタジオがビルの老朽化で閉鎖になったのでやめた。代わりにジムで筋トレをするようになったがそれでも尻の調子はいいままなので、ヨガが特別どうこうというよりも単純に極端な運動不足と筋肉不足が原因だったのではないかなと思っている。元気になってからは、ありがたいことにまた二次創作でも一次創作でもぼちぼち作品を書いて本を出すことができている。
 実はこういう話は創作する系のオタクの中では珍しい話ではない。同人活動にせいを出している友人は身体のどこかを壊している、あるいはかつて壊していたという人が多い。肩か首か腰が多く、漫画を描く人の中には手首をやっているという人もいる。仕事と両立させながら本を出すというのはそれほど大変なことなのだと思う。そんな状態にあっても無理にでも本を出してしまうのは情熱のなせるわざだが、しかし情熱だけでカバーするのにも限度というものがある。テンションが高いから気づいていないだけで、多分そうやって無理をしている間、みんな自分の身体の何かしらを削っているのだと思う。
 脱稿する度に整体に通う程度ならまだいい。SNSを見ているとごくたまに、同人作家が急遽したという話が流れてくる。また、私はボーカロイド文化(ボーカロイドはヤマハが開発した音声合成ソフトとその類似商品の総称で、略してボカロと呼ばれる。このソフトを使って楽曲を作る、またその楽曲を聞く・歌う・弾く・踊る、が大流行したために、日本のアマチュア音楽界隈は大いに盛り上がった。今はボカロ出身のプロミュージシャンもたくさんいて、米津玄師とかYOASOBIとかが特に有名)にも昔から親しみがあるが、ボカロで有名な作曲家の中でも若くして亡くなった方が複数名おられるのは有名な話だ。
 もちろん、一消費者でしかない自分はそれぞれ個別の事情などは存じ上げない。しかしながら、何かを作る系のオタクが情熱のままにしばしば無茶苦茶な生活を送っているのはあまりにもよく見る光景であり、実際前述の通り私も無理を押したせいでそこそこひどい目にあった。座れなくなって活動を制限せざるをえなくなったのはむしろ幸運だったのかもしれない。自覚しにくい場所に不調がでていたら、その後も狂気のままに走り続けたかもしれない。あるいは、自覚するような場所に不調がでていても、アドレナリンだかドーパミンだか知らないが、何らかの作用で不調を不調と自覚しないまま突っ走り続けることだってありえる。常人なら尻の片側が痛くなった時点で耐えられなくなるものを、両側限界になるまでまったく気づかなかった私が言うのだから間違いない。
 坐骨神経痛を患う前、一番気が狂っていた時期は年間十冊以上本を出していた。いわば月刊『私』である。かつて同じくらいのペースで本を出していたという友人がいるが、最近彼女は半年で一冊出すことを目標にしている。
 もっと本だそうよ、君ならできる。冗談交じりにそう言うと、彼女は毎回笑って答える。
「あれやると死んじゃうからもうやらない」
 でもそれは、あながち冗談でもないのだ。

     ◆

 ときどき『死ぬ』と『生きる』について考える。
『死』は分かる。生きていない状態のことが『死』だ。ということは、『死ぬ』ということは『死』という状態への遷移だということになる。
 ところが、『生きる』というのも、果てにあるのは『死』なのだ。『生きる』もまた、『死』という状態への遷移であることに変わりはない。『死』と『生』は明らかに違う状態のことだし、対比されうるものだということは分かるが、『生きる』と『死ぬ』は単純に対比されうるもののようには私には思えない。言うまでもないことだが、ここでは「人の記憶から完全に消えたときに人は死ぬ」というようなある人物の概念としての『死』の話をしたいわけではない。ある一人の人間の身に起こる現象の話をしている。
 人間生きていればいつかは死ぬのだから、『生きる』というのは緩慢な『死ぬ』のことであり、両者の指しているものに大差なんてないんじゃないかと思うこともある。『より良い生き方』と『より良い死に方』は結局同じことを言っているような気もする。『いかに生くべきか』と『いかに死ぬべきか』も同じ意味だし、『生き急ぐ』と『死に急ぐ』も多分同じ意味だ。
 では『死ぬ』と『生きる』の間には、死という状態へ遷移するスピード以外に違いはないのか、と言われると、それもなんだか違う気がする。かと言って、『死ぬ』と『生きる』の間にあるネガティブなイメージとポジティブなイメージの差をそのまま両者の言葉の違いだと言われても私は納得しないだろう。「でも結局『死』という状態への遷移という意味では一緒じゃん」と言いたくなる。これは私の天の邪鬼な部分というか、反骨精神みたいなもののせいかもしれない。
 別に答えを求めているわけではないし、深刻に思い悩んでいるわけでもない。ふとした拍子に考えることがあるというだけなので、この疑問は暇つぶしに等しいものがある。真面目に考えたところで言葉遊び以上の意味もないだろうとも思っているので、私に対し答えを授けようなどとは思わずに、どうぞ自由に遊ばせておいてほしい。これからも私は思いついたときにこの思考で遊んでいるだろうが、今のところ私がたどり着いているのはろうそくのイメージだ。
 ここまで回りくどいことを言っておいて、人生をろうそくに例えるというのも月並み過ぎて恐縮してしまうが、どれだけ思考で遊んでもそれ以上のものがでてきたことがないので仕方がない。
 つまり、人の一生とはろうそくのようなもので、火のついている状態が『生』であり、火の消えた状態が『死』であり、火が消えることを『死ぬ』と言い、その火を燃やすことを『生きる』と言うのではないか。その火の有り様が『生き様』なのではないか、とそんなことを思う。そう考えると、『死ぬ』と『生きる』は明確に別のものになる。燃える火はいつか消えるが、燃えることを消えるとは言わない。化学としての『燃える』が酸素と物質の結合であるというところも情緒があっていい。生きることは息を吸うことでもあるから、生きるとは酸素と自分を結合させることだと言えるかもしれない。
 情熱に任せて激しく火を燃やせばろうそくが燃え尽きるのは当然早くなるだろう。かといって、燃やし尽くすまいと火を小さく小さく保っていたら、それはそれでちょっと風が吹いただけで消えてしまうだろう。フィクションの中で、ときどき惰性で生きることを「死んでるのと同じだ」と揶揄することがあるが、ものすごく小さな火がかろうじてついているような状態は消えている状態とほぼ同じと言えなくもない。
 メンタルの状態がひどかったときに学んだことがいくつかあって、そのうちのひとつが「中庸であること」だった。精神的に追い詰められた人間はとかく極端なことを言いたがるしやりたがるが、何事もほどほどがちょうどいいのだ。
 火花を散らすほど激しく燃える火は美しいし魅力的だが、そんな魅力的な人が早く燃え尽きるところを見たくはない。かといって、かろうじて保っている小さな火がちょっとした風に吹かれて消えてしまうところも見たくない。前述の通り、かつて私はそのどちらの状態も経験したし、そのどちらでもない時が一番心身ともに安定している。健康とは、つまりろうそくの火が部屋の中で音もなく燃えるように、ほどほどの状態で輝いていることなんじゃないかと思う。自分も他人も、それくらいで生きるのが丁度いいのだ。
 両腕からあふれるほどの願い事を吟味していた私も、いつの間にか他人の健康を願うようなうさんくさい大人になってしまった。しかしこれこそ今の私が嘘偽りなく思う一番大切なことである。
 どうかこれを読んだみなさんも、健康には気をつけてのびのびと楽しく生きて欲しいと思う。

     ◆

 ところで、ここまで語っておいてなんだが、最近私は尻を壊したのとは別の作品にハマってまた二次創作の本を作り始めた。非常に楽しく、やりたいことばかりで、日々やる気に満ち溢れている。「仕事で忙しいと死にそうな気持ちになるけど、オタク活動で忙しいと生きてるって感じがする」というのが最近の発見で、オタクの友人たちに大いに同意してもらった。今私の人生の火はバッチバチに火花を散らしながらゴウゴウと音を立てて光輝いているところである。
 健康には気をつけます。


エッセイ「大切なもの」~健康と金とろうそくの火について~ 
書き手:加藤冬夏



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