小説の書き方について

小説の書き方についての動画をYoutubeでザッピング的にみていました。
学んだことを備忘として記しておきます。

本来引用元などを記しておいたほうがいいのかもですが、何をみて何から何を学んだというのを記憶していないので割愛しています。
そういう性質なので、引用元のナレッジと自身の解釈(受け取り方)も一緒くたになっています。

小説は、まず箇条書きで書いていく(素材を集める)

箇条書きでとにかく素材を集める。沢山素材を集める(思い付くままに)。
本文を正式?に書く際に、その素材をどう組み合わせるかを考えればいい。

これは、映像編集とも似ている手法。映像制作と考えると、腑に落ちる。

本文をきちんと書いていこうすると、そこで僕みたいな初心者は止まってしまい何も進まなくなるので、
まずは思い付くこと、目に浮かぶこと、耳に聞こえることを素材(情報)として洗い出していく。

ゼロからの創造を意識するよりも、素材の組み合わせを意識するのがよさそう(進みそう)。

箇条書きレベルでもいいので、最後まで書き切る。

書きかけのものを多数もつよりも、最後まで物語を書き切ることが大切。
描写力、文章力がないので、そこに拘泥してしまうよりも、物語に比重をおいていく。

物語として完結された作品の数をつくる。

描写は主人公が見えるものを書いていく

主人公から見える視点を意識する。
神の視点で全体像を描写しようとすると、何を書いていいかわからなくなる。
主人公の目に何が写っていくかを、主人公になりきって描写していく。

確かに神の視点で全体を描こうとしているので、描写範囲が広すぎて困っていた気がする。主人公から見える風景を、主人公になりきって書いていく、という観点はあらたな観点。

自己救済の小説は書かない(他人に感銘・喜びを与えられるものを書く)

自己救済的な小説は、ある一定数コアな共感を得られるかもしれないが、
本来小説には感銘がなければいけない。

自己救済として自分のための小説を書いたとしても、
それはそれはで自分は救えるので一定の価値はあるかもしれませんが、
そしてもしかして自分がもっと若ければ、
よりそこへ価値は感じられるのかもしれませんが。

自分の創造的な意欲というのは、
かねて自己救済もしくは、自己満足的な色合いが強いと思うのですが、
反面、自分だけを満足させても人生つまらない、ということもじゅうじゅう身にしみて感じています。

自分を満足させても、たった一人の満足でしかなく、
かつその自分へすらも興味が薄くなってきているような気がしています。

自分一人よりも、他人数十人、数百人を満足させたほうが、逆説的に満足度が高まることも、沢山経験してきています。

他にも色々と考えさせられることはありましたが、
パッと自分の頭のなかで言語化して書き出せるものとしては、
今日のところは以上です。

引き続き小説の書き方については、日々学んでいきます。



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