(ほぼ)100年前の世界旅行 ヨセミテ 1925年6月18〜22日
サンフランシスコで旧友マンワリング氏と旧交を温めた真一は、次にヨセミテ国立公園へ向かいました。
今は自動車で4時間程度のドライブ、Amtrakを使った電車〜バスの乗り継ぎで6時間程度の移動ですが、真一はまず夜9時のフェリーでオークランドへ行き、そこから、11時発のプルマン(寝台車)に乗り換え翌早朝マーセド、さらに乗り換えてエルポータルにつき、そこから“Green Bus”に乗って午後1時にようやくYosemiteLodgeに到着。16時間の旅でした。
真一は自然豊かなこの国立公園にあるホテルを、同じように自然豊かな日光にある金谷ホテルの参考にしようと熱心に見聞し日記に記しています。
Yosemite Lodge
すぐ後ろにYosemiteFallが見えるこの場所は、恐らく現在のYosemite Valley Lodgeのあたりと思われます。250名ほどが収容できるダイニングで昼食をとったのち、早速バスで観光に出かけました。今もガイドブックに必ず載っているHalfDome、El Capitan, Three Brothersなどの山々、BridalVeil 滝など雄大な自然に圧倒されました。
また、ヨセミテといえば巨木ですよね。トップの画像は、有名な巨木Wawona Treeの絵葉書と思っていたのですが、よく見ると左端、黒いスーツに帽子姿が真一のようです。記念写真を撮影して絵葉書にするサービスがこのころすでにあったことに驚きます。
夕食のあとは、これも有名なFire Fall見物です。Lodgeの南側、3660ft(1115m)のGlacierPointから、石炭や焚き火の燃え殻を落とすのが赤い滝のように見える、というアトラクションで、1872年に始まりました。真一の日記には、20分ほども続き、暗い中バイオリンが演奏され、見物人は皆その荘厳な様子を静かに見守った、とあります。上のGlacier Pointに向かって、下のCamp Curryのオーナー(大声が自慢)が「落とせー」と合図するのが名物だったようです。
流石にFire Fallは日光で真似する気にはならなかったでしょうが、餌付けした野生のクマを見物させる”wild bears amuse their eve”は、参考にしたふしがあります。1936年(昭和11)の真一の日めくりには、中禅寺の華厳滝近くの茶店が買い手を探している2頭のこぐまの買取交渉をさせた、とあります。アルバムに、ホテルのペットとして飼っていた様子が残っています。
Glacier Point Hotel
Fire Fallの起点近くのGlacier Point Hotelでは、以前金谷ホテルに宿泊したことのあるNeff氏が真一に気づいて皆に紹介してくれました。雄大な自然にも圧倒されました。しかし、運営については従業員の服装が「運転手がパンクをなおす途中のよう」でいただけない、せっかくこれほどの環境なのに、と辛口のコメントを残しています。真一には、ホテルマンの姿形、立ち居振る舞いの明確な理想形があり、しかもそれはかなりコンサバ寄りだったということでしょう。「くだけた雰囲気でいいな」とは全く思っていないのです。そうした折目正しい雰囲気は、今の金谷ホテルにも受け継がれているように思います。
このホテルはテラスからの絶景が有名で大変人気があったようですが、1968年に大雪で大破。この絵葉書をみると、確かにすごい雪です。
同じ年にFire Fallは「自然現象ではないから」と禁止されていたのですが、翌年起きた火災でこのホテルが焼けてしまったのは、なんとも皮肉です。
100年前と今はどのくらい違うのか?
ヨセミテに向かう車中や宿泊先で真一は7人の日本人と会いました。鈴木商店(のちの日商岩井、現双日)や住友など、この頃すでに商社マンたちは海外で暮らし、熱心に現地の様子を吸収する方法の一つが、有名観光地に行ってみること、というのは現代ともあまり変わらないですね。
真一の一人旅がスムーズな事もあり、100年前と現代がどのくらい違っているのか、いないのか、だんだんわからなくなってきました。もっと不便だろうと思いきや、今の私たちがメールを使うように電報を使い友達とアポをとり、旅程は旅行代理店と相談。もちろん今より選択肢が少ないし、移動にもずっと時間がかかっていますが、今のところ大きなトラブルはないようです。
このあと一旦サンフランシスコに戻り、次はイエローストーン国立公園へ向かいます。
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