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(ほぼ)100年前の世界旅行 パリ 8/20-23

曽祖父・眞一の世界旅行は、約3週間のイギリス滞在を終えてパリへ向かいます。2日半の滞在でもあり、パリではせっせと観光です。英語が通じないことが、ちょっと不安な様子も伺えます。

ロンドン出発

8/20の朝、ロンドンのStrand Palace Hotelをチェックアウト。「フロントの従業員は精算をするだけで、20日間も滞在したのにホテルから誰の見送りもないのはいかがなものか」と日記に書いています。お客に対してホテル側がパーソナルな働きかけをしないのはもったいない(また利用してくれるかもしれないのに)という気持ちからの言葉でしょう。お客様の「お見送り」は、今のホテルでも皆さん大事にしていらっしゃるところかと思いますので、確かにもったいない。

ロンドンで、反省ほど買い物をしたせいで荷物はトランクやカバンが5つ(手持ちカバンは除く)、さらに釣り道具で222パウンドを超え、2等客車の上限55パウンドを差し引いても超過料金は1.17ポンド。トーマスクックのHinde氏をオフィスに訪ね、一緒にビクトリア駅に向かいました。ここで驚く記述が。「汽車は11時発の予定が10:45に出発」って、困るじゃん!間に合ってよかった。荷物の積み込みもHinde氏が親切に手伝ってくれました。

ここからは、ドーバーで船に乗り換えて、フランス・カレーに午後2:30着。3時の汽車で6:30にパリに到着です。トーマスクック社の出迎えのおかげか、通関は「タバコをもっているか」という質問だけで通過。ちなみに眞一は酒もタバコもやらないのでした。

宿泊はHotel Splendidです。風呂付きのとても良い部屋が1泊朝食付き90フランで、ロンドンのStrandよりずっといいと喜んでいます。同じ住所に今も似た名前の四つ星ホテルがあります。凱旋門の眺めが素晴らしいようです。

1イギリスポンドは、12円、100フラン、と日記に書いていますので、90フランは11円ほど。1925年の金谷ホテルの料金が、三食つきの一番高いレートで1泊12.5円という記録がありますので、朝食しかついていないとしても海外でこの値段なら安いという相場感が伺えます。

夜は珍しく和食レストラン「Tokiwa」を探してタクシーで出かけましたが見つからず、中華料理屋に連れて行かれてそこで済ませました。そこで1人で食事をしている日本人女性に尋ねると、目当ての和食やはホテルのすぐそば「一際目門を入り左の階段を上がる」だったことがわかり残念そうです。日本人会の場所も教えてもらいました。

パリの印象

イギリスを出る時は故郷を去るような思いがした、と書いていますが、パリに向かう道中フランス人が多く、すっかりフランス行きの気分が高まりました。ドーバーに到着した時、乗客が船の乗り換えに走り出すさまを「上野ステーションと同様」と書いています。英国人に比べてフランス人が小柄なこと、言葉が通じないためか、全体的にうるさく感じるとも。また凱旋門から放射線状に伸びる道路では、渡るところを間違ったり苦労したようですが、その道路が立派なこと、ホテルの部屋も家具も大きいことには感心しています。主だった名所は2日かけて観光していますが、困窮した物乞いと米国人観光客の多さには驚かされたようです。

トーマスクックに観光用の自動車のパス(貸切タクシーのようなものでしょうか)をもらい、2日間パリの名所を回ります。ベルサイユ宮殿は、「フランスの黄金時代」であり「革命が始まったところ」であり、さらに第一次大戦終結の「パリ講和会議が開かれてベルサイユ条約が1919年6月28日に結ばれた場所」であり、その50年前には「ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位した場所」であり歴史的な出来事は全てここで起こり、その荘厳華麗な様子は「書ききれない」と日記に記しました。ちょうど土曜日で、噴水が稼働している様子を見ることができて喜んでいます。

スイスのチェンバレン教授

2日半のパリ滞在の次の目的地はジュネーブです。真一はパリから旧知のバジル・ホール・チェンバレン教授に電報を出し、教授と同じホテルに部屋を取っておいて欲しいと頼みました。

パリにはまた9月に戻ってきます。日本を出てからそろそろ3ヶ月。次の目的地はスイスでは、新しい出会いが待っています。


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