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光悦 いま一度

本日は、目当ての作品が決まっておりました。前回1月31日 本阿弥光悦の凄み|美恩 (note.com) とは違い、「思いがけず何かを得た」というよりも、どちらかといえば確認となった時間でありました。
会期終了(3月10日)間もなくですので、国立博物館内も沢山の方々が訪れており、係員さんの人数も何倍も増えておりました。あの《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》のあたりではナンとまさかの「空いているところからご覧ください」などと頻繁に大きな声掛けがあり、ひそかに「シ~ッ!」と心の中で思っておりました。。

さて、何に再会に赴いたかと申しますと、こちらです。

サントリー美術館公式サイト「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」より https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=773 (2024年3月3日閲覧)

《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》。実は、正確には3回目の対面です。
わたくしは八割がた作品のキャプションは読まないのです(芸術大学生としてはあるまじき行為)が、こちらには初対面から足止めされ、記憶にも残っておりました。珍しく写真にも残すほど。その時は、同館内で可能だったのです。

東京国立博物館にて

どうも蓮に惹かれる性質らしく、最初はそれで見入っていたのですが、その絵画のような書がどうにも気になりキャプションを確認したのでした。その時は、そこまで。
今回の展覧会で知ったのは、こちらもやはり本来は巻物であり、現在は残念ながら断簡でのみ拝観できるということ、そして小倉百人一首全首分があったこと、そして何よりもその下絵が蓮の一生を表しているということ。始めは浮草の景色から蕾の茎が伸びて花となり、散り落ちるに至る。
ちなみに上の画像では前大僧正慈円の首が引かれており、「おほけなく浮世の民におほふかな我立杣に墨染の袖」とあります。満開の蓮のシーンに、この歌。意味にご興味おありの方は、こちらのリンクをどうぞ。【百人一首 95番】おほけなく…歌の現代語訳と解説!前大僧正慈円はどんな人物なのか|百人一首解説サイト (hyakuninisshu.com)

今回は会期の前半/後半で作品の入れ替えがあると知り、瞬き無しで堪能いたしました。地に散り落ちた蓮の花びらの上に、光悦の魂のこもった肉筆がのっている。そして、そこは終わりではなく、散ったあとに再び白い蓮花が現れるところで、この会期は終了するようです。

光悦が法華経の篤い信者であったことも今回で知りましたが、わたくしが確認したのは、死生観だったのかと思います。後年、病の後遺症で手が震えたそうですが、その書もどこかどっしりゆったりしていて、どうかするとそのことすらも味わっていたのではないか、と想像しました。
自身の捧げた作品が、「認められている」という信仰の裏付けのある安心感、それが、世間離れした発想のもとだったのではないか。それが、恐れのない創作活動を支えていたのではないか、というのが今のわたくしの感想です。

会場には、むろん他にも多々心惹かれる作品に出合えました。メモもしました。そして、あの三渓コレクション 繋がっていた|美恩 (note.com) の貴重な光悦画のある《赤楽兎文香合》も、改めて思いを込めて観てまいりました。ハァ~、光悦世界はとめどなくひろい。。。
本当は今度こそ資料室に行きたかったのですが、またもクローズしている。ここでやっと、もしやと思い調べると、平日ですね、開館は。こういう大雑把な自分の弱点も、光悦流に楽しんで自分とつきあっていくしかなさそうです。



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