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Breath

7の倍数の年齢に差し掛かる。体調不良を繰り返し、挙げ句の果てに、元旦の大地震のニュースでショックを受けた。
他所の事でも、自然災害、特に地震は私にとっては恐怖だ。昔の東北の大地震のニュースでは、心配や、怖さや何かでテレビに釘付けになり、気分が悪くなり心療内科に行こうかと思ったくらいだ。
だから尚更、今回の大地震のニュースに釘付けになる事はなかった。

元旦から、何日かは気分が悪くなりつつ、やる事はきちんとやらないと益々スッキリしなくなる為淡々と生活のリズムを狂わさないように何とか過ごして、最近落ち着いた。

私は怖がりな方だ。危機感という物は無視しない方がむしろ安心する気持ちがある。
ただ、あんな大地震だけはパニクってしまう。
もし、揺れや津波が、此処までやって来て誰もあてにできない状況になったらどうやってペットや家族を守ろうかとか‥。
自分にとって、失うなんてあり得ないものが災害に奪われるなんて‥とか。
まあ、神経張り詰めて忙しくしていると、寝不足になってしまい、今晩こそちゃんと寝よう、と決めた夜は疲れのせいか、ペットの事や周りの事が意識が遠のいて、眠ったら自分が何処に行ってしまうんだろうみたいな恐怖の中、中々寝付けなかった。つけっぱなしのテレビでは、まだ酷い揺れのニュースをやっていた。
そんな中何とか寝て、朝も何とかちゃんと犬の散歩に行って、しばらく緊張して過ごした。

ショックのせいか、びっくりしたせいか、落ち着いた頃には、安定剤を飲むこともなく普通に過ごして眠る事が出来るようになった。
7の倍数の事を今まで意識した事はなかったが、体質が変わった気がする。

私は年齢的に、親にこそなり得ないけど、守る物があるという事で本当の意味での生きる気力を自覚したという感じだ。

ハッキリ言える事は生きる気力なんてものは、1人だけでは絶対に身に付かない事にも気づいた。私は、今は家族とは離れて暮らしているが、気持ちで繋がった家族や亡くなった祖母達の存在を忘れる事は自分が居なくなるという事だ。自分が「心ここに在らず」みたいになってしまえば、大切なものを守る事は出来ない。

身体に力が入り、身軽になったと感じるようになった。自分がもう鬱病じゃないと断言する訳じゃないけど、ただ何が何でもフラついてられないのだ。

何というか、歳をある程度重ねて何かに責任を感じつつ生活するという事は、家にいても子供のように安心しきって過ごすような物でもないんだなあと、今さらながら実感している。

何でも大切なものを守る覚悟を持って生きる事は、手にしてみなければ分からない有意義さがある。
こんな事に気づいて、初めて少しでも親の気持ちが分かるのも今までの納得いかなかった沢山の巡り合わせも水にながすきっかけになり得た。

とにかく、体調不良だけでも何かと思ったのと、元旦の地震は大きな石が頭に落ちて来たみたいだった。

私は落ち着いたからいいけど、被災地は気の毒でもうこれ以上揺れないで欲しいし、雪も降ってくれるなと思いながら、地味にコツコツ一生懸命でいるしかない私です。

読むのも書くのも、noteを暫く休んでいましたが、また、始める準備をしようと思います。

よろしくお願いします♪

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