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中庸の工芸

廣田硝子さんのすみだ和ガラス館へおじゃましてまいりました。すみだ和ガラス館 (hirota-glass.co.jp)
和ガラスって、そもそも何だろう。。。という素朴な考えと、もともと透明フェチなところがあるものですから、透きとおった物を観にまいった次第であります。

こちらは月2回、土曜日の予約制です。1時間の予定時間でしたが、珍しい書物などもご紹介いただき、時間オーバーして過ごさせていただきました。
なんと、廣田硝子4代目の代表取締役社長さん自らレクチャーしてくださいまして、経営者が語る自社の工芸品というところも興味深かったところがありました。
出だしから個人的にささったのは、氏が外部で働いていたのちに自社に就いたとのことで、「硝子について何もわからないところから始めた私なりに、一般に知られていない硝子について紹介したい」とのことで確か昨年から開いた施設ということでした。いいですね~、志を勝手に感じちゃった。。。

日本の硝子業界的には、吹きガラス中心の手作りが基本だったところに、戦後外国から機械式が導入された経緯があるそうです。古民家に見られる昔日の日本の窓ガラスに独自の風合いがあるのも、そういうことだったのですね。(冒頭写真です。枠の一枚一枚の風合いが異なっています)

陶磁器と違い、ガラスは専用の砂を超高温で熱し、直に触れられないところで成型を行い、しかもすぐ冷めてしまうからやり直しが効かない、という特徴も刹那的で繊細です。

ガラスの原料


ガラス素材に鉱物を混ぜることで色ガラスにし、手作りならではの自然な濃淡を出していた作品は、確かに今は骨董市くらいでしかお目にかからないな、と思いました。

大正時代の器。柔らかい。

吹きガラス以外には鋳型にかけながら成型する様々な技法もありまして、その鋳型自体が、もう職人さんが作れないくらい複雑だったりします。こちらの波型ランプシェードは、もう絶対にできない技術だそうです。それでも在庫がある限りで販売されるそうですが、こういうところが美術品と違う工芸品の在り方なのかな、と感じました。

色の濃淡もそれぞれ違う。ニュアンスが貴重。

少しお話しさせていただいたのですが、
「全て機械に任せて製造するものと、作家さんが製作されるとても高価なものとありますが、ウチはその間の、機械では出来ない、でも芸術的で高価なものでもない、という中庸を行っているんです。今では、そんな会社が全部で東京に6社になってしまった。大阪の方は、すべて潰れてしまいました」とのこと。
日本的な技術品をフレンドリーに世間に広めている会社が減っているのは、結構な危機だと思うのです。
普通に日本にあるモノ・コトのレベルは、実はすごく高いのだ、ということをこういった機会に実感するのは、大切かつ楽しいものです。
「本来、硝子についてもっと良くわかっていないといけなかったと思うのですが」と仰ってましたが、いえいえ、外部からの視点で経営を背負われたからこそ、現代に繋がるということなのではないでしょうか。
朴訥としたお話しぶりの中にはガラスへの情熱が見え隠れしていらっしゃいました。

中でも感慨深かったのは、鋳型を回転させてガラスを広げ、製作する製品についてのご説明でした。「僕は、鋳型に嵌め込んで形作る技法よりも、このようにガラスが自由に伸びて形に成る方が、ガラスがのびのびしていて嬉しそうで、素晴らしいと思うんです」というお話しでした。実際、製品を観て同意です。

水滴がはじけた時のよう。重力の美

アイス珈琲までいただきながら堪能させていただきました。
まるでこちらの製品のように、ひととしての丁寧なご対応をみなさんからいただきました。
帰りに地階でお買い物をしましたが、こちらのショップだけでもご利用いただけます。アウトレットもあるようですよ。
高級品とは違う、きちんと製作された日用品に囲まれることの贅沢。
改めて、感謝したくなる時間でありました。



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