見出し画像

その土とそのスコップ

この前友達とファミレスで話していたことがある。

共通の知り合いについてのお話。

ここではAさんとする。


私の友達は、Aさんの本当に考えていることがわからないと私に言った。

会話をしていても、表面上で話しているようにしか感じることができないのだと。

どんなに会話をしていても、深いところにたどり着くことができないらしい。


深いところにたどり着く、、、


私にはその感覚がわからなかった。

私のなかでイメージしたのは落とし穴のような図。


私はまず、まだこの人には深いところがあると思いながら話したことがない。

相手が今見せてくれている部分がすべてだと思っている。

というより、その人の深さというのは話している相手によって変わるものだと思っている。

その人が持っている深さにどれだけたどりつけるか、という話ではない。


私は、人それぞれには上の図のように落とし穴の様な、土でできた掘ることのできる穴があると思っている。

土の質は人によって異なる。

大きな石がたくさん混ざっている土やサラサラな土、
微生物が住みやすい土や硬くて頑丈な土。

そして、人はそれぞれ相手の土を掘るためのスコップを持っている。


そのスコップの特徴も人によって違う。

もし二人の土とスコップの相性が合わなかったら、その二人の中での穴は浅いままだろう。

別に隠しているわけではないのである。
相手に掘らせないように抵抗しているわけではないのである。

ただその土を掘ることのできるスコップを持ち合わせていなかっただけなのである。


では人はどれだけ相手の土を掘ることができれば満足できるのか?


私の友達が言っていた、本当に思っていることがわからないという感覚は
自分が持っているスコップと理想のスコップのギャップによるものだろう。




私はどんなに性格の合わない人でも2年一緒にいればいごこちがよくなる。

きっと自分の持っているスコップでひたすら掘り続けた結果なのだろう。

どんな土でも柔らかくはなるものだ。



でも姉にはそのやり方はしんどいといわれた。

年齢が上がっていくごとに出会う人は多くなっていくらしい。

高校から大学に上がっただけでそれは実感していた。

でも、この人とはあんまり話が続かないと思ってた人と居心地がよくなった時、自分のことをもっと好きになれるのだ。

どうしても出会った人を取捨選択するのは私にとってなんだか切ない。


この考えを持っている私はまだ未熟なのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?