人生係数

 
 人生の辛さを数値化できないものか?

 最近読んだ記事の中でヒトは一日に6万回思考しているらしい、その多くはネガティブなものが多いという。
そのような途方もない回数の思考をこなしながらヒトは日々の日常生活をこなしているのか。
それならばなぜ人間の精神力は無限ではないのだろう?睡眠を取れば全回復しているのならまだしも、悩みや葛藤だけでは収まらず睡眠障害や精神障害は実際に存在するしクスリが必要な場合も少なくない。この世のバグか認知の歪み?それとも実はもとより無限なのだろうか。

 人と人がいるから差が生まれ優生思想、ルッキズムが出現して争いや差別、貧困やいじめ等がでるのでは?人間に生まれた宿命として一生戦わなくてはいけないのかなあなんて思いながらも、一方でいっそのこと動物や昆虫のように個体同士の差はなくし均一化できないものか、容姿をうすめて半透明な存在にしてみては?と妄想のような雑念が勝手に湧いてくる。ただし外見も性格も均一化したらそれはきっと人間とはいえないだろうし半透明な存在は亡霊に等しい。仮に政府が共産主義やベーシックインカムを実行したとして不可避な人生格差はきっと出てしまうよね。

 自分と他人をあえて比較してみた場合においても、人生でどれだけの物理的な痛み、精神的な苦しみや葛藤、憎しみを経験したとしてもたいてい外側からは何も分からないし、言語化しようとしてもどうしたって薄っぺらいモノになってしまう気がしてならない。すこし意地悪な表現かもしれないが、仮に目に見えるような明らかな身体的障害を持ちながら成功した人がいたととして、スゴイと思える一方で生まれつき屈強な精神力もしくは現在に至るまでの境遇に恵まれてポジティブな思考形成に至っているのでは?と頭の片隅に湧いた疑念も残ってしまうこともある、すべて被害妄想だとしてもね。

 自分もたったの一話しか見ていないが、サイコパスというアニメでは人の犯罪係数を測ることができるという。それと同じように人生のトータルの苦しさを数値化した「人生係数」を測定できる半ば魔法のような機械があれば、人生の辛さをメタ認知的に把握でき他人を心から思いやることができるのかも。

以上
文才もない社会不適合者の戯言でした。こうして文章書いた後も自分自身が禍々しくユーモアのないエゴイスティックな存在に感じる今日このごろ。ご既読ありがとうございました。

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