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06 能登半島地震 ボランティア報告 輪島市 令和6年3月24日

輪島市の災害ボランティアに参加しましたので報告します。


輪島市地図

金沢駅西口バス乗り場6時45分出発のボランティアバスで今回は最大震度7を記録した輪島に向かいました。約45人のうち女性が半数近く参加です。


金沢駅前バス乗り場

 輪島に向かう、のと里山海道はあちこち崩壊し急ピッチで補修中ですが、とにかく移動時間がかかります。 それでも以前は5時間かかった道が金沢から輪島まで2時間半で行けるようになったと説明を受けました。高速道路は輪島へ向かう北方面が優先ですが、帰りは一部下道を走ります。


工事中の道路


工事中の道路


工事中の道路

 西山PAまでの道路は快適でしたが、そこから先は段差や崩壊箇所を迂回しながらの徐行運転です。 道路から見える景色も倒壊した建物や崖崩れが目につくようになり、改めて地震の激しさを認識します。


土砂崩れ

 9時半ごろ輪島のたすけあいセンターに到着。当初輪島はたすけあいセンターの建物がなくテントでしのいでおりました。 2月29日に新たにコンテナハウス2棟が置かれ、新たな活動拠点になったという事です。


輪島市災害たすけあいセンター

また輪島は上下水道などのインフラ整備がまだ未完で、多くの住人が市外へ避難中です。そのためニーズも上がらず支援が軌道に乗らない状況にあります。 トイレは仮設。手を洗うには持参したウエットティッシュが便利。また、トイレはたすけあいセンターのみなので、昼休みに戻るまではトイレには行けません。


仮設トイレ

 さて、恒例のマッチングです。最初に6〜7人のチームを7つ作りました。気がつくと私のいるチームは女性4人男性2人で女性が多くなりました。比較的軽度な力仕事を選ばないととお互い顔を見合わせます。 ボランティア協議会の方がニーズを読み上げ、希望するものに挙手して決めて行きます。「ブロック塀解体」「3階から大型家具下ろし」‥は男性多めチームに譲る。 次に「冷蔵庫運びと家の片付け」というニーズがあり、これにしようと一同ハイハイハイと競って手をあげました。 30代くらいの女性Aさんがリーダーに立候補。Aさんは以前七尾市のボランティアバスで隣席した岐阜県の方です。 今回も早朝2〜3時間運転して駆けつけたそうです。副リーダーは30代くらいの男性がなりました。

今まで経験した市町はトラックによる災害ゴミ運搬がミッションでした。一方輪島市の場合は家の前に災害ゴミを分別して積んでおき、輸送担当が別途持って行くというシステムで、運ぶ手間がなく、ひたすら分別をします。 わがチームは被災家庭に車で送り届けられました。途中市内の倒壊した家屋は半分近く、倒壊してなくとも歪んでいる家も多数。他の市よりも激しい被害でした。テレビで何度も見た倒れたビルの前を車は通過します。


災害廃棄物の仕分け

 目的のお宅は3階建てで1階が作業場、2階以上が住宅。鉄筋のためか倒壊は免れていましたが、室内はカチャカチャに。建物の前に車3台駐車できるスペースがありながら、廃棄物と人でいっぱいでした。既に家族と応援数人が作業しており、さらに我がチームが加わって約15人の作業です。 仕分けし、ゴミをまとめ、ひたすら積んで行くのですが、一つ一つ家主に見ていただき、捨てるもの捨てないものを判断してもらわねばなりません。

私がまごまごしているとリーダーのAさんがリカオンさんはダンボールをまとめてくれますかと的確に指示。寡黙な感じの30代くらいの女性Bさんも手際良くダンボールを畳んで重ねて縛るをこなしていきます。30代くらいの女性Cさんも箱の中身を家主に確認してもらっては布製品、金属、燃えるゴミとどんどん袋詰めしていきます。ゴミの袋とダンボールはうず高く山になっていきました。

昼は再び自動車に迎えに来てもらいたすけあいセンターで休憩しました。リーダーAさんはセンターに報告。 私や他のメンバーは駐車場の芝生でお弁当を広げましたが、Bさんの姿がありません。どこへ行ったのでしょう。 私はCさんと昼食をとりながら情報交換しました。Cさんも能登半島の他の市町村をあちらこちら回っており、穴水町の一泊2日ボランティアの情報を教えてくれました。 また、男性メンバーも七尾市の野口健が参加しているボランティアのテント村に行ってみたいと言いました。私もそこは注目している場所です。


朝市のトビ

 昼休み時間が残り少なくなったところで、Bさんが現れ「朝市を見て来た」と説明。私もあの火災に襲われた朝市の様子を見たかったのですが、休憩時間が少なく、歩いて往復30分かかるので断念したのですが、行動力あるBさんは行って目に焼き付けて来たのです。その時Bさんは「お弁当の鱒寿司を食べようとしたらトンビに盗まれた」とトホホ話をしながら代わりにパンを食べ始めました。 トンビも震災の影響で漁港のおこぼれや人間の出す生ごみを漁れなくてお腹をすかしているのかも知れません。そしてトンビを警戒している地元の人よりも油断しているボランティアを狙っているのかも知れません。

午後の作業が始まる前に送迎車は朝市を回ってくれました。運転手さんに「永井豪記念館はどの辺りですか?」と尋ねたら「あの辺のどこか」と指差しました。一面黒焦げになった瓦礫で何が何やら判別できない状態でした。 現場に戻ると、午前中まとめたダンボールが運ばれたせいで家の前の駐車場の一部はスッキリしていました。私は引き続き一階のダンボールや木材、機械などを片付けていきます。 作業に没頭しているといつのまにか終了時間が近づきました。リーダーのAさんが翌日のボランティアに引き渡すため、散らかった通路を片付けるよう指示しました。
15人をもってしても1日では終わらなかったのです。また、力仕事の冷蔵庫は先に来ていた男性陣が運搬済みでした。

家主の女性は、「昨日金沢で朝市をして来た。干物を売りに行った。久しぶりの事で感動した」と嬉しそうに話していました。

15時30分に車が迎えに来て、家主とお別れの挨拶。たすけあいセンターに戻るとセンターの方よりお話。「まだ上下水道などのインフラが整っていないので輪島市に残っている人が少なくニーズも少ない。これでインフラが整えば輪島市民は戻り、そうすると沢山のニーズがあがります。その時さらに皆さんのお力が必要ですので、また輪島に力を貸して下さい。」 バスは夕方4時すぎに出発し、金沢駅に夜7時に到着しました。


 私は震災前に輪島を度々訪れ、朝市や古い町並み、舳倉島のバードウオッチングを楽しんだ好きな観光地でした。御陣乗太鼓やおいしい海産物、漆塗り製品など古きよきものがたくさんある輪島が復活する事を願いつつ、引き続き応援していければと思いました。

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