(ほぼ)100年前の世界旅行 スイス・サンモリッツ9/3-5
曽祖父・金谷眞一の1925年の世界旅行スイス編、最後の目的地はサンモリッツです。眞一が“the most fashionable resort”と称賛したこの地で、何と出会ったでしょうか。
ルツェルン〜サンモリッツ
ルツェルンを発つ9月2日、軽い朝食をすませてからまず向かったのはトーマスクック。ここでルツェルン〜サンモリッツからさらに先の、ベルリン、ケルン、アムステルダム、ブラッセル、パリまでの旅程を決めて料金136.95フランを支払ってから、シュヴァイツァーホフホテルに戻り精算し、ハウザー氏の見送りを受けて出発です。昼前の汽車に乗り美しい車窓の旅が始まりました。日記には“The train ran through Eden country (エデンの園のような国を走る)“とあります。まずチューリヒについてエキナカのレストランで昼食ののち出発し、クール駅で支線に乗り換えてサンモリッツを目指します。眞一はこの路線について次のように書いています。
後半部分は「国民一人当たりにすると1000スイスフランもかかった」という意味でしょう。また、400(!)の橋(そのうち一つが有名なラントヴァッサー橋)、81のトンネルを擁す、と。
この路線は1904年に開通したアルブラ線だそうですが、現在はルツェルン〜サンモリッツ間は1930年から運行されている「氷河急行 Glacier Express」が有名です。1925年の眞一の旅は昼食時間を入れて約10時間ほどかかりました。
スブレッタハウス
9月2日夜9時過ぎにサンモリッツに到着し、30分ほど馬車に揺られて着いたのがスブレッタハウス。ルツェルンのハウザー氏から紹介を受けた家族経営のホテルです。ロビーで長身ロマンスグレイの紳士が女性客に話しかけているのを見かけ、オーナーのハンス・ボン氏だと気づきましたが、夜分でもあるし挨拶は明朝にと思ったところ、ボン氏がすぐに気づき、マネージャーに一番広い風呂場のある部屋に案内するよう指示し、夜食はどうかと尋ね、(いらないと答えると)必要なものがあればいつでも言ってください、“we are always ready”と応対してくれました。ルツェルンのシュヴァイツァーホフでもハウザー氏の立ち居振る舞いに感心した眞一ですが、ここでもスイスのホテルオーナーたちが客を迎える態度に深く感銘を受けた、と記しています。
9月3日は電車で近くのムオッタスムラーユ行きケーブルカーに乗り頂上へ。サンモリッツを見下ろす眺めがいいが、寒すぎて下山。昼食後ポントレジーナ、モルテラッチ氷河を散策し、7時ごろホテルに戻りました。夕食後オーナーのボン氏と彼のオフィスで、資金や運営などに関し話を聞くことができました。ボン夫妻はホテル内に住み、250室を擁するこのホテルを切り盛りしていました。7−9月、12−3月のみの営業ですが、毎年4.5万人が宿泊し、1人当たり利益は25フラン。しかしコストは1912年から比べると倍増していると。
ボン氏が翌日ホテルや町を案内してくれるというので、ドイツ行きを1日延ばすことにしました。必ずや学びがあるに違いない、と日記に記しています。
9月4日、まずボン氏と彼の馬車(御者は軍隊時代の部下)で同じサンモリッツのカールトンホテルへ向かい、見学。
スブレッタハウスに戻り昼食後、ボン氏が館内を案内してくれました。広い調理場(「富士屋ホテルのよう」)、地下のワインセラー、ボイラー室、電気温水器、冬場用の植物、スケート靴などのクローク、スケートリンクの氷の作りかたなどなど、さらにボン氏の御母堂も一緒にイタリア国境近くまでドライブに行き、ボン氏の兄弟と、日本を旅行したことのあるイギリス人も交えて夕食です。そのイギリス人が持参したアルバムに、金谷ホテルの写真もありました。その人は日本旅行についての本も書いていたそうなので、ボン氏は眞一のホテルについて彼に照会しがてら夕食に誘ったのでしょう。
スイス滞在の収穫
眞一はこの日の日記に「単に日本から来たりし同業者との理由の元に兄弟三人のみならず、母堂、夫人と一家族にて心よりのwelcomeを受け永年の親交も及ばざる饗応ぶり、実に感謝に堪えず」と記しました。さらに以下のように、自分が父から引き継いだ金谷ホテルでの経営スタイルへの自信を深めたようです。
サンモリッツを発つ日、ボン氏は「同業者だから」と宿泊代を請求しませんでした。また、眞一がこの先滞在する各国の街のおすすめのホテルとオーナーの名前も教えてくれました。
スブレッタハウスはボン氏の父アントンが1912年に開業、父没後ボン氏が1923年に引き継いだばかりでした。眞一と同じ2代目社長だったのですね。1935年にはスイス初のスキーリフトを設置。サンモリッツの代表的なリゾートホテルとなりました。1950年のボン氏の没後は義理の息子カンドリアンーボン氏が引き継ぎました。上皇様も皇太子時代に宿泊しています。その後もカンドリアンーボン家の関係者が経営に携わり、7世代にわたり今も「家族経営」を続ける五つ星ホテルです。
アルプスの大自然を満喫し、同業者たちとの出会いに彩られたスイス滞在も終わり、次はドイツ・ベルリンへ向かいます。
参考文献:「鉄道の世界史」(小池滋、青木栄一、和久田康雄編 悠書館 2010)