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BJJの初めての感想はこれぞ格闘技版チェス

私は大学の休耕期間を利用して給料の高い肉体労働短期アルバイトを3週間ほどして、格闘技ジム・パレストラ東京の月会費&道場までの交通費1年分を貯めました。
そして1998年の4月から念願のパレストラ東京(現在の呼称はパラエストラ東京)に入会しました。スマホもインターネットもなかった当時、雑誌で見た道場の住所のみを頼りに江古田にあるパレストラ東京に迷いながらもなんとかたどり着きました。

道場に入って感じたことは、「思ったよりはこじんまりした道場だな。」ということです。
まあ、BJJが教われるスペースさえあればいいか、と思い直し入会手続きをしました。受付窓口ではあの中井祐樹が対応してくれました!
「柔術着はいくらですか?」
との私の問いに中井祐樹は
「オリジナル道着を作成中ですが、現在は柔道着などで練習しています。」とのこと。そう、まだ日本のブラジリアン柔術黎明期に私はいたのです。

初めて見た中井祐樹の印象は、身長は高くはないものの、かなり大きな背中をしていて、体重は72kgはありそうだな、ということです。実際、当時の中井祐樹はペナ級(現在のフェザー級)に出場していてペナ級は~66.9kgが体重リミット、かなり減量を余儀なくされていたらしいです。

さて、初めての柔術クラスにガチガチの緊張状態で迎えた私ですが、中井祐樹は通常のクラスで教える内容はなるべくビギナーでも理解できるレベルのことだったようで、はじめて習うパスガードは上から下の相手のズボンの裾を掴んで床に押し付けてサイドに回り込む、という非常にシンプルなものでした。

しかし、柔術とは何かをよくわからない私はこのパスガードさえも理解できない、そもそもパスガードとは何ぞや、という状態でした。
私がBJJについて知っていたことは関節技・絞め技がある、馬乗り(マウントポジション)になる技術があるということだけでした。これらはUFCでのホイス・グレイシーをみて自己流で解釈した柔術観でした。

最初の柔術クラスでは全く訳が分からなかったものの、クラス出席の回数を重ねるにつれ、パスガードは相手に極め技をかけたりマウントポジションに移行する過程での必須の技術であること、そしてその技術体系は無数にあることなどがわかってきました。また、寝技で下になった状態からでも上の相手に関節技・絞め業を極めたり、上下の体勢を入れ替え(スィープ)たりできる、ということがわかってきました。

柔術をおぼろげながらも理解し始めたころの感想は
「将棋のように手順を踏んでいく競技だ」
「ボクシングや空手、そして柔道とも違い、技を仕掛けてもリセットされず、戦況が進行していく競技だな」
ということです。

下手ながらも将棋が好きだった私は海外で”CHESS ON THE MAT”と言われるこのブラジリアン柔術つまりBJJにハマっていきました。
BJJを推すようになったきっかけはこういうところです。


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