小説 ブレないポップ
2022.11.30
お手紙セットというものを購入した。ペン軸のイラストがついているものや、猫や可愛いいイラストのものはやめた。また逆にお洒落なものも避けた。お互い全く知らない者同士、変な構えが無い方がいい。無個性なお手紙セットがいいはずた。ベストな選択であると思う。と、勝手に思った。
こちらが一方的に好意を持っただけなのだから。少しだけでも向こうが気にかけてくれている事を期待はするが何せ一度あったきりだ。気持ち悪がられる可能性も大きい。
ただの一度、道を聞かれた男性が2週間後、手紙の入ったお菓子を持ってくるのだ。不審や困惑しても不思議ではない。
マッチングアプリの時代に手紙とは古風極まりない。
先日は南条氏の史跡の道案内をしていただきありがとうございました。
つまらないものですがよろしければどうぞ。
私は以前は東京でしたが、数年前から伊東市の方で広告を作る仕事をしております。入れた冊子が現物です。先日は歴史もので半分休日を兼ねて富士宮まで足を伸ばしたところでした。先祖のお墓も富士宮にあります。
対応してもらった際に、人柄といいますか雰囲気がとても印象に残り、普段こういうことはしないのですがもしよろしければ、電話番号かLINE等で連絡交換等できればと思い下記に記しました。それでは失礼いたします。
お菓子の紙袋に手紙を入れた。明日、渡しに行く。お菓子はあまり大仰にならないよう小さめのものにした。伊東の銘菓、ホールインである。ゴルフボールを形作った和菓子である。
2022/12/01
9時に自宅についた。帰りの道すがら何度もスマホを確認するが彼女からの連絡はなし。手紙に書き入れた自分の番号を見てくれたのだろうか。
補足。実際訪ねた際、彼女を含め受付は閉まっており誰もいなかった。紙袋を玄関ドアの隅に置いて帰って来た。
2022/12/02
スマホに返事はない。ショートメールからもラインからも。
2022/12/03
2022/12/04
2022/12/06
何もない。
必ず連絡は来るはずだ。
41歳、独身の私、彼女はいくつなのだろうか、名前は、まだ何も知らない。
お寺の娘ということしかわからない。というよりもお寺らの受付にいただけで寺の住職の娘ということすらさだかではない。
2022/12/10
2022/12/11
連絡なし。
彼女からの連絡はなかったが、鈴木から電話があった。鈴木は中学の幼馴染だ。鈴木が結婚してからはたまにメールをするぐらいで会うことはなかった。
今回のメールも一年ぶりだった。
私と鈴木ともう1人、浜村の3人はとても仲がよかった。私たち3人は大の映画好きでビデオカメラで映画を撮って遊んだ。
まだその頃はネット動画サイトなどなく、撮っては出来上がった作品を見て楽しんだ。何より撮ること自体が楽しかった。自分たちでシナリオを書いて出演してカメラで撮る。最高の遊びであり最高の思い出だった。
鈴木からのメールは簡潔なものだった。
オレ、長くないらしい。一応、正木にも伝えておくわ。
初めに送られて来たのはその一文だけだった。その後、メールのやり取りをして、大方、鈴木の現状がわかった。
鈴木は余命宣告され、あと3ヶ月の命ということだった。
頭がぼんやりしたまま、寝た。
2022/12/13
鈴木の顔を見に地元に帰りたいが、失業し自営業に失敗し、今は無一文だ。
そもそも、無一文の音が気になった女の人に手紙を出すこと自体、無理があった、のか。彼女からの連絡はない。
昨日がスマホの督促の期限だった。いつ止まってもおかしくない。
ガソリン代もない、わずかな燃料で、コンビニに夕飯を買いに行く、Bluetoothで音楽を飛ばしている、月額聞き放題だ、それもスマホが止まれば何も聴けない、いつも聴いている曲が虚しく聞こえる、適当な聴いたこともないジャンルを流す、タンゴらしい、タンゲーラという曲らしい、フロントガラスに落葉、落葉はタンゴのリズムに合わせて不器用に踊ると、どこかに飛んでいった、Tangueraはマリアーノ・モーレスという人物が作曲したという、瀧蓮太郎の荒城の月とも似たメロディーがあるというが、私にはわからない、モーレスは98歳まで生きたという、鈴木は私と同じまだ41歳だ。
タンゲーラは馴染みの曲だ。私と鈴木と浜村で作った映画のオープニングに使った曲だ。当時流行ったブルースウィリス主演のSF映画のオープニングでタンゴが使われていた。それに影響され、近所のレンタルCD屋でタンゴ全集を借りてきてそのまま使ったのだった。
浜村は鈴木をどう思っているのだろう。鈴木は当然、浜村にも連絡しているはずた。中学の頃は人と一風変わった変人、今はすっかり落ち着き家庭を持つ郵便局員だ。
2022/12/15
スマホが止まった。SNSを見る事も投稿する事も朝、出来なくなった。
ただ一つ、昨日、アプリのペイ機能で3万円を得た。これで食費にできる、とも思ったが、このお金は鈴木のガソリン代にできると考えた。
私は今日これから八王子に向かう。
仕事もアルバイトも今日は休みだ。
小田原厚木道路の下道を走る。音楽でも流したいところだがスマホが停止しているため聴けない。所持金は3万ある。
2022/12/16
音無の森近くの緑風園の日帰り湯に浸かった。
男は頼朝の湯の暖簾をくぐり湯に向かう。就職で伊東に流れて、退職し、事業を起こすがなかなか動かず、頼朝のように、日蓮大聖人のように私は再帰を図れるのだろうか。
鈴木や浜村のように家族のいない何もない私に。
彼女からの返信はない、そもそもスマホが止まっている。
フリーWi-Fiのスポットで接続する。
彼女から何もない。
その代わりアプリに母親から通知が入っていた。明日電話してみようか。
2022/12/17
雪予報が出ている。寒い。母親とアプリで通話する。スマホが止まっていることには気づいていないようだ。
弟の結婚が破棄になったとの事だ。
仕事も恋愛も何一つ上手くいっていない私にとって弟の結婚は唯一のいい話だった。
彼女に手紙を書いたのは頭の片隅に弟の結婚があったからに違いない。どこかに焦りがあったのかも知れない。
2022/12/18
半休で9寺半に起きた。快晴。雪は降らなかった。
12月1日に菓子と手紙を置いたので、分かりやすい、18日が経ったということだ。スマホが止まっているので相手からの連絡はわからない。手紙で出したので手紙で返事がこないかと思っている。
鈴木の顔が浮かんだ。余命宣告された人間の顔ではなかった。普通の中学の顔が41歳の顔になっただけのような、別段、顔色も普通の人と変わらない。
夕方また冷え込んできた。コンビニで味噌汁とチキンを買う。店内のゴミ箱の上のカードが目についた。相談無料。借金でお困りの方。財務省のものだった。買い物を終え車に戻ってから気づいた。スマホが止まっていた。電話をかけられない。お金がないと食べ物が美味しくて仕方がない。チキンが旨い。味噌汁で体があったまる。
2022/12/19
朝日を浴び紫がかった淡い菫色の富士が見えた。
夜。フリーWi-Fiが飛ぶ場所で中小消費者金融に片っ端から申し込む。殆どが断られ、いくつかは日をまたぐことになった。
2022/12/20
店ではクリスマスソングが流れている。
ただ流れている。それだけ。
借入は全て失敗、カードローンが一社審査中である。
2022/12/21
借金は滞納しスマホは止まっている。借りられる場所はどうやらないようだ。
彼女からの連絡はない。
そもそも彼女ではない。まだ他人である。
鈴木には奥さんと幼い娘が2人いる。これからどうするのだろう。
そういえば、病室で見た鈴木の姿は妙にリアリティがなかった。中学時代の映画の撮影のワンシーンのように、病室のシーンはなかったが、病人の役を素人臭く演じているようにしか見えなかった。
鈴木はただただ気まづい表情をして時々、視線を逸らし窓の外を見るのだった。
自ずと、話は盛り上がらずわずか30分で病室を出た。浜村もその日は忙しく来なかった。ぼうーっとした状態で下道で帰った。真鶴まで戻った時に、たまたま、海沿いの赤い塔が目についた。鈴木とは伊東と八王子の中間である真鶴で待ち合わせをして釣りをした事があった。風が強く全く釣れなかった。釣りが終わった後、時間が出来たので熱海の秘宝館を見た。そして熱海で別れた。その時はまだ鈴木には子どもはいなかった。奥さんになる彼女と出会って付き合いだした頃だった。
止まったスマホで今、この文章を書いている。この文章は第60回「文藝賞」短編部門に応募する予定だ。柴崎友香氏と松田青子氏が選考委員だ。両氏までこの文章は届くのだろうか。河出書房が主催だ。懐かしい。たしかバタイユも河出書房ではなかったか。意味もわからずバタイユの文庫を読んだものだ。本屋に行った時は黄色い文庫を今でもチェックする時がある。
フランジパニという美容室の駐車場に車を停めた。この店からフリーWi-Fiが飛んでいることを最近発見したからだ。フランジパニはマックと隣接しており、マックの駐車場でもあるのだ。ある程度の時間停めていても怪しまれることはないのだ。
フリーWi-Fiに繋ぐ。ネット環境がないと逆に無性に通知が気になるものだ。
彼女からの通知はない。
浜村から通知があった。
2022/12/22
富士の墓に午後から向かった。
先祖のお墓参りをすれば何か道が開けるのではないかと思った。
2022/12/23
もしかしたら、彼女から手紙が来るのではないかと期待して、ポストを見るが入っているのは支払いの督促状と税金の納付書だけだ。どうして生きて生活するだけでこんなにお金がかかるのだろうか。頭の良い人間が人類皆が平穏に暮らせる仕組みを作ることを望む。いくらお金を独り占めしたところで、様々な欲望を満たすだけのことだ。それでお終い。
現金、七千円、ガソリン代に電気代に飯代、いくらも残らない。そして明日は来る。
2022/12/24
明日が来た。寝て起きたところで金が増えるわけではない。
クリスマスイブである。スマホが通じていようがいまいが女性からの連絡はない。彼女からもない。彼女はそれにおそらく寺の娘だ。キリストは関係ない。
そういえば、バイト先のノルマで買わされたチーズケーキをAに渡した。Aは前の職場の時によく通ったスナックの女である。子どもが2人いるシングルマザーである。スナックは今はやめて飲食店に勤めている。前日フリーWi-Fiから彼女の飲食店に直接届けに行くとLINEで連絡し、それを実行した。彼女は届ける日に連絡がなくいきなり現れたことに多少驚いたかもしれない。が、向こうも私のことを友人か知り合い程度に思っているはずだから、さほど違和感はないはずだ。私も1人で食べても仕方ないので子どもがいる彼女にあげようと思っただけだ。Aに対しては性的に惹かれるものはあるがだからどうしようというものもない。実際なんの関係もない。第一に金がないため何のアプローチもできない。
夜、気温は6℃だった。
コンビニでデカまるとどん兵衛とカレーヌードルのどれにしようか考え、量が多くて温まるものに限ると決め、デカまるを選んだ。味噌味のカップヌードルである。
2022/12/25
国道が混んでいる。イルミネーションに向かう車だ。渋滞している。恋人と家族と友だちと笑顔に包まれ、少しの寒さなど気にならない。灯は点滅し輝く。家やホテルやバーに戻れば美味しい食べ物、温かい食べ物やお酒に囲まれて幸せに包まれる。夢のような時間を過ごし幸せが溢れる中眠りにつく。
キャッシュカードが届くのを待っている。使えるのだろうか、限度額はいくらなのだろうか。郵便局員の不在票がポストに入っていて、昼間は受け取れなかった。再配達を申し込んだがまだ来ない。
届いた。キャッシュカードではなかった。スマホアプリの承認のハガキであった。何の役にも立たない1円も入ってこない。
2022/12/27
微々たるアルバイトの収入でしのいでいる。家賃と電話代を支払えば残りはわずかだ。
年末で人々は浮き足立っている。やりくりで苦しむ人間は表面上はいない。
文藝賞の締め切りが迫っている。相変わらずネット環境にいない。フリーWi-Fiか漫画喫茶で送ることにしよう。明日、この文章を応募できたらいいが。
彼女からの連絡はない。
お寺のおそらく娘である彼女からの連絡はない。
鈴木はどうなるのだろう。来年のいつまでの命なのだろう。
何故、映画監督を目指した私がこんな迷いの底にいるのだろう。
シナリオライターでも物書きでも、表現する世界を目指していた私はいつからこんな場所を徘徊するようにらなったのだろう。
アルバイトの先の後輩が忘年会を企画した。少しだけ顔を出すことにした。魚民であった。個室には若者6人がいた。同年代の人間は不参加だった。店長や副店もいない。彼らは心根のいい人間なので一応、歳上の私を立ててくれる。が、私が話だすとどこか白けた感じになる。彼らに対してだからといって、なにか反感のようなものをもったりはしない。むしろ、彼らの悩み、笑い話を聞きながら、20代、30前半の彼らは真面目にしっかり生きているなという羨ましい気持ちになる。そして自分がなんと情けない存在か。
私は理由をつけ、1時間で退席した。彼らは感じよく送ってくれた。
夜の伊東の街を走る。駐車場まで走る。車で来た。酒は好きだが彼らとハメを外して飲む気はなかった。それに財布には7千円しかない。幸い途中退席だったので今回お代はいいと言われた。それを受け入れた。内心ホッとした。内心絶望した。駐車場に向かう道すがら、イタリアンレストランの前を通った。老若男女が楽しそうにしている。この世を楽しんでいる。
私の目には冷たい涙が出ていた。溢れることなかった。涙ではないのかもしれない。目が、眼球が冷たかった。駐車場が見えてきた。
その時だった。
フィンランドのアニメ?イラスト?絵本?かよく知らないがムーミンというものがある。その登場キャラクターでニョロニョロという白いお化けだか生き物がいる。
それにそっくりの白く太いツクシのようなものがアスファルトの地面を割って出てきた。
一匹ではなかった。何匹か? とにかく無数の白いアスパラガスのような生き物が目の前に現れた。
周りに人はいない。そいつは話し始めた。正確には私の頭の中に声が聞こえて来た。
文藝賞に応募する。それが道だ。映画監督を目指し、クリエイターを目指していたはずがどこで広告業やなんの関係もないアルバイトを始めたんだ。
芸術を目指していたはずだ。
白いものが揺れ動いていた。
2022/12/28
JOYSOUND伊東店で文章を書いている。二十字×二十字で二十八枚になった。応募要項は二十字から五十字なので条件は満たした。
今朝、アルバイトに向かう車で、熱帯睡蓮が頭に浮かんだ。無数の水連。強い色彩。昔、バイトでホームセンターの園芸コーナーに務めたことがある。そこで熱帯水連を安く購入し育てたこともある。が、頭に浮かんだのはもっと沢山の無数の水連であった。
熱川バナナワニ園の水連だった。伊豆半島の熱川にあるワニ園には水連のコーナーがあった。
枚数が二十九枚になりそうだ。
JOYSOUND伊東店でこの文章を書いている。ヘッドフォンをつけた。YouTubeを開く。なぜかイギー・ポップが頭に浮かんだ。いつのまにかフレンジーという新曲を出している。いつのまにかというほどポップの音楽を追いかけてはいない。フレンジーを再生する。ポップはもう七十近い年齢ではないか。
ブレていなかった。
ポップは全くブレていなかった。
それに比べて。
文藝賞に応募する。そう、これからシナリオを書こう。映画を撮ろう。
いつの間にか、曲は終わっていた。もう一度再生する。
騒音の中でポップはしっかりと立っていた。私は目を見開き立ち上がった。
終
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