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短編小説『ガラスの向こうとこちら側』②

 ざわざわ…………がやがや……。うるさいな。……ざわざわ。
「これ…………な」
「……だ……お……う」
こちとら気持ちよく寝ているところなのに何なんだ。その間もざわざわした騒音は止まず、むしろ大きくなっているように思う。かと思いきや、いきなり大きな衝撃が私を襲った。
「あー、もうっ! 何なの!」
「「「「「きゃーーーーー」」」」」
勢いよく体を起こすと耳元で誰かの声が聞こえた。しかし、頭が覚醒しきらないなりに周りを見回してみても私以外に誰かがいる気配はない。
「こっち、ここだよー」
ん? 私以外に人間はいないのに何故か声だけは聞こえてくる。慌ててキョロキョロと周りを見てみるが、やはり声の主らしい人はどこにもいない。
「こっちだってば!」
「下だよ! 下を見て!」
「こっち~」
今度は複数の声が聞こえてきた。その声につられて自分の足元を眺めてみるが、人間なんているわけがなかった。そう「人間」が。
 それが何なのかはよくわからない。しかし、足元には緑色のふさふさした毛が生えた球体のような生き物たちが無数にいて、それらから声は聞こえてくる。
「起きた~」
「起きたね。人間生きてる」
「人間生きてる!」
集団で寄り添っている様子は「まりも」のようだ。まりもを触ったことはないけれど、この子たちは触り心地がよさそう。思わずまりものような生き物たちに手が伸び……と、流されるところだった。このふわふわたちはとっても魅力的だが、まずはここがどこなのか確認しなければ。私は確か、自室のベットで寝ていたはずだ。でも明らかにここは自室でも自宅でもなければ、知っている場所でもない。寝ぼけて自宅周辺を徘徊でもしたのだろうか。いや、まだそんな年ではないぞ。頑張って頭の中を探ってみるものの思い当たることは何もなかった。
「ねぇ」
それまで小さな声でおしゃべりをしていたまりものような、、、あぁ、めんどくさい。まりもと呼ぼう。まりもたちが一斉に口を閉ざし、こちらを向いたように見えた。向いたように見えたというのは、まりもたちにふさふさの毛で覆われているため顔が見えず、みんな同じ角度でこちらを向いたためそう判断した。
「あなたたちは誰? 私、自室で寝てたはずなんだけど、ここがどこだか知っている?」
「「「「「きゃーーーーー」」」」」
「しゃべった!」
「人間がしゃべった!」
「どこだって~」
「ここがどこだか知りたいんだって」
「寝てたんだって!」
私が話かけると一呼吸おいて、まりもたちはいっせいに話し出した。どうやらさっき耳元で聞いた声はまりもたちの声で間違いなさそうだ。いっせいに喋っても聞き取れないから、一人ずつ話して欲しいとお願いするとまりもたちは顔を見合わせて(顔があるのかわからないが)揺れ出した。と思ったら代表者なのだろうか? 一人、一匹か? とにかく一体のまりもがこちらへ飛び出してきた。
「ここは夢の中です!」
「誰の?」
「あなたの!」
「私の…………私の夢の中なの⁉」
まりもたちは嬉しそうに「そうだ!」「夢の中~」と騒いでいる。ほっぺたをつねってもちゃんと痛いし、座っている地面は土の匂いがして妙に現実味のある夢だ。
「それで、あなたたちは誰で何ていうの?」
「ぼくたちは苔です!」
「……苔⁉ なんでまた、いやそう言われれば苔なのかもしれないけど!」
「ちなみにぼくはヒノキゴケ! あっちののっぽがホソバオキナゴケで小さいのがムチゴケ。ひらひらを着てるのがコツボゴケって言うの!」
ヒノキゴケと名乗った子は意気揚々と仲間たちの説明をしていく。そこでふと私は彼らの名前を知っていることに気がついた。ヒノキゴケ、ホソバオキナゴケ、ムチゴケ、コツボゴケ。どれも私がテラリウムを作り育てているコケたちだ。よく周りを見渡してみれば、家だとかベンチだとか、石の配置だとかが自分が作ったテラリウムにそっくりであることに気づいた。形も色も全く一緒である。これはもしかすると……
「ぼくたちはあなたに作られたんですよ!」
やっぱり、当たって欲しくないことほどよく当たる。最近夢を見る回数が多いわりに内容を覚えていることは少なかったけど、今回はやけにはっきりとした夢を見ているな。説明を続ける彼らの声を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考える。彼らの話によれば私に伝えたいことがあって夢を通じて会話をしようと考えたそうだ。だからこんな夢を見ていると。
「ねぇ。私、最近よく夢を見るのだけどもしかして原因を知ってたりする?」
そう声をかけるとまりもたち、もとい私の育てている苔たちの間には気まずそうな空気が漂う。そしてヒノキゴケが言いにくそうに切り出した。
「……もしかしなくともぼくたちが原因だと思います。植えられたばかりで力が不安定だったから、夢の接続が上手くいかなくて……あ、あのいつも眠そうにしてたのを知ってたのにごめんなさい!」
なるほど? 現実味がなさ過ぎて理解はできないが、本人がそう言うならそうなのだろう。現にここは夢の中なのだし。仮に彼らが嘘をついているとしても、夢なのだから目が覚めればその後のことは関係ない。
「現状はわかった。それで? わざわざ夢を見せてまで私に伝えたいことってなんなの?」
私はこんなことをせずに眠りについてすっきりした気分で起きたいのだ。疲れをとるために寝ているのに夢の中でまで疲れる必要はない。何より夢だとわかっていても自分が作り上げた世界に自分が閉じ込められているという状況が気味悪かった。先程から気づかないフリをしていたが、視界の端で光が反射してキラキラ輝いている透明な壁が見える。喋る苔とか、配置に覚えのある家とかを踏まえると、恐らくあれはガラスビンだろう。私は一刻も早く現実に戻りたかった。
「そうでした! あなたに伝えたいことがあるんでした!」
ヒノキゴケは一呼吸おいて続けて言った。
「短い期間だけどぼくたちはあなたを見てきたから、あなたに悩みごとがあることを知っています。でも焦る必要はないんです。似ているような毎日だって、まったく同じ時を過ごしているわけではないんですから!」
何を言っているかわからなかった。ただの植物が私の悩みを知っているってどうしたんだろう。
「なんでそう思うの?」
「だってぼくたちはあなたに作られたから。どんなに忙しくても毎日お世話をしてくれたでしょう? 途中で面倒になってぼくたちを枯らしてしまう人間も居るって聞いてたから、楽しそうにお世話をしてくれて嬉しかったんです。だから毎日ぼくたちはあなたを見てました。あなたが悲しいとぼくたちも悲しい」
彼はしゅんとして語る。周りの子たちも心なしか元気がしぼんでいるように感じた。心から「心配しているんだ」という目を向けられて、だからかな、ちょっとだけ本心が顔をだした。
「自分でもなんでかわからないけどね、単調な日々を繰り返しているようでつまらないの。ううん、違うな。つまらないんじゃなくて、もったいないことをしてる気持ちになる。けどだからといって刺激的な日常を過ごしたい訳じゃないんだよ。生産性のない自分に悲しくなるの」
話し始めてみて、こんなにするすると言葉が出てくるとは思わなかった。自分一人で考えている時は上手く言葉にできないのに……もしかしたら私は誰かに自分の気持ちを聞いてほしくてこんな夢を見ているのかもしれない。と、ふと思った。彼らは静かに私の話を聞いていた。そして言った。
「……あなたは人間ですよね。そしてぼくたちは苔、つまり植物。その違いって何だと思いますか?」
……いきなり何の話? 私は思い切って自分の気持ちを吐露したのに予想していなかった質問に思考が固まる。しかし、私に答えは求めていなかったようでヒノキゴケは話を続ける。
「ぼくたちの違いって『思考の多さ』だと思うんです。ぼくたちは毎日美味しいご飯を食べて、丁度いい気温で生活ができて、おひさまの光をいっぱい浴びて、敵に襲われない生活が良い日だと思います。でも人間って毎日ご飯を食べて、心地いい家で生活ができて痛い思い
をしない毎日があっても良い日だって思わないよね。不自由ない生活をしてるのに『難しいこと』を考えるから毎日が辛くなっちゃう。」
「ぼくたちは日々生きてることが嬉しいって思うけど、人間はそうじゃない人もいるよね。そんなことを考えるのは人間だけだよ。『複雑な思考』を持つ人間だけ」
その言葉に何だか少し胸が痛くなった。なぜって心の片隅で密かに思っていたことを言い当てられたから。
「ぼく、さっきも言ったけど同じ毎日を過ごしている生き物なんていないんです。あなただって秒単位で生活している訳じゃないでしょう? 同じように思えるだけ。視野を広くしてみれば、ほんの少しのことでも『良いこと』見つけられるはず!」
「何より人間は周りに影響される生き物だから自分が気づいていないだけで、どこかの誰かに影響を与えていることあるんですよ」
人間は難しいことを考えすぎとか言ってた癖に、彼らの方が複雑なことを言っていると思うのは私の気のせいだろうか……でもなんだかその言葉たちは私の心にスッと染み込んでいった。と、ふと思考に靄がかかり、瞼が重くなる。
「あっ! いけない! つい喋りすぎてしまいました。ぼくたちばかり話してごめんなさい。ただ一つだけ、覚えていてください。毎日を楽しく過ごせるかは案外自分次第ですよ!」
返事をしなきゃ、と思うのに強い眠気が襲ってきて思考が鈍る。「またお喋りできたら嬉しいです」と言う言葉を最後に私の意識はぷつっと闇の中へ落ちていった。


 眩しい。カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細める。その間もピピピッと目覚まし時計は鳴り続けている。まったく忙しない。まぁ、目覚まし時計は「決められた時間に人を追い立てる」という自分の仕事を遂行しているだけだが。肌寒さが残るこの時期、ベットの暖かさから離れることは至難の業だ。それでも鳴り続ける目覚まし時計を放置していたら、家族の誰かから怒られてしまう。
「はぁ、起きるか」
えいやっと気合を入れて起き上がり、その勢いのまま目覚まし時計を止めに向かう。わざとベットから遠い位置に置いてある目覚まし時計は銀色のボタンを押した途端、一仕事終えたとでも言うように静かになった。目覚まし時計は今日も立派に役目を果たしている。「似ているような毎日だって、まったく同じ時を過ごしているわけではないんだよ」彼らはそう言っていた。時計は同じ速さで時を刻んでいるけれど、速さを決めたのも数字に意味を持たせたのも全部人間だ。この世界でまったく同じ時を過ごしているとしたら、それは時計だけなんだろうな。
さて、そろそろ学校へ行く準備に取り掛からなくては。折角の早起きがもったいない。窓の外には今日も昨日と同じような彩度の青空が広がっている。私たちは同じようでいて、ちょっとずつ違う毎日を過ごしている。だから嫌なことはさっさと忘れてしまおう。今日も前を向いて、生まれ変わった気分で一日を頑張るために。

はじめまして、今日の私。

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